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職務発明対価請求事件(特許権・民事訴訟/半導体レーザー装置)(平成19(ワ)10469)

平成20年5月30日判決言渡
平成18年(行コ)第58号
原爆症認定申請却下処分取消等請求控訴事件
(原審・大阪地方裁判所平成15年(行ウ)第53号,第69号,第96号~第99
号)





1審原告らの1審被告国に対する各控訴をいずれも棄却する。

1審被告厚生労働大臣の1審原告らに対する各控訴をいずれも棄
却する。

1審原告らに係る控訴費用は,1審原告らの負担とし,1審被告
厚生労働大臣に係る控訴費用は,同1審被告の負担とする。






第1章





第1
1審原告ら

判決中,1審原告らと1審被告国に関する部分を取り消す。

1審被告国は,X1,X2,X3,X4,X5,X6,X9及び控訴人・被控
訴人(X8承継人)に対し,それぞれ300万円及びこれに対するX1,同X2及
び同X3については平成15年6月19日から,X4及び同X5については同年8月
28日から,X6,X9及び控訴人・被控訴人(X8承継人)については同年11月
13日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

1審被告国は,控訴人・被控訴人(X7承継人2名)に対し,それぞれ150万
円及びこれに対する平成15年11月13日から各支払済みまで年5分の割合によ
-1-

る金員を支払え。
第2
1審被告厚生労働大臣

判決中,1審被告厚生労働大臣敗訴部分を取り消す。

1審原告らの1審被告厚生労働大臣に対する請求を棄却する。
第2章





第1
事案の要旨

アメリカ合衆国軍により,昭和20年8月6日広島市に,また,同月9日に長崎
市にそれぞれ原子爆弾(以下「原爆」ということがある)が投下されたが,本

件は,原子爆弾に被爆した1審原告らが,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,
又は疾病にかかり,現に医療を要する状態にあるとして,1審被告厚生労働大臣
(X5及び同X7については厚生大臣,以下同じ)に対し,被爆者援護法(X

5及び同X7については(旧)被爆者援護法,以下同じ)1

1条1項に基づき,当
該疾病等が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の認定の申請を行ったのに対し,1
審被告厚生労働大臣上記各申請をいずれも却下する旨の処(
分本件各却下処分)
をしたため,1審原告らが,本件各却下処分の取消しを求めるとともに,1審被
告厚生労働大臣が故意又は過失に基づく違法な本件各却下処分を行ったことによ
り1審原告らは精神的苦痛を被ったなどと主張して,1審被告国に対し,国家賠
償法1条1項に基づき,各300万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日か
ら支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案であ
る。

原審は,1審原告らの1審被告厚生労働大臣に対する請求については,1審原
告らは,本件各却下処分当時,いずれも原爆症認定申請に係る疾病について,放
射線起因性及び要医療性の要件を具備していたものと認められるから,本件各却
-2-

下処分は違法であるとして,これを取り消したが,1審被告国に対する国家賠償
請求については,本件各却下処分をするについて,厚生労働大臣が職務上通常尽
くすべき注意義務を尽くさなかったとまではいえない等として,いずれも棄却し
た。

1審原告らは,国家賠償請求が棄却されたことを不服として控訴し,1審被告
厚生労働大臣は,本件各却下処分を取り消した点を不服として控訴した。

控訴提起後,X7は,平成19年*月*日死亡し,妻及び子が承継し,X8は,
同年*月*日死亡し,子が承継した。
第2
基礎的事実
以下の事実は,本件の主要争点を判断する上で基礎となる事実であり,当事者間
に争いがない事実,明らかに争わないから自白したとみなした事実,当裁判所に顕
著な事実,証拠(文中に記載)及び弁論の全趣旨によって認定した事実である。

原子爆弾の投下
昭和20年8月6日午前8時15分,アメリカ軍により広島市に原子爆弾が投下さ
れ,また,同月9日午前11時2分,同軍により長崎市に原子爆弾が投下された。

法令の定め等
(1)
原爆被爆者に対する援護施策の経緯

原爆医療法の制定及びその内容
昭和32年,広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者が今なお置か
れている健康上の特別の状態にかんがみ,国が被爆者に対し健康診断及び医
療を行うことにより,その健康の保持及び向上をはかることを目的として,
原爆医療法が制定された。
同法は「被爆者」について,直接被爆者,入市被爆者,救護被爆者,胎

児被爆者のいずれかに該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けた
-3-

ものと定め(2条)「厚生大臣は,原子爆弾

傷害作用に起因して負傷し,
又は疾病にかかり,現に医療を要する状態にある被爆者に対し,必要な医療
の給付を行う。ただし,当該疾病等が原子爆弾の放射能に起因するものでな
いときは,その者の治ゆ能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現
に医療を要する状態にある場合に限る」
。と規定し(7条1項,上記医療

の給付を受けようとする者は,あらかじめ,厚生大臣の原爆症認定を受けな
ければならないものとしていた(8条1項。

その後,昭和35年法律第136号による改正により,原爆症認定を受けた被
爆者を支給の対象とする医療手当が創設された(改正後の14条の8。


被爆者特別措置法の制定及びその内容
昭和43年,広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者であって,原
子爆弾の傷害作用の影響を受け,今なお特別の状態にあるものに対し,特別
手当の支給等の措置を講ずることにより,その福祉を図ることを目的として,
被爆者特別措置法が制定された。
同法は,原爆医療法上の原爆症認定を受けた者であって,同認定に係る疾
病等の状態にあるものに対し,特別手当を支給すること(2条1項)や,被
爆者であって,原爆医療法7条1項の規定による医療の給付を受けているも
のに対し,医療手当を支給すること(7条)などを定めていた。
その後,昭和49年法律第86号による改正により,原爆症認定を受けた被爆
者であって,当該認定に係る疾病等の状態でなくなったものを支給の対象と
する特別手当が創設され(改正後の同法2条,さらに,昭和5

6年法律第70
号による改正により,原爆医療法に基づく医療手当と被爆者特別措置法に基
づく特別手当を統合した医療特別手当が創設され,原爆症認定を受けた被爆
者であって当該認定に係る疾病等の状態にあるものは,医療特別手当の支給
を受けることができることとされた(改正後の同法2条。


被爆者援護法の制定
-4-

平成6年に,原爆医療法及び被爆者特別措置法(旧原爆2法)を一元化す
るものとして,被爆者援護法が制定され,平成7年7月1日に施行され,旧
原爆2法は廃止された。
(2)
被爆者援護法の内容

被爆者援護法の趣旨目的
被爆者援護法は,その前文において,以下のとおり同法の趣旨目的を記し
ている。
「昭和20年8月,広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のな
い破壊兵器は,幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず,たとい一命
をとりとめた被爆者にも,生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し,
不安の中での生活をもたらした。
このような原子爆弾の放射能に起因する健康被害に苦しむ被爆者の健康
保持及び増進並びに福祉を図るため,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律
及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律を制定し,医療の給付,
医療特別手当等の支給をはじめとする各般の施策を講じてきた(中略。

国の責任において,原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する
健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ,高齢
化の進行している被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護
対策を講じ(中略)るため,この法律を制定する」


被爆者の定義
被爆者援護法における「被爆者」の定義は,原爆医療法上の被爆者と同じ
く,直接被爆者,入市被爆者,救護被爆者,胎児被爆者のいずれかに該当す
る者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものとされている(1条。


被爆者健康手帳
都道府県知事は,申請に基づいて審査し,1条の被爆者に該当すると認め
るときは,その者に被爆者健康手帳を交付する(2条。

-5-


被爆者に対する援護
(ア)
健康管理
都道府県知事は,被爆者に対し,毎年,厚生労働省令で定めるところに
より,健康診断を行い(7条,同健康

断の結果必要があると認めると
きは,当該健康診断を受けた者に対し,必要な指導を行う(9条。

(イ)
医療の給付
厚生労働大臣は,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,又は疾病にか
かり,現に医療を要する状態にある被爆者に対し,必要な医療の給付を行
う。ただし,当該疾病等が原子爆弾の放射能に起因するものでないときは,
その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を
要する状態にある場合に限る(10条1項。

上記医療の給付を受けようとする者は,あらかじめ,原爆症認定を受け
なければならない(11条1項。

(ウ)
一般疾病医療費の支給
厚生労働大臣は,被爆者が,上記(イ)の医療の給付を受けることができ
る疾病以外で,指定医療機関等から医療を受けたときは,当該医療に要し
た費用の額を限度として,一般疾病医療費を支給することができる(18条
1項。

(エ)
医療特別手当の支給
都道府県知事は,原爆症認定を受けた者であって,当該認定に係る疾病
等の状態にあるものに対し,医療特別手当を支給する(24条1項。同項

に規定する者は,医療特別手当の支給を受けようとするときは,同項に規
定する要件に該当することについて,都道府県知事の認定を受けなければ
ならない(同条2項。医療特別手当

は,月を単位として支給するものと
し,その額は,1月につき13万5400円である(同条3項。

(オ)
特別手当の支給
-6-

都道府県知事は,原爆症認定を受けた者に対し,

特別手当月額5万円)
を支給する。ただし,その者が医療特別手当の支給を受けているときは,
この限りでない(25条。

(カ)
健康管理手当の支給
都道府県知事は,被爆者であって,造血機能障害,肝臓機能障害その他
厚生労働省令で定める障害を伴う疾病(原子爆弾の放射能の影響によるも
のでないことが明らかであるものを除く)にかかっているものに対し,

健康管理手当(月額3万3300円)を支給する(27条。

(キ)
保健手当の支給
都道府県知事は,被爆者のうち,原子爆弾が投下された際爆心地から2
kmの区域内に在った者又はその当時その者の胎児であった者に対し,保健
手当(月額1万6700円)を支給する。ただし,厚生労働省令で定める範囲
の身体上の障害(原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らか
であるものを除く)
。がある者等については,その額を3万3300円とする
(28条。

(ク)
その他の手当等の支給
都道府県知事は,一定の要件を満たす被爆者に対し,上記各手当以外に
も,原

子爆弾小頭症手当26条),

介護手当31条)等を支給する。なお,
介護手当の支給対象者は,被爆者であって,厚生労働省令で定める範囲の
精神上又は身体上の障害を伴う疾病(原子爆弾の放射能の影響によるもの
でないことが明らかであるものを除く。)により介護を要する状態にあり,
かつ,介護を受けているものとされている。
(3)
被爆者援護法の定める原爆症認定制度の概要

原爆症認定要件

要医療性
被爆者が現に医療を要する状態にあること

放射線起因性
現に医療を要する疾病等が原子爆弾の放射線に起因す
-7-

るものであるか,又は上記疾病等が放射線以外の原子爆
弾の傷害作用に起因するものであって,その者の治癒能
力が原子爆弾の放射線の影響を受けているため上記状態
にあること

原爆症認定の申請手続
原爆症認定を受けようとする者は,都道府県知事を経由して,厚生労働
臣に,疾病等の名称,被爆時以降における健康状態の概要等を記載した認定
申請書に,医師の意見書及び当該疾病等に係る検査成績を記載した書類を添
えなければならないものとされ,上記医師の意見書には,①疾病等の名称,
②被爆者健康手帳の番号,③被爆者の氏名及び生年月日,④既往症,⑤現症
所見,⑥当該疾病等が原子爆弾の放射能に起因する旨,原子爆弾の傷害作用
に起因するも放射能に起因するものでない場合においては,その者の治ゆ能
力が原子爆弾の放射能の影響を受けている旨の医師の意見,⑦必要な医療の
内容及び期間,を記載すべきものとされている(被爆者援護法施行令8条1
項,同法施行規則12条。


審議会等の意見聴取
(旧)被爆者援護法によれば,厚生大臣の諮問に応じ,被爆者の医療等に関
する重要事項を調査審議させるため,厚生省に,学識経験のある者のうちか
ら厚生大臣が任命する20人以内の委員で組織された医療審議会を置くものと
され(3条,4条,
)厚生大臣は,原爆症認定を行うに当たっては,同審議
会の意見を聴かなければならないものとされていた(11条2項。

被爆者援護法は,厚生労働大臣は,原爆症認定を行うに当たって,審議会
等(国家行政組織法8条に規定する機関をいう)で政令で定めるものの意

見を聴かなければならないとし(11条2項,同法施行令においてその審議

会等は「認定審査会」とされた。
そして,認定審査会は,委員30人以内で組織し,特別の事項を審査させる
-8-

ため必要があるときは,臨時委員を置くことができ,これら委員及び臨時委
員は,学識経験のある者のうちから,厚生労働大臣が任命するものとされて
いる(疾病・認定審査会令1条,2条。また,同審査会に,被爆者援護法

の規定に基づき認定審査会の権限に属させられた事項を処理する分科会とし
て,医療分科会を置くものとされ,同分科会に属すべき委員及び臨時委員等
は,厚生労働大臣が指名するものとされている(同令5条。


認定書の交付
厚生労働大臣は,原爆症認定の申請書を提出した者につき原爆症認定をし
たときはその者の居住地の都道府県知

事を経由して認定書を交付する

(被
爆者援護法施行令8条2項。

(4)
当事者

1審原告ら
(ア)
X1
X1は,昭和2年*月*日生の女性であるが,18歳であった昭和20年8
月6日午前8時15分,広島市千田町所在の廣島赤十字病院寄宿舎(爆心地
からの距離は約1.5km)で被爆した。X1は,その後被爆者健康手帳の交
付を受け,平成13年9月20日,疾病等名を右眼球癆として,1審被告厚生
労働大臣に対し,被爆者援護法11条1項に基づく原爆症認定申請をしたと
ころ,同大臣は,同年7月1日付けで同申請を却下する旨の本件X1却下
処分(厚生労働省発健第****号)をした。X1は,同月10日,同処分
を知り,同年9月6日付けで,同大臣に対し,行政不服審査法に基づく異
議申立てをしたのち,平成15年5月27日,大阪地方裁判所に対し,同処分
の取消し等を求める本件訴えを提起した(書証番号略。

(イ)
X2
X2は,昭和5年*月*日生の女性であるが,15歳であった昭和20年8
月9日午前11時2分,長崎市a町所在の自宅内(爆心地からの距離は約3.
-9-

3km)で被爆した。X2は,その後被爆者健康手帳の交付を受け,平成14
年4月23日付けで,疾病等名を甲状腺機能低下症として,1審被告厚生労
働大臣に対し,被爆者援護法11条1項に基づく原爆症認定申請をしたとこ
ろ,同大臣は,同年9月9日付けで同申請を却下する旨の本件X2却下処
分(厚生労働省発健第****号)をした。X2は,同月21日,同処分を
知り,同年11月17日付け(同月18日受付)で,同大臣に対し,行政不服審
査法に基づく異議申立てをしたのち,平成15年5月27日,大阪地方裁判所
に対し,同処分の取消し等を求める本件訴えを提起した(書証番号略)
(ウ)
X3
X3は,昭和12年*月*日生の女性であるが,8歳であった昭和20年8
月6日午前8時15分,広島市b町*丁目所在の自宅(株式会社A工務店の
社宅。爆心地からの距離は約3km弱)から広島市bd丁目(ただし,昭和
60年当時の住所表示)所在の広島市立c小学校分校(現在の広島市立b小
学校,爆心地からの距離は約2km)に向かう途中の畑のあぜ道で被爆した。
X3は,その後被爆者健康手帳の交付を受け,平成14年6月6日付けで,
疾病等名を胃がんとして,1審被告厚生労働大臣に対し,被爆者援護法11
条1項に基づく原爆症認定申請をしたところ,同大臣は,同年10月15日付
けで同申請を却下する旨の本件X3却下処分(厚生労働省発健第****
号)をした。X3は,同月21日,同処分を知り,同年12月18日付け(同月
19日受付)で,同大臣に対し,行政不服審査法に基づく異議申立てをした
のち,平成15年5月27日,大阪地方裁判所に対し,同処分の取消し等を求
める本件訴えを提起した(書証番号略。

(エ)
X4
X4は,昭和6年*月*日生の男性であるが,14歳であった昭和20年8
月6日午前8時15分,比治山橋詰(爆心地からの距離約1.8~1.9km)で被
爆した。X4は,その後被爆者健康手帳の交付を受け,平成14年7月31日
-10-

付けで,疾病等名を右2指有棘細胞がん,右2指の末節部の切断術として,
1審被告厚生労働大臣に対し,被爆者援護法11条1項に基づく原爆症認定
申請をしたところ,同大臣は,同年12月20日付けで同申請を却下する旨の
本件X4却下処分(厚生労働省発健第****号)をした。X4は,平成
15年1月11日,同処分を知り,同年3月6日付けで,同大臣に対し,行政
不服審査法に基づく異議申立てをしたのち,同年7月28日,大阪地方裁判
所に対し,同処分の取消し等を求める

本件訴えを提起した書証番号略)。
(オ)
X5
X5は,昭和8年*月*日生の男性であるが,12歳であった昭和20年8
月6日午前8時15分,比治山橋東詰近くの広島県立j中学校の校庭(爆心
地からの距離は約2km弱。なお,X5は1.75kmと主張している)で被


した。X5は,その後被爆者健康手帳の交付を受け,平成10年11月9日付
け(同月10日受付で


,病等名を喉頭腫瘍として厚生大臣に対し

(
,旧)
被爆者援護法11条1項に基づく原爆症認定申請をしたところ,同大臣は,
同年12月28日付けで同申請を却下する旨の本件X5却下処分(厚生省収健
医第**号)をした。X5は,平成12年2月2日,同処分を知り,同日付
けで,同大臣に対し,行政不服審査法に基づく異議申立てをし,平成15年
5月23日付けで1審被告厚生労働大臣の同申立てを棄却する旨の決定を受
けた後,同年7月28日,大阪地方裁判所に対し,本件X5却下処分の取消
し等を求める本件訴えを提起した(書証番号略。

(カ)
X6
X6は,大正13年*月*日生の女性であるが,20歳であった昭和20年8
月6日午前8時15分,広島駅前の猿猴橋商店街にあった父のいとこのB宅


建物内爆心地からの距離約1.9km。なお,X6は1.8kmと主張している。)
において被爆した。X6は,その後被爆者健康手帳の交付を受け,平成14
年11月15日付け(同年12月6日受付で

疾病等名を甲状腺機能低下症

(橋
-11-

本病)として,1審被告厚生労働大臣に対し,被爆者援護法11条1項に基
づく原爆症認定申請をしたところ,同大臣は,平成15年7月23日付けで同

申請を却下する旨の本件X6却下処分厚生労働省発健第**号)をした。
X6は,同年8月7日ころ,同処分を知り,同年11月5日,大阪地方裁判
所に対し,同処分の取消し等を求める

本件訴えを提起した書証番号略)。
(キ)
X7
X7は,大正14年*月*日生の男性であるが,20歳であった昭和20年8
月6日の夕方ころに広島市内に入り,同市内において被爆者の救護作業や
死体処理作業等に従事した。X7は,その後被爆者健康手帳の交付を受け,
平成10年12月4日付け(平成11年1月4日受付)で,疾病等名を椎骨脳底
動脈(後下小脳動脈付近)循環不全,脳梗塞後遺症,高血圧症として,厚
生大臣に対し,(旧)被爆者援護法11条1項に基づく原爆症認定申請をした
ところ,同大臣は,平成11年6月23日付けで同申請を却下する旨の本件X
7却下処分(厚生省収健医第**号)をした。X7は,同月30日,同処分
を知り,同年8月10日付けで,同大臣に対し,行政不服審査法に基づく異
議申立てをし,平成15年8月5日付けで同異議申立てを棄却する旨の1審
被告厚生労働大臣の決定を受けたのち,同年11月5日,大阪地方裁判所に
対し,本件X7却下処分の取消し等を求める本件訴えを提起した(書証番
号略。

(ク)
X8
X8は,大正15年*月*日生の男性であるが,19歳であった昭和20年8
月7日原子爆弾が投下された直後の広島市内に入り,同市内において遺体
処理作業に従事した。X8は,その後被爆者健康手帳の交付を受け,平成
14年9月25日付けで,疾病等名を貧血として,1審被告厚生労働大臣(認
定申請書〈乙I1〉の名あて人は厚生大臣)に対し,被爆者援護法11条1
項に基づく原爆症認定申請をしたところ,同大臣は,平成15年3月26日付
-12-

けで同申請を却下する旨の本件X8却下処分(厚生労働省発健第****
号)をした。X8は,同年4月3日,同処分を知り,同年5月29日付けで,
同大臣に対し,行政不服審査法に基づく異議申立てをしたのち,同年11月
5日,大阪地方裁判所に対し,同処分の取消し等を求める本件訴えを提起
した(書証番号略。

(ケ)
X9
X9は,昭和2年*月*日生の女性であるが,17歳であった昭和20年8
月9日午前11時2分,長崎市d郷にあったC兵器e女子寮内(爆心地から
の距離は約2.1km)で被爆した。X9は,その後被爆者健康手帳の交付を
受け,平成15年1月17日付けで,疾病等名を肺がん及び転移性脳腫瘍とし
て,1審被告厚生労働大臣に対し,被爆者援護法11条1項の規定に基づく
原爆症認定申請をしたところ,同大臣は,同年9月9日付けで同申請を却
下する旨の本件X9却下処分(厚生労働省発健第****号)をした。X
9は,そのころ同処分を知り,平成15年11月5日,大阪地方裁判所に対し,
同処分の取消し等を求める本件訴えを提起した(書証番号略。

以上を一覧の便宜のため,表にすると,次のようになる。

名X1
認定申請日平13.9.20



日昭2.*.*生
申請疾病名右眼球癆

別女性
原処分日平14.7.1
被爆時年齢18歳
処分を知った日平14.7.10



所広島市千田町
異議申立日平14.9.6
廣島赤十字病院寄宿舎
本訴提起日平15.5.27
爆心地からの距離約1.5㎞

名X2
認定申請日平14.4.23



日昭5.*.*生
申請疾病名甲状腺機能低下症

別女性
原処分日平14.9.9
被爆時年齢15歳
処分を知った日平14.9.21



所長崎市a町
自宅
異議申立日平14.11.18
爆心地からの距離約3.3㎞
本訴提起日平15.5.27
-13-


名X3
認定申請日平14.6.6



日昭12.*.*生
申請疾病名胃がん

別女性
原処分日平14.10.15
被爆時年齢8歳
処分を知った日平14.10.21



所広島市b町
あぜ道
異議申立日平14.12.19
爆心地からの距離2~3㎞
本訴提起日平15.5.27

名X4
認定申請日平14.7.31



日昭6.*.*生
申請疾病名右2指有棘細胞がん

別男性
右2指の末節部の切断術
被爆時年齢14歳
原処分日平14.12.20



所広島市内
比治山橋詰
処分を知った日平15.1.11
爆心地からの距離1.8~1.9km
異議申立日平15.3.6
本訴提起日平15.7.28

名X5
認定申請日平10.11.10



日昭8.*.*生
申請疾病名喉頭腫瘍

別男性
原処分日平11.12.28
被爆時年齢12歳
処分を知った日平12.2.2



所広島市内比治山東詰近く異議申立日平12.2.2
のj中学校の校庭
本訴提起日平15.7.28
爆心地からの距離約2㎞弱

名X6
認定申請日平14.11.15



日大13.*.*生
申請疾病名甲状腺機能低下症(橋本病)

別女性
原処分日平15.7.23
被爆時年齢20歳
処分を知った日平15.8.7



所広島駅前猿猴橋商店街
異議申立日(申立の有無を含め)不明
B宅
本訴提起日平15.11.5
爆心地からの距離約1.9㎞

名X7
認定申請日平10.12.4



日大14.*.*生
申請疾病名椎骨脳底動脈(後下小脳動脈

別男性
付近)循環不全,脳梗塞後遺
被爆時年齢20歳
症,高血圧症



所広島市
原処分日平11.6.23
爆心地からの距離入市被爆者
処分を知った日平11.6.30
異議申立日平11.8.10
本訴提起日平15.11.5
-14-


名X8
認定申請日平14.9.25



日大15.*.*生
申請疾病名貧血

別男性
原処分日平15.3.26
被爆時年齢19歳
処分を知った日平15.4.3



所広島市
異議申立日平15.5.29
爆心地からの距離入市被爆者
本訴提起日平15.11.5

名X9
認定申請日平15.1.17



日昭2.*.*生
申請疾病名肺がん及び転移性脳腫瘍

別女性
原処分日平15.9.9
被爆時年齢17歳
処分を知った日不明



所長崎市d郷
異議申立日(申立の有無を含め)不明
兵器e寮
本訴提起日平15.11.5
爆心地からの距離約2.1㎞

1審被告厚生労働大臣
1審被告厚生労働大臣は,平成13年1月6日に施行された中央省庁等改革
関係法施行法(平成11年法律第160号)753条による改正後の被爆者援護法11
条1項に基づき,原爆症認定をする権限を有する行政庁である。なお,上記
改正前における被爆者援護法11条1項の原爆症認定権限を有していた厚生大
臣がした同項所定の処分については,中央省庁等改革関係法施行法130条1
項により,1審被告厚生労働大臣がしたものとみなされる(したがって,X
5及び同X7の各申請に係る処分等に関しても,以後,原則として「厚生労
働大臣」と表記する。。


争点
本件の争点は,①
放射線起因性の判断基準,②
1審原告らの原爆症認定要
件(放射線起因性,要医療性)該当性,③
1審被告国に対する国家賠償請求の
成否の3点である。
第3章
争点に対する当事者の主張の要旨
第1
放射線起因性の判断基準(争点①)
-15-

【1審原告らの主張】

原爆被害の実態
(1)
原爆投下による被害(人間と都市の破壊)

概要
広島に投下された原爆はウラン爆弾であり,TNT火薬に換算して約15kt
キロトン)の威力をもち,また,長崎に投下された原爆はプルトニウム
弾であり,TNT火薬に換算して約22ktの威力を有した。
原爆投下による昭和25年末までの死者は,広島で20万人,長崎で10万人を
超えると推定されており,爆風,熱線,火災により灰じんに帰した総面積は,
広島で13㎢,長崎で6.7㎢とされ,広島では約68%,長崎では約25%の建物
が全壊・全焼したとされている。このように,原爆による被害は筆舌に尽く
し難く,被爆後62年を経過した今日においても死者数すら正確に把握されて
いない。辛うじて死を免れた者も,原爆による様々な急性症状や後障害に苦
しめられることになった。

熱線による被害
核爆発の瞬間,温度は数百万度に達し,やがて表面温度が7000度にも達す
る火球が作り出された(太陽の表面温度は約6000度。
)この火球からの熱線
が,多くの焼死者を生み出し,火傷を負わせ,家屋の火災等甚大な被害を及
ぼした。熱線による火傷は,広島で爆心から5km,長崎では4kmの地点にま
で及んだ。

衝撃波と爆風による被害
原爆が空中で爆発すると,桁違いの高圧により発生した衝撃波が,爆発点
から球面状に,爆心地付近は音速より速く,遠距離になるにつれて音速です
べての方向に進行した。また,衝撃波の通過直後を追うように強烈な爆風が
-16-

発生し,その風速は爆心地から500m地点で秒速280mというすさまじいもの
であった。その結果,人体内臓破裂,外傷,建築物の破壊等,多くの被害
が生じた。

放射線による被害
原爆の核分裂の連鎖反応によって,莫大な数の中性子線ガンマ線その他
の放射線が放射された。放出された中性子線ガンマ線は,大気中や地上の
原子核に散乱,吸収されて線量を減少させながら地上に到達した。大量のガ
ンマ線を吸収して作られた火球からもガンマ線が放出された。そのガンマ線
中性子線を原子核が吸収するなどして放射性原子核になると,そこからも
ガンマ線等が放出された。また,火球に含まれていた様々な放射性物質が,
黒い雨,黒いすす,あるいは放射性微粒子となって,広範囲にわたり地上に
降ってきた。
これらの放射線による人体への影響は,様々な経路をたどってもたらされ
た。大きくは,初期放射線の被曝と残留放射線の被曝に分けられる。そして,
残留放射線による被曝は,誘導放射線による被曝と,未分裂の核物質,核分
裂生成物,誘導放射化された放射性物質などの放射性降下物による被曝に分
けられる。また,残留放射線による被曝は,人体外部からの被曝だけでなく,
放射性物質を呼吸や飲食等により体内に摂取することによる内部被曝があ
る。そのため,初期放射線のほとんど到達しなかった遠距離被爆者及び救助
・看護活動等のために被爆地以外の都市から広島,長崎市内に入ってきた者
も放射線に被曝するに至った(入市被爆者。

(2)
放射線による被害の態様

急性症状
被爆者には,被爆直後から発熱,下痢,喀血,吐血,下血,血尿,吐気,
嘔吐,脱毛,脱力感,倦怠,鼻出血,歯齦出血,生殖器出血,皮下出血,発
熱,咽頭痛,口内炎,白血球減少,赤血球減少,無精子症,月経異常などの
-17-

様々な急性症状が現れた。

慢性症状(長期にわたる後障害)
放射線被曝により,被爆者は,様々な後影響(後障害)に苦しめられるこ
とになった。当初は,がん疾患への影響が報告されていたが,現在はがん疾
患以外の様々な疾患に対する影響が報告されている。
放射線被曝による後障害としては,白血病を含むがん,白内障,心筋梗塞
症を始めとする心疾患,脳卒中,肺疾患,肝機能障害,消化器疾患,晩発性
の白血球減少症や重症貧血などの造血機能障害,甲状腺機能低下症,慢性甲
状腺炎,被爆当日に生じた外傷の治癒が遅れたことによる運動機能障害,ガ
ラス片や異物の残存による障害を残している場合などが考えられるが,未解
明の点が残されている現在,限定的にとらえられてはならない。

原爆ぶらぶら病(慢性原子爆弾症)
さらに,被爆者は,被爆後原因不明の全身性疲労,体調不良状態,労働
続困難などのいわゆる原爆ぶらぶら病に悩まされることになった。
(3)
放射線が人体に与える影響

外部被曝
(ア)
初期放射線
原爆が炸裂し,100万分の1秒以内に核分裂が繰り返され,ガンマ線
中性子線が放出された(初期放射線。こ

れらの放射線は,瞬時に地表に
到達し,建物等様々な物質を通り抜け,そこにいた人々の身体を貫き,細
胞組織や遺伝子を破壊した(初期放射線による外部被曝。

また,中性子線は,空気,水,土,建造物など,あらゆる物質の原子核
に衝突して,正常な原子核を放射性原子核へと変え,新たな放射線を生み
出した。その最も危険なものがガンマ線である。建物の壁や屋根,地面な
どに中性子線が当たると,それらを構成する原子自体からガンマ線が発生
した。
-18-

しかし,原爆の放射線の人体に対する影響は,この初期放射線による外
部被曝に限られなかった。
(イ)
放射性降下物
分裂の連鎖反応と同時に,大量の放射性核分裂生成物(「死の灰」と
呼ばれる)が生成された。この放射

性核分裂生成物は,主にベータ線
ガンマ線を放出する。また,広島原爆のウラン235及び長崎原爆のプルト
ニウム239のうち実際に核分裂を起こしたのは一部(ウラン235は約60kg中
700g,プルトニウム239は約8kg中1~1.1kg)であり,残った未分裂の核
分裂物質も,自らアルファ線を放出し,次々と種類の違う放射性原子に姿
を変えながら,ガンマ線ベータ線を放出する。さらに,原爆の装置と容
器が核分裂で生成された中性子を吸収して誘導放射化され,これも放射線
を放出する。これらが爆発直後の火球の中に含まれていた。
原爆の火球が膨張し,上昇して温度が下がると,火球に含まれていた様
々な放射性物質は,放射性微粒子あるいは「黒いすす」となる。更に上昇
して温度が下がると,この放射性微粒子や黒いすすが空気中の水蒸気を吸
着して水滴となり,放射性物質を大量に含んだきのこ雲が作られる。きの
こ雲からも放射線の放出は続いた。きのこ雲は更に上昇しながら成長し,
遂には崩れて広範囲に広がっていく。大きくなった水滴は放射能を帯びた
「黒い雨」となって地上に降り注いだ。
また,原爆の熱線によって発生した空前の大火災によって巨大な火事嵐
や竜巻が生じ,誘導放射化された地上の土砂や物体が巻き上げられて,再
び黒い雨や黒いすすとともに地上に降り注いだ。広島原爆投下後には非常
に広範囲に飛散降下物が広がっていることが示されており,このことから
も,原爆の威力がすさまじく,想像を絶する上昇気流が発生していたこと
が理解できる。
そして,黒いすす,黒い雨や降下してきた放射性微粒子などの放射性降
-19-

下物は,初期放射線を浴びた直接被爆者のみならず,原爆投下時には市内
にいなかったが,救援や家族を探し求めるため市内に入った人々(入市被
爆者)の皮膚や髪,衣服に付着し,あるいは大気中や地面から,アルファ
線,ベータ線及びガンマ線を放出して身体の外から被曝させた(放射性降
下物による外部被曝。

なお,放射性降下物は,1審被告らが主張する,広島における己斐,高
須地区,長崎における西山地区という限定された地区にとどまらず,非常
に広範な地域に及んでいる。
(ウ)
誘導放射能
爆心地に近いところでは,初期放射線の大量の中性子によって,地上及
び地上付近の物質の原子核が放射性原子核となり(誘導放射化,それに

よって放射線を放出する誘導放射能はガンマ線ベータ線を放出し続け
て,直接被爆者及び入市被爆者の体外から継続的に放射線を浴びせ続けた
(誘導放射能による外部被曝。誘導放射

能は中性子線量の多い爆心地に
近いところほど強いことから,原爆投下直後に爆心地近くに入市した被爆
者はこの誘導放射能の影響を強く受けた。
(エ)
ケロイド形成
初期放射線による外部被曝は,ケロイドの形成にも影響した。すなわち,
原爆によって生じたケロイド(熱傷による創面修復のための瘢痕組織が過
剰に増生し肥厚する状態)は,原爆炸裂により放出された熱線によるもの
であるが,それは単なる炎症性の変化ではなく,腫瘍性の変化を特徴とし
た。その発生原因としては,放射線によって人体内部が誘導放射化され,
長期にわたって内部被曝を受け続けていることが考えられている。あるい
は,放射性降下物ケロイドの中に閉じこめられて,継続的に内部被曝
ていることが考えられる。

内部被曝
-20-

(ア)
内部被曝の態様
内部被曝とは身体内部にある放射線源から放射線被曝することをいう。
原爆の爆発により生じた未分裂核物質や核分裂生成物,誘導放射化され
た放射性物質等が,被爆者の体内に入り込み,これらの放射性物質が被爆
者の体内で放射線を放出する。
(イ)
放射性物質が体内に取り込まれる経路
放射性物質が人体内に進入する経路としては,①
放射化した飲食物や
放射性物質が付着した飲食物を摂取する(経口摂取,②

空気中に浮遊
している放射性物質を吸引して摂取する(吸入摂取,③

皮膚や傷口を
通して直接人体内に入り込む(経皮摂取,という3つの経路がある。

内部被曝では,放射性微粒子が身体の一定場所に沈着したり,血液やリ
ンパ液と共に運ばれたり,腸や皮膚から吸収されて,体の中全体が被曝を
することになる。
(ウ)
内部被曝の影響
放射性物質が人体内に入った場合,その一部人体メカニズムにより
体外に排出されるが,残りは体内にとどまって人体内で放射線をまき散ら
すことになる。
第1に,ガンマ線の場合には,その線量は線源からの距離に反比例する。
したがって,質量の同一核種であっても,体外に存在する場合に受ける体
外被曝と比べて,体内に入った場合に受ける体内被曝(内部被曝)は,格
段に大きくなる。
第2に,飛程距離の短いアルファ線ベータ線の問題がある。ベータ線
は生物組織の中ではせいぜい1cmしか透過せず,また,アルファ線の飛程
距離は0.1mm以内である。したがって,べータ線やアルファ線を放出する
核種が体内に入ってくると,飛程距離の短いこれら放射線のエネルギー
ほとんどすべてが吸収され,体内からの被爆が桁違いに大きくなる。殊に
-21-

アルファ線の生物学的効果比(RBE)は大きく,1Gyで10~20Svにもな
る。このように,アルファ線は短い飛程距離の中で集中的に組織にエネル
ギーを与えて多くの染色体や遺伝子の接近した箇所を切断する。のみなら
ず,電離密度が大きいために,DNAの二重らせんの両方が切断され,誤
った修復をする可能性が増大する。
第3に,濃縮の問題がある。人工性放射線核種には,生体内で著しく濃
縮されるものが多いが,例えば,ヨウ素131なら甲状腺,コバルトやスト
ロンチウム90なら骨組織,放射性セシウムなら筋肉と生殖腺というように,
核種によって濃縮される組織や器官が特異的に決まっている。また,その
微粒子が水溶性の程度によって,移動する形態も変わり,これらが特定の
体内部位にとどまって集中的に放射線を浴びせると深刻な被害をもたらす
ことになる。
第4に,継時性の問題がある。ある放射性核種の体内への取込みがあっ
て,その核種が体内に沈着・濃縮されたとすると,その核種の寿命に応じ
内部被曝が続くことになる。この点は,放射線源から遠ざかれば放射線
被曝を止めることができる外部被曝と根本的に異なる。また,体の外から
浴びるガンマ線が体のあちこちに傷を付けるというのとは異なり,体内
取り込まれた放射性物質は沈着部位の比較的近傍にエネルギーを大量に与
えて破壊するような仕方で被曝を与える。
以上のとおり,人工放射線核種は内部被曝により自然放射線核種の内部
被曝よりも桁違いに大きな,かつ深刻な影響を及ぼすが,その最も大きな
要因は,自然放射線核種とは異なり,人工放射線核種は生体内で濃縮され
る点にあるとされる。すなわち,自然放射性核種の場合は生物が進化の過
程で獲得した適応力が働いて体内代謝し,体内濃度を一定に保つのに対
し,自然界には存在しない人工放射性核種の場合,体内に取り込んで濃縮
し,深刻な内部被曝を引き起こすことになるのである。そして,この場合
-22-

には,体内に取り込んで長時間をかけて放射線を浴びることになるので,
急性症状が遅れて発症することが当然考えられる。このように,放射線に
よる人体への影響は,時間をかけて放射線を浴び続けるために,被爆後長
期間経過してからも後障害が発症するという特徴がある。

放射線が人体に与える影響の機序
(ア)
急性障害
放射線,とりわけ人体への破壊力が大きな中性子線を浴びた人体内では,
腸などの消化器系の内臓,血液を造る骨髄などで,細胞が自らの機能を停
止させ死んでいく細胞自殺(アポトーシス)を起こす。そのため,内臓の
機能が低下し,死に至る。被爆後,やけどなどの外傷が少ないのに,被爆
から数日後に死んでいった人の多くは,このアポトーシスが起こり,腸内
での出血が止まらない,骨髄が損傷し造血不良が起こったことなどが原因
で死に至ったと考えられる。
死に至らない場合でも,消化器系の粘膜は放射線に対する感受性が高い
ため,例えば,胃腸の粘膜の場合には剥離をしたり,びらんを起こしたり
して,自覚症状として,悪心,嘔吐,下痢などの急性症状として現れる。
しかし,このような急性症状は現われないが,後に放射線の影響で晩発
生障害が発生する被爆者もいる。とりわけ,内部被曝の場合には,しきい
値を確定することは困難であり,直接被曝の場合と急性症状の現れ方も異
なる。
(イ)
晩発性障害
放射性物質は,原子の真ん中にある原子核の周りを回っている電子にエ
ネルギーを与えて,電子が原子や分子から外にはじき出されてしまう電離
作用をもつ。電子は分子を結合する役割を果たしているが,その分子がは
じき飛ばされると,結合していた分子は壊れてしまう。具体的には,体内
のDNAのらせんの間を鎖のように結ぶアミノ酸が放射線を浴びて切断さ
-23-

れ,集中的に破壊作用が起きると修復機能が正常に機能せず,様々な障害
を引き起こす原因になる(放射線の直接作用。

また,ガンマ線が細胞の中の水分子に当たると,水がプラスイオンとマ
イナスイオンに電離し,そのマイナスイオンがDNAの二重らせんに到着
すると,化学反応を起こして二重らせ

んを切断する放射線の間接作用)。
これが一箇所だけ切断された場合には,ほとんどが元の正常な形に修復す
る機能を保つが,これが集中的に生じると,修復を誤るなどの事態が生じ
て,深刻な症状を引き起こすことになる。
ガンマ線が体内の原子の中に衝突すると,そのガンマ線のエネルギーを
電子がもらって走り出す。その電子は電気を持っているので,次々と周辺
の原子の中から電子にエネルギーを与えてどんどん電子を跳ね飛ばす

(密
度の低い電離作用。

一方,中性子は,電子を持っていないので直接電離作用はしないが,中
性子が体の中の陽子にぶつかると,電気を持った陽子が走り出し,この陽
子が集中した電離作用を引き起こす(密度の高い電離作用。
)いずれも身
体に深刻な影響を与える。
このように,放射線はDNAを損傷し,遺伝的な影響,晩発性のがんを
引き起こすなどの重大な影響を与えるが,それだけではなく,細胞膜など
の破壊による深刻な被害なども引き起こす。つまり,細胞に取り込まれた
結果,そこでベータ線等を出せば,細胞の膜が傷つけられることが当然起
こる。ベータ線の場合は,ガンマ線に比べて一定の距離を進む間に起こす
電離の数が多いので,ガンマ線の場合には素通りしていったり,まばらに
しか電離あるいは励起という作用を起こさないのに比して,ベータ線では
もっと濃密度で起こすので,細胞膜が傷つくことが起こり得るのである。
もちろん,これらが内部被曝単独で生じるのではなく,外部被曝の影響
をも合わせて起こり得るものであり,両方の影響を考慮する必要がある。
-24-

また,酸素は細胞の中に取り込まれ,命を作る運動をする。この酸素が
放射線にぶつかると電気を帯び,人体に有害な活性酸素に変化する。電気
を帯びた活性酸素は,人間の細胞を防護している細胞膜の電気に影響して
穴があく。その中に放射線が入った場合の影響については,科学的には解
明されていないが,放射線による桁違いのエネルギーにより新陳代謝が大
きな影響を受けて動揺し不安定になる。これが内部被曝の一番最初の影響
であり,被害の本質である。影響を受ける細胞が体細胞,つまり胃や肺,
肝臓という臓器である場合には,突然変異を受けてがん細胞に変わってい
き,生殖細胞の場合には,遺伝子に傷がついて遺伝に障害が生じる。
さらに,初期の物理的過程により,原子や分子の化学的結合が切れて放
射線分解が起こると,遊離基(1個又は複数個の不対電子を有する原子や
分子で,フリーラジカルという)
。が生成する。これを物理化学的過程と
いい,10億分の1秒程度の時間内に起こる。人体内に放射線が入ったと
きに生成する遊離基は,人体の主成分である水分子の変化したものが多い。
遊離基は極めて不安定で非常に反応性に富むため,他の遊離基又は安定分
子と直ちに反応する。遊離基が生物学的に重要な分子である細胞内のタン
パク質や核酸と反応して変化を起こし結果として細胞に損傷を与える

(放
射線の間接作用。


原爆症認定のあり方
(1)
国家補償制度としての原爆症認定のあり方
被爆者援護法前文には,核廃絶及び平和への願いが示され,また,被爆者の
置かれた状況を理解し,国の責任において被爆者を援護するということが示さ
れている。そうであれば,同法を解釈するに当たっては,原爆被害を正しく受
けとめ,認定制度が,国が原爆に基づく被害に対して「国家補償」する制度で
あることに見合った運用をしなければならない。
すなわち,援護に関する法律の根底には,国家による戦争開始・遂行,違法
-25-

な核兵器使用をしたアメリカに対する請求権の放棄,原爆被害の実態の隠蔽と
いう違法行為により,損害を受けた被爆者に対しては,本来,国の責任におい
て賠償を行うべきであるという国家賠償の理念があるのである。しかるところ,
国家賠償請求のためにはさまざまな要件が課せられるが,原爆被害の深刻さに
かんがみ,厳格な要件により被爆者を切り捨てることがあってはならないため,
一定の条件と必要性のある国民に対して一律の給付を行う社会保障の要素も含
めた立法とされたのである。
そのような被爆者援護法の趣旨目的からして,厚生労働大臣の裁量の幅は極
めて限定されており,その給付手続は簡易にすべきであり,その給付対象者に
ついて,援護の必要のある被爆者は,すべて認定されなければならず,法律の
趣旨目的に反するような基準を作り,それに当てはまらない者を除外すること
は許されず,給付漏れを作ってはならないのは当然である。
(2)
認定基準としての治療指針及び実施要領の意義
人類史上初めての原爆被害であって,放射線による人体への影響はまだ解明
が始まったばかりであり,誰も確実な判断ができない状況下において,厳格な
放射線起因性の証明を被爆者に要求するのは,被爆者援護の趣旨に反する。
原爆症認定基準の解釈のあり方は,昭和33年8月13日付けの厚生省公衆衛生
局長通知である「治療指針」及び「実施要領」によって明らかにされている。
実施要領においては「
,いうまでもなく放射線による障害の有無を決定する
ことは,はなはだ困難であるため,ただ単に医学的検査の結果のみならず被爆
距離,被爆当時の状況,被爆後の行動等をできるだけ精細に把握して,当時受
けた放射能の多寡を推定するとともに,被爆後における急性症状の有無及びそ
の程度等から,間接的に当該疾病又は症状が原爆に基づくか否かを決定せざる
を得ない場合が少なくない」とされ,治

療指針においても「原子爆弾被爆

者に関しては,いかなる疾病又は症候についても一応被爆との関係を考え,そ
の経過及び予防について特別の考慮がはらわれなければならず,原子爆弾後障
-26-

害症が直接間接に核爆発による放射能に関連するものである以上,被爆者の受
けた放射能特にガンマ線及び中性子の量によってその影響の異なることは当然
想像されるが,被爆者のうけた放射能線量を正確に算出することはもとより困
難である。この点については被爆者個々の発症素因を考慮する必要もあり,ま
た当初の被爆状況等を推測して状況を判断しなければならないが,治療を行う
に当たっては,特に次の諸点について考慮する必要がある」として,被爆距

離,急性症状などを挙げている。そして,被爆距離については,おおむね2km
以内のときは高度の,2kmから4kmまでのときは中等度の,4kmを超えるとき
は軽度の放射能を受けたと考えて処理してさしつかえないとしている。
これらの通知は,原爆投下直後から行われた日米合同調査団による諸調査や
原爆被爆者の調査と救護のために現地で活動した国内の医学研究者による数々
の調査報告を医学的根拠として作成されており,初期放射線のみならず残留放
射線や内部被曝の影響を含めた被爆の現実を見つめ,実態を反映した認定基準
となっている。
その後,放射線量の評価に関しては,T65DやDS86が発表されている
が,これらは現実に起こっていることを説明することができない初期放射線に
対する机上の計算式にすぎない。このような現実を説明し得ない計算に基づい
た認定によって,現在は,救済されるべき被爆者が救済されない事態が生じて
いる。
被爆者の受けた放射線量を正確に算出することの困難性は,現在においても
変わらない。そうであるならば,現在においても,原子爆弾被爆者に関して放
射線の影響によるか否かを判定する判断基準としては,現実を反映し,被爆者
をもらすことなく救済することができる上記各通知の姿勢に基づいた基準を用
いるべきである。

放射線起因性の判断のあり方
(1)
放射線起因性の要件の緩和の必要性
-27-

一般の民事損害賠償制度は,社会に発生した損害を公平に分担させることを
目的とし,被害者の被った損害を加害者に填補させることによって当事者間の
公平を図るものであり,加害行為と損害との間に相当因果関係の立証が求めら
れている。
これに対し,被爆者援護法に基づく原爆症の認定制度は,被爆者の筆舌に尽
くし難い被害の回復のためのごく一部とはいえ被害回復を保障しようとする制
度であり,このような制度目的からすれば,一般の民事損害賠償制度と同じ要
件を原爆症の認定制度における放射線起因性の判断において求めることは誤り
である。原爆症の認定という制度の意味,目的に適する起因性の要件を考える
ならば,被爆者の疾病と原爆放射線との関係について,相当因果関係とは違っ
て,当該制度にふさわしい,被爆者の被害回復に役立つ論理,すなわち,起因
性の要件の緩和こそが必要である。仮に相当因果関係説をとる場合においても,
その相当性の判断においては,援護に関する法律の目的に照らして要件判断が
行われるべきである。最高裁判所平成10年(行ツ)第43号,平成12年7月18日
第三小法廷判決(裁判集民事198号529頁(以下「松谷訴訟最高裁判決」とい

う)
。は,原爆症認定における因果関係の立証についても,通常の民事訴訟に
おける場合と異なるものではないとしているものの,実際には,原爆症の起因
性の立証における,科学的・医学的立証の困難性を認め,被爆状況等の事実面
から総合判断を求めることで,実質的に被爆者の立証責任を軽減したものと解
される。
(2)
放射線起因性の判断のあり方
1審被告らは,原因確率論が放射線起因性判断における科学的知見であると
し,これに機械的に1審原告らを当てはめて起因性を判断しようとしているが,
後述するとおり,原因確率論及びその基礎となるDS86,DS02は,疾病
の発生,死亡あるいは急性症状の発症と放射線量推計との関係を十分説明する
ことができないものであり,原因確率論は原爆症の放射線起因性に関し科学的
-28-

知見として使用することができない。そして,現在の科学水準では,どのよ
うな被曝をした者がどのような原爆症を発症するのかを推測し得る科学的知
見は存在しないといわざるを得ない。
しかし,実際に,放射線を被曝することにより,様々な人体の異変が起こり,
様々な疾病に罹患することは,経験則上認められており,また,近距離での直
爆だけでなく,遠距離,入市等による間接被曝,内部被曝により急性症状等身
体に異変が起こることも経験則上認められる。
しかるところ,このように,確固とした科学的知見が存在しない場合の放射
線起因性の判断に関し治療指針が治療上

の一般的注意として述べるところ(前
記2(2))は,起因性判断の基準として極めて妥当な内容といえるのであり,
上記のような経験則からして,被爆者である1審原告らが広島・長崎において
被爆したこと(原因)と,1審原告らが疾病に罹患したこと(結果)が存在
すれば,その疾病が放射線被曝を原因としないという特段の事情がない限り,
原因と結果との間の因果関係(起因性)が認められるべきである。

厚生労働大臣の認定基準とその問題点
(1)
概要
1審被告らは,現在,原爆症認定申請に係る疾病等の放射線起因性の判断に
おいて,DS86及びDS02による被曝線量推定が正当であり,また残留放
射線及び放射性降下物による被曝の影響が無視できるものであることを根拠と
して,原因確率という経験則を作り上げ,これに個々の被爆者を当てはめるこ
とを認定審査の基本としている。
しかし,この原因確率は,被爆者の個体差,被爆状況の違い,被爆後のそれ
ぞれの人生などの差異を無視し,疾病と性別ごとに,爆心地からの距離と被爆
時年齢で一律に起因性を判断するものであって,恣意的かつ不合理であり,被
爆者に生じた現実(遠距離被爆者や入市被爆者に急性症状が発生したことやそ
の他被爆者に現実に生じた急性症状が放射線の影響によるものであること)を
-29-

説明できず,科学的な放射線起因性の判断基準となり得るものではない。以下
詳論する。
(2)
厚生労働大臣の原爆症認定基準

旧基準
原因確率が用いられるまでの認定行政は,①
申請者の被曝線量を推定し,

疾病ごとに認定するための一定の線量が決められており,①で推定した
線量がこれを上回るか否かを検討する,というものであった(認定基準。

このような旧来の認定基準は,ある一定の線量を超えれば放射線の影響を
認める点において,放射線の人体影響一般にしきい値の議論を持ち込んでい
た。しかし,放射線の人体影響,特にがん等に関しては,しきい値のない確
率的影響であることは常識となっており,このようなしきい値論は,放射線
の人体影響についての理解を根本的に誤ったものであり,全く合理性を有し
ない基準であって,松谷訴訟最高裁判決等によっても否定されている。

「認定基準(内規)」から「審査の方針」への転換
厚生省(当時)は「DS86+しきい値理論」という全く合理性を有し

ない従前の基準を維持することができず,児玉報告書において,被爆者の性
別・各疾病ごとの寄与リスクを求める確率的影響の考え方を取り入れる形
で,新たに「DS86+原因確率理論」という基準を作り上げた。
しかし,審査の方針も,松谷訴訟最高裁判決等によって否定されたDS8
6に依拠しているものであって,合理性はない。

審査の方針による具体的審査
審査の方針の具体的内容は,以下のとおりである。
(ア)
被曝線量を推定する。
(イ)
疾病の種類及び性別によって作られた審査の方針別表に申請者の推定
被曝線量と被爆時の年齢を当てはめて原因確率を算定する。
(ウ)
原因確率がおおむね50%以上であれば申請疾患について放射線起因性
-30-

の可能性があるものとし,おおむね10%未満であればその可能性が低いも
のと推定する。
(エ)
放射線白内障については1.75Svをしきい値とする。
(オ)
申請疾患の放射線起因性に係る高度の蓋然性の有無によって判断す
る。
このように,現在の原爆症認定の実態は,原因確率への当てはめを基本と
し,特定の疾病(放射線白内障)についてはしきい値を設定して申請者の被
曝線量がそれを上回るかを判断している。

審査の方針の根拠
(ア)
被曝線量の推定
原因確率の第一段階である,申請者の被曝線量は,初期放射線による被
曝線量,誘導放射能(残留放射線)による被曝線量及び放射性降下物によ
る被曝線量を合計して計算される。
初期放射線による被曝線量は,審査の方針別表9に申請者の被爆時の爆
心地からの距離を当てはめて計算するが,この別表9は,DS86を根拠
としている。
残留放射線による被曝線量は,審査の方針別表10に,爆心地からの距離
と被爆後の経過時間を当てはめて外部被曝線量を計算する。
放射性降下物による被曝線量は,広島・長崎の特定の地域(己斐・高須
地区及び西山地区)に居住していた者についてのみ外部被曝線量を加算する。
(イ)
原因確率表の作成方法
上記(ア)において推定された被曝線量を当てはめる対象は,原因確率表
であり,同表は,児玉報告書における寄与リスクをそのまま転用しており,
その寄与リスクは,ABCCや放影研が行っている疫学調査をもとに作成
されている。
(3)
審査の方針の問題点
-31-


線量評価の誤り
(ア)
DS86・DS02を用いることの誤り
審査の方針では,原因確率への当てはめの前提としてDS86により申
請者の被曝線量を推定している。しかし,DS86による被曝線量推定方
式には現実と符合しない多くの問題点がある。しかも,DS86は,放影
研の疫学調査の基礎にもなっており,DS86の誤りは疫学調査の結果の
誤りに直結し,原因確率の誤りにつながる。DS02によっても,この問
題点は解消されていない。
(イ)
残留放射線の軽視
審査の方針では,線量評価において,誘導放射能による被曝と放射性降
下物による被曝の一部を考慮しているが,これは全く不十分なものである。
遠距離被爆者や入市被爆者に生じた急性症状の実態からすれば,審査の方
針が用いるこれらの線量評価が被爆者の受けた被曝線量を無視ないし著し
く軽視していることは明らかである。
(ウ)
内部被曝の無視
審査の方針では,線量評価において外部被曝線量のみを考慮しており,
内部被曝による被曝線量を特に算出していないが,内部被曝は,放射線被
曝態様の重要な一つであり,これを無視することは許されない。

原因確率の誤り
(ア)
放影研の疫学調査の誤り
原因確率の基礎となる放影研の疫学調査には,調査集団の線量評価にD
S86を用いていること,残留放射線の影響を無視していること,内部被
曝の影響を無視していること,比較対照群の設定に問題があること,死亡
率調査を基礎にしていること,昭和25年までの被爆者の死亡を考慮に入れ
ていないことなどの問題点が存在する。
(イ)
原因確率を個々の被爆者に当てはめることの誤り
-32-

疫学は,集団についての概念であり,その結果を個々の被爆者に当ては
めることは妥当ではない。特に,放射線の人体への影響には大きな個体差
があることからすれば,集団についての結論を個々の被爆者に当てはめる
ことの不合理さは明らかである。
(4)
線量評価の誤り~DS86・DS02の問題点

線量推定式の変遷
(ア)
T57D
昭和31年,アメリカ原子力委員会は,原爆放射線の人間に対する効果を
研究するために,オークリッジ国立研究所を中心にした「ICHIBAN計画」
と称する核実験をネバダ核実験場で行った。この核実験のデータに基いて
広島・長崎原爆の放射線量の推定を行い,線量評価システムT57Dが作
成された。
(イ)
T65D
長崎型原爆と同じタイプのプルトニウム原爆を使用したり,ネバダ核実
験場に500

mの塔を建てて裸の原子炉」やコバルト60の線源を設置して,
中性子の伝播や遮蔽効果の研究が行われた。ABCCはオークリッジ国立
研究所と協力し,さらに放射線医学総合研究所などによる広島・長崎原爆
の放射線の測定結果と照合してT65Dを作成した。
(ウ)
DS86
DS86は,T65Dと異なり,部分核停止条約によって空気中での核
実験が禁止された米国が,中性子爆弾の威力をはかるために作成したコン
ピュータプログラムに基づくシミュレーションであり,実験結果に基づく
ものではない。しかも,軍事機密のため,日本側に示されたのは,原爆容
器を通り抜けて外部へ放出された即発ガンマ線と中性子線の総量,エネル
ギー分布及び方向分布に関する計算結果だけであって,コンピュータプロ
グラムに関する重要な情報は公開されていない。
-33-

そのため,DS86は,他の科学者等による追検証不可能なものであり,
その線量推定式は信用性に乏しいし,その後実証された多くの問題点もあ
る。

DS86の問題点の概要
DS86自身,中性子の推定値が不確実であり,改訂線量推定モデルでの
誤差の解析が不十分であることを前提としているが,DS86には以下のよ
うな重大な欠陥があり,誤った線量評価となっており,学術的にも信頼が置
かれていない。なお,1審被告らは,DS02によってDS86の正しいこ
とが裏付けられたと主張するが,DS86の以下の欠陥はDS02において
も全く改善されていない。
(ア)
その推定線量は,実測値と比べて,近距離ではやや過大評価であり,
遠距離では過小評価になり,特に中性子線の線量評価は遠距離では桁違い
の過小評価となっている。
(イ)
遠距離被爆者及び入市被爆者の急性症状を合理的に説明することがで
きない。
(ウ)
放射性降下物等の影響については限られた地域に限定し,放射性降下
物及び誘導放射性物質を摂取したことによる内部被曝を無視している。

DS86と実測値の乖離
(ア)
原爆の初期放射線の線量を測定するために,多くの科学者により初期
放射線の痕跡を測定して,原爆時の初期放射線量を逆算する研究が行われ
ている。このように物理的手法により測定された実測値と比較して,DS
86の推定値は,近距離で過大評価,遠距離で過小評価となる顕著な傾向
を示しており,実際に測定された現実を説明することができない。

ガンマ線
現在では,熱ルミネッセンス(TL)法により,半世紀も前に原爆が
放出したガンマ線の線量の測定が可能になっているところ,この方法に
-34-

よるガンマ線線量の測定の結果,爆心地から1000m以遠においてDS8
6のガンマ線推定線量は実際の線量よりも過小評価されていることが判
明しており,DS86報告書も実測値との間でずれがあることを認めて
いる。

中性子線
原爆の爆発の瞬間に放出された中性子は,空気中や地上の原子の原子
核に散乱されたり,吸収されたりして,複雑な経路を経て地上に到達し
た。このように,中性子線は複雑な振舞いをするので,推定の困難さは
ガンマ線の比ではない。中性子についての推定線量が疑わしいというこ
とは,DS86報告書自体が指摘しているところである。
(a)
熱中性子
中性子線のうち熱中性子線の実測値測定においては,熱中性子によ
って誘導放射化されたユウロピウム152,塩素36及びコバルト60の測
定が行われており,それによれば,これらの異なる核種について,広
島と長崎に共通して,DS86による中性子線量が,近距離において
過大評価であり,900mを超える遠距離において過小評価に転じてい
ることが明らかとなっている。
遠距離におけるDS86の熱中性子の計算線量が実測値よりも小さ
いということは,DS86の計算において近距離の高速中性子が過小
評価されていたことを示すとともに中性子線量全体の過小評価を示唆
するものである。
(b)
速中性子
速中性子に関しては,リン32とニッケル63の測定により実測値が導
かれているが,これらの測定結果にしても1000mを超える辺りからD
S86が実測値よりも過小評価に至っている。
そして,速中性子は大気中の原子核によって何度か散乱されて次第
-35-

にエネルギーを失いながら熱中性子へと変わっていくのであるから,
速中性子の過小評価は熱中性子の過小評価へ直結する。

以上からすると,DS86による中性子線の推定は実測値を説明する
ことができないのであり,特に1000mを超える辺りから推定は到底採用
できるものではない。
(イ)
このようにDS86の中性子線量について誤差が生じる理由として
は,①
原爆の爆発点から放出された中性子線のエネルギー分布,すなわ
ち,ソースタームの計算問題,②
中性子の伝播に重要な影響を与える湿
度の高度変化,③
ボルツマン輸送方程式に基づくコンピュータ計算にお
ける区分の設定,などが考えられている。

ソースタームの計算問題(上記①)について
原爆での核分裂の連鎖反応においては高速中性子が主要な役割を果た
しているところ,原爆の核分裂の連鎖反応は100万分の1秒以下という
短時間で終わるので,原爆容器が崩壊する以前の段階で放射線が容器を
突き抜けて容器の外に飛び出す。そして,中性子線の一部は原爆容器や
火薬などに吸収されてしまうことから,外部に放出された中性子線の量
を正確に推定するためには,原爆容器や火薬等の成分や厚さなどの詳細
な情報が必要であるが,これらは軍事機密として公表されておらず,原
爆放射線のエネルギー分布は追検証することができない。
そのため,DS86のソースタームの計算は,熱中性子に核分裂の連
鎖反応の主要役割を果たさせた広島原爆のレプリカの模擬原子炉におけ
る実験に依拠していると考えられ,高速中性子を過小評価していること
になる。そして,高速中性子の過小評価が熱中性子の過小評価に直結し
ており,このことが中性子線やガンマ線の誤差につながっていると考え
られる。同様の理由が長崎原爆における中性子線のズレの原因として考
えられる。
-36-


湿度の高度変化(上記②)について
中性子は空気中の水素の原子核により吸収されたり散乱したりするの
で,湿度が低ければ吸収,散乱が少なくなり,より多くの中性子が遠距
離に到達することになるところ,DS86は,広島・長崎とも爆心と異
なる高湿度を前提として計算している可能性が高い。

ボルツマン輸送方程式(上記③)について
DS86は,広島でも長崎でもボルツマン輸送方程式を用い,爆心地
から半径2825m,高さ1500mの円筒の内部について計算している。しか
し,DS86が採用するボルツマン輸送方程式においては,ある1つの
要因でいったん計算値にずれが生じると,ずれは次々に累積・拡大して
しまう。
(ウ)
まとめ
以上のとおり,実際に人体に降り注いだ放射線は,DS86による推定
と,特に遠距離では大きく異なるものである。広島ではDS86による推
定線量の数十ないし数百倍の放射線の影響があったことになる。

DS02の問題点
(ア)
概要
DS86における中性子線量に関する理論値と測定値の不一致を踏まえ
てDS02が作成されたところ,1審被告らは,DS02によってDS8
6の正当性が裏付けられた旨主張しているが,以下に述べるとおり,DS
86の欠陥はDS02で全く改善しておらず,DS86を起因性判断に使
うことができないことが明確になった。
(イ)
高速中性子

近距離で過大評価,遠距離で過小評価
DS02では,高速中性子について新たな測定結果を用いているが,
ニッケル63による中性子線量の実測値とDS02の推定線量とを対比す
-37-

ると,爆心地から391m地点では実測値が推定線量の0.85倍,1470m地
点で1.90倍となっている。このように,高速中性子線の推定線量は,近
距離で過大評価であり,遠距離で過小評価となっている。とりわけ,遠
距離におけるずれはDS86(1.52倍)よりDS02で拡大している。
液体シンチレーション法によるニッケルの測定もされ,加速器質量分
析法とも比較されその信頼性も確認されているが,それも1500mで実測
値が計算値を上回っている。
したがって,1400m以遠での被爆者又は入市被爆者である1審原告ら
に関しては,線量評価として役に立たない。

バックグラウンドの評価の恣意性
バックグラウンド(原爆放射線の影響のない値)の評価は高速中性子
が全く到達しない遠距離の測定結果を用いるべきところ,DS02の基
となったストローメ(Straume=アメリカのローレンスリバモア国立研
究所)らの論文では,1880m地点の測定値をバックグラウンドとしてい
たが,DS02ではその数値を恣意的に操作している。
(ウ)
ガンマ線
ガンマ線については,1500m以遠では測定値が計算値より系統的に上に
ずれており,DS02でも「
,遠距離では測定値が計算値よりも高いこと
を示唆する若干の例がある」とされている。
(エ)
熱中性子
熱中性子については,コバルト60もユウロピウム152も,遠距離では測
定値が系統的に計算値を上回っている。

推定線量批判に対する1審被告らの反論に対する1審原告らの再反論
1審被告厚生労働大臣は,DS86,DS02の線量評価が遠距離地点に
おいて測定値と比べて過小評価されている疑いがあるとの批判に対して,そ
の測定値と計算値との乖離は2倍程度にすぎず,これを絶対値として見れば,
-38-

わずか0.129Gy程度にすぎないので,線量の過小評価があっても無視できる
と主張する。
しかしながら,DS86の計算値と実測値の乖離を約2倍と矮小化するこ
とが問題であって,中性子によって放射化されたユウロピウム152,塩素36
あるいはコバルト60の測定により得られた実測値を総合的に検証した場合に
は,DS86の計算値と実測値との乖離が2.2倍を上回る可能性は高いので
あり,爆心地(広島)からの距離が900mを超えるとDS86は過小評価に
転じ,1500mでは約0.1すなわちDS86による計算値は測定値の10分の1
に,1800mでは0.01すなわち約100分の1になる。これを2000m以遠に延長
していけば,DS86の推定線量は測定値の2桁も3桁も低い線量測定にな
っていくことが容易に推測される。
また,1審被告らは,過小評価の線量がわずかであるから無視できると主
張するが,これは被爆実態を無視したもので,欺瞞以外の何者でもない。D
S86及び02は,爆弾の出力や空中輸送など各種データーに基づく1つの
プログラムであり,遠距離における線量評価の誤りは,プログラムそのもの
に致命的な欠陥があることを意味する。遠距離被爆者に原爆放射線によって
しか説明できない急性症状が発症している実態に照らしたとき,遠距離にお
ける初期放射線の線量評価についても十分な検証が必要であり,少なくとも,
DS86及びDS02による初期放射線の線量評価が小さいからといって,放
射線が遠距離被爆者の人体に与えた影響が小さいとは決していえないのであ
る。

現実に起きた現象とDS86,DS02との乖離
(ア)
概要
原爆投下直後から現在に至るまで,被爆者を対象として様々な健康調査
が行われている。後障害に関する調査として放影研の疫学調査が存在する
が,急性症状に関しても多数の調査が行われている。そして,これら急性
-39-

症状に関する調査の結果は,①
2km以遠のいわゆる遠距離被爆者といわ
れる被爆者にも急性症状が発症していること,②
入市被爆者にも急性症
状が発症していること,を明らかにしている。
急性症状は,被爆者が放射線を浴びたことの一つの目安となるものであ
り,遠距離被爆者や入市被爆者に急性症状が発症しているという事実は,
これらの被爆者が多量の原爆放射線を浴びたことを裏付けている。
ところが,DS86では初期放射線及び一部の残留放射線が考慮されて
いるだけであり,これらの線量評価では,遠距離・入市被爆者に急性症状
が生じたという現実を説明することはできない。
(イ)
遠距離被爆者の急性症状に関する各種調査結果とDS86・DS02

日米合同調査団の調査
日米合同調査団の記録によれば,典型的な急性症状である脱毛と紫斑
の距離別発症割合(長崎における屋外又は日本家屋内)は下表のとおり
である。なお,2.1km~2.5kmでの脱毛の発症率は,遮蔽がある場合につ
いては2.9%(ビルディング)~1.8%(防空壕,トンネル)というよう
に遮蔽の有無により異なっている。
爆心地から




総人数
の距離(m)


割合(%)


割合(%)
0-1000
376
168
44.7
105
27.9
1100-1500
1125
335
29.8
213
18.9
1600-2000
872
111
12.7
77
8.8
2100-2500
515
37
7.2
20
3.9
2600-3000
569
12
2.1
3
0.5
3100-4000
931
12
1.3
13
1.4
4100-5000
226
1
0.4
1
0.4

東京帝国大学医学部の調査
広島における3km以内の被爆者4406名(男2063名,女2343名)を対象
-40-

にした東京帝国大学医学部の脱毛に関する調査結果は,下表のとおりで
あり,2.1km以遠でも脱毛の発症が見られている。また,2.1km~2.5km
での脱毛の発症率は,屋外開放の場合9.4%,屋内の場合4.2%であり,
遮蔽の有無により異なっている。なお,頭部脱毛の方向性に関する調査
によれば,700例のほとんどについて方向性がない。このことは,熱線
の影響であるとはおよそ考えられないことを示している。
爆心地から


の距離(m)








0-500
15
78.9
6
75.0
600-1000
100
74.0
111
67.2
1100-1500
123
29.1
134
25.5
1600-2000
55
7.9
79
10.0
2100-2500
33
5.7
42
7.2
2600-3000
2
0.9
7
2.4

於保源作医師の調査
於保源作医師の急性症状発症率調査「原爆残留放射能障碍の統計的観
察(広島)は,距離別,屋内・外

の別,被爆後の入市(中心部)の有
無により有症率が区分されているところ,熱線や爆風や残留放射線の影
響が小さく,初期放射線の影響を比較的よく表しているといえる「原爆
直後中心地に入らなかった屋内被爆者の場合」でも,2kmで30%の急性
症状有症率があり,3km以遠においても多くの急性症状が発症している。
また,同調査結果によれば,中心地出入りなしの3km以遠で,屋外被
爆者が屋内被爆者に比較して顕著に有症率が増加しており,初期放射線
が3km以遠まで到達していることを物語っている。
さらに,同調査結果によれば,爆心地から1kmの中心地に出入りした
被爆者は,4km以遠においても20%以上の有症率であるが,このことは,
中心地への出入りにより強い放射線を浴びていることを裏付けており,
中心部付近の残留放射線の影響が非常に大きかったことを物語ってい
-41-

る。

その他,遠距離被爆者の急性症状について調査した代表的な調査結果
として,放影研の調査,横田賢一らによる2つの調査,原子爆弾災害調
査報告集における剖検例,松谷訴訟の事例,原子爆弾症(長崎)の病理
学的研究報告,濱谷正晴の作成の分析データー,佐々木秀隆らによる調
査結果等,同様の傾向を示す多数の調査が行われており,遠距離にも初
期放射線が到達し,しかも2km以遠でも死に値する程度の放射線が存在
したことが裏付けられている。また,低線量被爆者群においても,白血
病の死亡率が約1.6倍になるなど,相対リスクが高くなっていることが
示されている。

そして,これらの調査からは,被爆後の健康状態を想定するのは被爆
距離ではなく,急性症状等から推測される実際に被爆した程度であるこ
とが分かる。このように,DS86やDS02に基づけば初期放射線が
ほとんど到達していないとされる2km以遠においても様々な急性症状が
出ていたのであり,このことは動かし難い事実である。
この点に関し,1審被告らは脱毛についてストレスの影響を指摘する
が,前記のとおり,脱毛の発症率は遮蔽の有無により異なっているので
あって,遠距離被爆者の急性症状がストレスによる影響とは考え難い。
なお,大規模空襲に遭った他の戦争被害者も惨状をまのあたりにしてい
るが,これら空襲被害者に脱毛等の急性症状様の症状が出たとの報告は
ない。
また,前記各調査結果からして,これら遠距離被爆者の脱毛について,
熱線の影響であるともおよそ考えられない。
以上のとおり,2km以遠でも脱毛といった急性症状が発生しているこ
とは明らかであるが,このような遠距離に放射線の影響が及ぶことにつ
いてDS86やDS02の初期放射線によって説明することはできな
-42-

い。
(ウ)
入市被爆者の放射線影響に関する各種調査結果とDS86・DS02

暁部隊
被爆直後入市した暁部隊の調査では,入市2日目ころから下痢患者が
多数続出し,基地帰投直後白血球3000以下になる者がほとんどに及び,
復員後の倦怠感や白血球の減少過半数などの症状が出ている。また,入
市被爆者については白血病に罹患するものが非被爆者に比較して数倍に
増加している。

於保源作医師による調査
於保医師の調査でも,屋内被爆者について爆心地から1km以内への出
入りの有無の影響を比べたところ,脱毛や咽頭痛,皮粘膜出血などで,
出入りした者の方が比率が増加している。しかも,有症率は,原爆投下
直後から20日以内に中心地に出入りした人々がそれ以後に中心地に出入
りした人々よりも高く,中心地滞在時間に応じて有症率が変化したこと
が判明している。

広島原爆戦災誌
広島原爆戦災誌編集室が昭和44年に行った,初期放射線の影響の考え
られない地点にいて,原爆投下の当日ないし翌日に救援のために入市し,
負傷者や遺体の収容等に従事した当時18~21歳の健康な男子青年233人
に対するアンケート調査(残留放射能による障害調査概要)では,昭和
20年8月8日ころから,下痢患者が多数続出し,食欲不振を訴え,救援
終了後に基地に帰ってから,軍医により,ほとんど全員が白血球3000以
下と診断され,下痢患者も引き続きあり,発熱,点状出血,脱毛の症状
が少数ながらあったとされている。
そして,同アンケート結果によれば,復員後も,倦怠感(168人),白
血球減少症(120人),脱毛(80人),嘔吐(55人),下痢(24人)を訴えてお
-43-

り,これらの入市被爆者に生じた症状は,放射線の急性期障害と符合し
ており,入市被爆者がかなりの量の放射線を浴びたことが裏付けられて
いる。

以上のほか,中央相談所報14号の記載,被団協のアンケート調査結果,
三次高等女学校の入市被爆者についての調査報告書など,同様の傾向を
示すものが存在し,これらの資料によれば,被爆当日や翌日の入市者に
おいて脱毛,下痢,倦怠感等の急性症状が発症しているのは珍しくない
こと,被爆後一定期間過ぎた後も広島市内(約2km)一円は脱毛をもた
らすような放射線汚染が継続していたと考えられること,白血病の発症
者やがん死亡者もみられることが明らかとなっている。

以上のような入市被爆者に生じた急性症状については,残留放射線の
影響を考慮せざるを得ない。前記のとおり,黒い雨や黒いすす,放射性
微粒子がかなり広い地域に降下したことは明白な事実であり,入市者に
とって,地上1mで計測されるガンマ線以外にも瓦礫から落剥・飛散し
た微小な片々,浮遊した土壌からの塵埃等が放射性物質として入市者の
身体に付き,呼気とともに気道深くに取り込まれること,初期放射線中
の中性子線によって,人体もまた誘導放射化され,重度被爆者や被爆直
後早期に死亡した被爆死遺体は,正に高線量被曝体であり,看護や埋葬
等に従事した入市者は,高線量の放射線を浴びた可能性が否定できない
ことを示している。従来考えられてきた脱毛発生の「しきい値」線量を
絶対として,遠距離・入市被爆者の脱毛が被曝と関係がないと否定する
ことはできない。

DS86は,残留放射線の推定も行っているが,残留放射線の影響を
無視ないし著しく軽視している。DS86では測定時期の制約から長寿
命のセシウム137しか検討されていない。
また,残留放射線による内部被曝は重要で,爆発直後では短・中寿命
-44-

放射性物質をも吸入・摂取した可能性は高い。そして,被爆者の当時の
行動による個人差も大きい問題であり,DS86のように一律に無視で
きるといえるものではない。特に,空気中に漂ったり,地表に付着して,
その後風で拡散してしまった放射性物質は,DS86で考慮されたよう
な測定では知ることができない。そして,これらの放射性物質は,体内
に取り込まれ臓器の近くで長期間にわたって直接放射線を浴びせるの
で,その与える影響は体外からの初期放射線よりも大であった可能性が
ある。
(エ)
遠距離・入市被爆者の急性症状を説明できないDS86及びDS02
以上のように,あらゆる調査において,遠距離・入市被爆者に放射線の
影響による急性症状が発生しているのは疑いのない事実である。
しかし,上記のような遠距離被爆者や入市被爆者に生じた多数の急性症
状につき,DS86やDS02による推定,しきい値論では説明がつかな
い。事実を説明することができないDS02やDS86の初期放射線だけ
に基づく被曝線量評価は科学的に誤ったものといわざるを得ない。
本来,原爆による放射線量を推定する基準であれば,現実に生じた結果
から導かれるべきであり,少なくとも現実との乖離は許されない。しかる
に,DS86は,前記のように,既に生じた被爆者らの被爆実態を無視し,
コンピュータによるシミュレーションから生み出されている。その結果,
被爆実態を反映しない基準となっている。
(5)
線量評価の誤り~残留放射線の軽視
審査の方針では,線量評価において,誘導放射能による被曝と放射性降下物
による被曝の一部を考慮している(別表10)が,これは全く不十分なものであ
る。前記のような遠距離被爆者や入市被爆者に生じた急性症状の実態からすれ
ば,審査の方針が用いるこれらの線量評価が被爆者の受けた被曝線量を無視な
いし著しく軽視していることは明らかである。
-45-


放射性降下物とその影響
1審被告らは,放射性降下物が特に見られた地域は,広島の己斐・高須地
区,長崎の西山地区に限定されており,その地域の被曝線量も非常に微量で
あり人体に影響がないなどと主張する。
しかし,それらの地域は「黒い雨」が集中して降った地域にすぎないし,
それ以外の地域に降った「黒い雨」には放射性降下物が含まれていなかった
とする合理的根拠はない。また,被曝線量の測定も地上1m地点での放射線
量であり,さらに近い距離での被爆や,内部被曝を検討していないものであ
って,無視できるものと断定する根拠もない。なお,科学的には未解明であ
るが,低線量被曝が細胞レベルで影響していることが明らかにされており,
それも原爆症の一因となっている可能性が否定できない。

誘導放射線とその影響
1審被告らは,誘導放射線による外部被曝線量について,①
広島・長崎
の原爆による初期放射線の中性子は,爆心地から600~700m程度を超えると
ほとんど届かないため,それより以遠では誘導放射化が起こることはほとん
ど考えられない,②
すべての原子核が放射化されるわけではなく,放射化
されるのは,アルミニウム,ナトリウム,マンガン,鉄等の限られた元素で
あるうえ,それらの半減期は短い,③
原爆投下直後は,市内は大火に包ま
れ,爆心地区に立ち入ることは現実には不可能であったから,実際に誘導放
射線によって被曝をした者は限られていた,④
原爆投下直後から現在に至
るまで爆心地にとどまり続けているという現実にはあり得ない仮定をした場
合でも,その積算線量は,広島で約0.50Gy,長崎で0.18~0.24Gyにすぎなか
った,と主張する。
確かに,誘導放射化の作用は,中性子の捕獲によって生じるから,爆心地
に近いほど土壌や地上物(建物や樹木等)を構成していた原子核が誘導放射
化しやすいが,誘導放射化の作用を受けるものは,それだけでなく,空中に
-46-

あった原爆容器や衝撃波・爆風やその後の火災による破壊によって粉塵とな
って浮遊したものも含まれるのであって,①は理由がない。
誘導放射化される原子核はすべての元素に及び,その半減期も決して短い
ものばかりではない。しかも,時間単位の半減期であるマンガン56やナトリ
ウム24は,減りやすい反面,単位時間当たりのガンマ線の放出量が大きいか
ら,早期に爆心地付近に入った者は,急速にガンマ線を放出しつつある時期
に被爆することになり,短半減期の同位体に由来する誘導放射線が,その被
曝線量に大きく寄与したのであって,②も理由がない。
③について,原爆投下直後,爆心地付近が一定時間,大火災に見舞われた
ことは確かであるが,全く入市が不可能であったわけではなく,X7も,被
爆当日の夕方ころ,爆心地より0.5㎞にあった西練兵場北側の第一陸軍病院
(基町)に向かい,護国神社付近で野営している。
④については,1審被告らの挙げる誘導放射線の積算線量の由来が明らか
でない上,推定の基礎となった測定や計算にも問題があるし,線量測定を地
上1mを基準としている点も,ガンマ線は,距離の二乗に反比例して線量が
低下することからして,入市被爆者の具体的な作業状況に合致するか疑問が
ある。
(6)
線量評価の誤り~内部被曝の無視

内部被曝の重要性
審査の方針では,線量評価において外部被曝線量のみを考慮しており,内
部被曝による被曝線量を特に算出していないが,内部被曝は,呼吸や飲食等
を通じて人の体内に取り込まれて骨組織等に沈着し,放射性降下物が長期間
にわたってアルファ線,ガンマ線,ベータ線等を放出し続けることによって,
直接の被爆者だけでなく,入市被爆者の被曝の原因となっており,放射線被
曝の態様の重要な一つであり,これを無視することは許されない。

内部被曝線量の推定
-47-

1審被告らは,内部被曝による被曝線量は極微量で,その影響は無視しう
ると主張するところ,その根拠はDS86報告書の「セシウム137からの内
部被曝線量」であるが,この研究は,セシウム137のみを対象としており,
原爆によって生じたその他の放射性物質(未分裂の核物質,核分裂生成物,
誘導放射化された物質)を測定していない点において不完全である上,半減
期の短い放射性物質は,短い期間で大きな放射線影響を与えたはずであるが,
これらについて一切考慮されていない。

外部被曝との機序の違い
外部被曝と内部被曝では,人体に影響を与える機序が全く異なり,内部被
曝の場合,放射性物質に近接した周囲の細胞が集中的に放射線被曝を受ける
(ホット・パーティクル理論)のであるから,当該細胞から見れば,高線量
被曝であり,受けた線量が同じであれば影響に差がないとするのは実態を無
視するものである。

核医学診断に関する評価の誤り
1審被告らは,核医学診断が一般的に行われていることを理由に,内部被
曝の健康影響が無視しうるものである旨強調するが,核医学診断においては,
診断終了後,患者に投与された放射性物質を速やかに排出するための方策が
とられ,放射性物質による内部被曝の影響を可能な限り少なくする努力が図
られているし,核医学診断による内部被曝の影響(障害)が生じていないこ
との証明もなされていないのであって,内部被曝による健康影響を否定でき
るものではない。
(7)
低線量被曝について

低線量被曝の存在
低線量被曝の人体影響については,現在においても未解明な部分が多くを
占めている。これは低線量被曝の人体影響を疫学的に証明するためには1000
万人規模の疫学調査が必要となり,疫学的側面からの裏付けが事実上不可能
-48-

だからである。しかし,細胞レベルや動物実験レベルにおける研究において
は,逆線量率効果やバイスタンダー効果,ホット・パーティクル理論,ゲノ
ム不安定性等の現象が報告されており,これらの現象は低線量被曝の危険性
を示唆するものである。

逆線量効果
単位時間あたりの放射線量を線量率といい,培養細胞での試験管内がん化
を指標にした研究では,同じ被曝線量であれば,長期にわたって被曝した場
合の方が,リスクが上昇することが示されており,これを逆線量率効果とい
う。確立した現象とまでは言い難いものの,少なくとも,1審被告らが主張
するように「総線量が同じであれば,時間をかけての被曝の方が,短時間

の被曝(急性被曝)より影響が少ない」などとは断定できず,低線量被曝の
人体影響が大きい可能性を示唆している。

バイスタンダー効果とホット・パーティクル理論
バイスタンダー(細胞隣接)効果とは,被曝した細胞から周辺の被曝しなか
った細胞へ遠隔的に被曝の情報が伝えられ被曝しなかった細胞にも遺伝的影
響が及ぶ現象であり,1990年代半ばから指摘され,放射線による遺伝的効果
の標的分子がDNAだけでないことを示唆している。加えて,低線量や低線
量率照射の場合には,放射線を被曝しなかった細胞にも遺伝子(DNA)損
傷が生ずることから,高線量や高線量率照射に比べ遺伝的効果リスクが高く
なることを示唆するものであり,低線量放射線のリスク評価のために解決す
べき重要な課題であるとされている。
1審被告らは,ホット・パーティクル理論について,①
国際放射線防護
委員会(ICRP)によって否定されているとか,②
ホット・パーティクル
周辺の細胞は細胞死を来たし,以降の細胞分裂が起こらないため,がん化は
あり得ないなどと主張するが,①については,ICRPもホット・パーティ
クル周辺では,局所線量が非常に高くなる可能性を認めていて,ICRPが
-49-

ホット・パーティクル理論そのものを否定しているわけではないし,②につ
いては,バイスタンダー効果を前提とすれば,異なった結論が考えられる。
すなわち,ホット・パーティクルによる局所的な高線量被曝を受け,細胞死
に至る細胞があるとしても,当該細胞の周囲には,細胞死に至らない更に多
数の細胞が存在するのであるから,そのような細胞にバイスタンダー効果に
よる遺伝的効果が生じ得るのである。

ゲノム不安定性
ゲノム(遺伝的)不安定性とは,放射線被曝によって生じた初期の損傷を
乗り越え生き残った細胞集団に“遺伝的不安定性”が誘導され,長期間に

わたって様々な遺伝的変化が非照射時の数~数十倍の高い頻度で生じ続ける
状態が続く現象であり,近年になり放射線による間接的な突然変異誘発機構
としてのゲノム不安定性の誘導が注目を集めており,低線量域において影響
を与える可能性が指摘されている。

まとめ
以上でみたように,低線量被曝の影響については,細胞レベルでは明らか
に確認されているものの,人体全体への影響に関しては,解明途上であると
いうのが現在の到達点である。しかし,他方で,低線量被曝における人体影
響が大きいことを窺わせる報告が多数存在することも事実であり,これらに
全く考慮を払わない1審被告らの考え方は正当ではない。
(8)
1審被告らのしきい値論に基づく反論に対する再反論等

1審被告らのしきい値論
1審被告らは,被爆者に現れた急性症状について,放射線による急性症状
は,最低でも1Gy,脱毛については頭部に3Gy以上,下痢については腹部に
5Gy以上被曝しなければ発症しないと主張する。
審査の方針によれば,1Gyの地点は,広島で1300~1350mの間,長崎で14
50~1500mの間,更に脱毛の3Gy地点は,広島で1050m~1100m,長崎で12
-50-

00~1240mの間,下痢の5Gyについては,広島で950m附近,長崎で1100m
附近である。
1審被告らは,これを根拠にして,爆心地から2km以遠では,急性症状は
あり得ないと主張する。

1審被告らのしきい値論の基本的問題点
(ア)
放射線常識論の問題性
1審被告らは,上記のようなしきい値を「今日における放射線医学にお
ける疑う余地のない常識」であると主張する。しかし,被爆者において,
3Gy未満であれば,その脱毛が放射線被曝とは無縁であるとは,1審被告
らとこれを支持しようとする一部の学者を除いて誰も考えていない。
(イ)
被曝実態の相違
1審被告らが主張する脱毛や下痢のしきい値線量は,放射線取扱い施設
における臨界事故や原子力発電所事故などの経験から得られたいわゆる
「急性放射線症候群」において理解されているしきい値線量とみられるが,
これらの被曝態様は,短時間の高エネルギー放射線照射によるとみられる。
これに対し,原爆被曝は,数キロメートルにわたる市域全体が瞬時に一大
照射域となり,引き続き放射性物質に満ちた一大線源域となり,個々の被
爆者は照射瞬間から持続的に短・長半減期の放射性同位元素にとらわれ,
しかも,外部のみならず,複雑な内部被曝にさらされたものであり,被曝
実態が異なるのである。以下,脱毛3Gy論及び下痢5Gy論を中心に反論す
る。

脱毛3Gy論批判
1審被告らの主張によれば,広島では,1.1km以遠での脱毛は放射線被曝
と無縁ということになるが,東京帝大医学部診療班報告書によれば,放射能
傷909例中707

例に脱毛が認められておりそ
,のうち1.1km以遠が475名(67.
2%)に上っており,1審被告らの主張とは全く乖離している。のみならず,
-51-

DS86の線量と脱毛との相関を調べた図によっても,脱毛が3Gy未満では
生じないとする主張は成り立たない。
また,1審被告らは,被爆者に脱毛が生じる時期を「2~3週間後にバ

サッと大量に抜ける」と主張しているが,被爆者の聞き取りや,諸調査報告
でも,必ずしもそのような形に限定されておらず,髪を梳いた時に抜けた,
朝,枕にたくさん毛髪がついていた,周りに指摘されて気づいた等,多様で
ある。したがって,1審被告らの主張するパターン以外の脱毛は,被曝によ
るものではない等とは到底いえない。

下痢5Gy論批判
原爆被害においては,半

致死線量50%死亡線量)は約4Gyとされており,
1審被告らの主張によれば,瀕死の被爆者にみられる下痢も放射線被曝とは
無縁となる。また,東京帝大医学部診療班報告書では,下痢発症者総数480
名中,1.1km以遠の下痢発症者が344名いるが,それも全て被曝と無縁となる
が,合理的な議論とはいい難い。
なお,消化器症状(下痢)は,被曝の直接的な腸粘膜障害によるばかりで
はなく,被曝による自律神経系・内分泌系の影響も反映していると見られ,
下血よりも高頻度になるとともに,距離や遮蔽による減衰が緩徐となる。
(9)
原因確率の問題点

原因確率の根拠
厚生労働大臣が原爆症認定を行うに当たっては医療分科会の意見を聴かな
ければならないが,医療分科会は,審査の方針を用いて放射線起因性の判断
を行っているところ,この審査の方針の原因確率は,児玉報告書の寄与リス
クの数値を転用している。そして,寄与リスクは,白血病,固形がんについ
ては,放影研が公開している死亡率調査,発生率調査のデータを使っている。

放影研の疫学調査の問題点
放影研の行っている寿命調査や成人健康調査は,

疫学調査コホート研究)
-52-

であり,死因調査である寿命調査については10万人以上,発症率調査である
成人健康調査についても2万人に及ぶ調査集団を設定し,その後約50年にわ
たって継続して調査をしているが,以下のような問題がある。
(ア)
線量評価の誤り
放影研の疫学調査は,現実との乖離が甚だしく,その正確性に問題があ
るDS86に基づいて被爆者の初期放射線量を推定している上,残留放射
線や内部被曝を全く無視している。
(イ)
疫学調査の手法の誤り

対照群設定の誤り
疫学調査のコホート研究によってある要因の影響を特定するために
は,他の条件が一致している非曝露群を対照群として,曝露集団との比
較をして,非曝露群に現れる罹患・死亡を基礎として,曝露集団に現れ
た現象について,用量-反応関係を分析する必要がある。被爆者に対す
る疫学調査の設計を提案したフランシス委員会の勧告においても「被曝
線量の最も少ない群における放射線の影響は,非被爆者と比較せねば推
定できない」として,非曝露群の設定及び非曝露群との比較が構想され
ていた。
しかし,放影研は,リスクの分析において,対照群(非曝露群)を設
定せず,曝露群について回帰分析を行い,得られた回帰式から想定上の
ゼロ線量における罹患率等を推定し,バックグラウンドリスクとしてい
る(ポワソン回帰分析に基づく内部比較法。

このような手法を用いるためには,線量反応関係が正しく把握されて
おり,かつ,集団の線量が正確に把握されていることが絶対条件である
ところ,既述のような問題のあるDS86を線量評価に用いているなど,
その条件を満たしておらず,誤った結論を導くものであることは明らか
である。
-53-

また,放影研の疫学調査では,放射性降下物を浴びたかどうか,原爆
投下後にどのような行動を取ったか,内部被曝をした可能性がどの程度
あるかといった点を区別せずに扱っており,調査設計の構造上,低線量
被曝のリスク,放射性降下物によるリスク,残留放射線によるリスク,
内部被曝によるリスクを持った集団同士の比較をすることとなって,初
期放射線以外の被曝のリスクの分だけ原爆放射線のリスクが過小評価さ
れ,その結果,バックグラウンドリスクを過大評価することになる。

死亡率調査を基本としていること
放射線起因性の判断においては,現に生きて苦しんでいる被爆者の疾
病が原爆放射線の影響によるものであるかが問題となる。ところが,放
影研の疫学調査及び児玉報告書では,死亡率調査を解析の基礎とし,死
亡の直接原因となった疾病のみを抽出しているため,死亡に直結しない
疾病が見落とされることになる(例えば,がんに罹患した被爆者が交通
事故で亡くなれば,死因は単なる事故死となる。。

また,調査対象の観察期間についても,発症までの期間を用いず,死
亡までの期間を用いている疑いがあり,がん発生に関する放射線の影響
が過小評価されている。

調査開始までの被爆者の死亡を無視する誤り
昭和20年12月までに死亡した被爆者数は約11.4万人とされており,全
被爆者の3分の1程度は死亡したことになる。すなわち,調査開始時点
である昭和25年ないし昭和33年までの間に,放射線感受性の高い被爆者
は死亡しており,調査開始時に生存していて調査対象となった被爆者は,
放射線感受性が低い被爆者に偏っていた可能性がある。そうだとすると,
平均的な被爆者を調査対象とした場合よりも,放射線の影響が表面化し
にくいことは明らかである。
また,放影研の寿命調査集団については,昭和25年までの死亡者,成
-54-

人健康調査集団については,昭和33年までに死亡した被爆者の調査は行
われていない。すなわち,昭和20年8月から調査が開始されるまでの5
年間(寿命調査,
)あるいは13年間(成人健康調査)の間に放射線障害
を始めとする被曝に起因するなにがしかの原因により死亡してしまった
数十万人もの被爆者は,調査の対象になっていない。このように,放影
研(ABCC)による調査は,いわゆる「生き残り集団」しか対象とさ
れていないという,大きな欠陥を持っており,放射線の影響を過少評価
している可能性が十分にある。
(ウ)
原因確率の算出に当たっての誤り
原因確率の算出の基礎とされた疫学調査に前記のような問題がある上,
審査の方針においては,放射線白内障以外について,その疫学調査で考慮
されていた中性子線の生物学的効果比が無視されており,被曝線量が過小
評価され,寄与リスクを低下させている疑いがある。
(エ)
結論
以上にみたように,放影研の疫学調査には,個々の被爆者の被曝線量評
価に誤りがあり,さらに疫学調査の手法自体にも多くの問題点を抱えてお
り,このような疫学調査を基にして,被爆者の疾病に原爆放射線がどれだ
け寄与しているかを示す原因確率という指標を正確に導くことは不可能で
ある。

疫学調査結果を原爆症認定基準に用いることの問題点
(ア)
個人における疫学的要因の意味
疫学は,集団における健康事象の観察を通して,その集団における健康
事象の発生要因を究明するものであって,ある共通要因を持つ集団で,そ
の要因がある疾病発生の原因であると判定された場合は,その集団に属す
るすべての個人がその疾病にかかる危険性にさらされていたことを表す
が,個人が当該要因が原因で発生したことを示すものではないし,逆にそ
-55-

の要因が発生に関与していないとして関連を否定することもできない。
(イ)
寄与リスクの大きさを個人の放射線起因性否定の基準にすることの誤

被爆者(曝露群)は,全員が放射線の曝露を受けており,その影響を発
現する危険(リスク)を付加されている。寄与リスクが認められる限り,
集団についてのリスクがいくら小さくても,罹患した・や死亡した・だけ
が付加されたリスクを負ったのではなく,その集団のすべての個人の罹患
や死亡のリスクが高まったと考えるべきである。
したがって,原爆症認定に当たり,寄与リスクが小さいからといって,
その要因はその群に属するある個人の発症原因を構成していない(あるい
は無視することができる)とし,寄与リ

スクの小さい群について全員を
認定しない(起因性を否定する)のは誤りである。
(ウ)
原因確率概念についての疑問
疾病の発症に関わる要因は多数あり,互いに関連しながら,相乗あるい
は相加,時には相殺効果を示しながら,多くの要因が総体として疾病の発
症に作用している(疾病の多要因性。あ

る個人が新たな要因に曝露され
たとき,以前から持っていた要因(群)との間に新たな関係が作られ,新
たな要因群が形成され,疾病の発症に関与することになる。新たに負荷さ
れた要因が,以前からあった要因とは関係なく,独自にその個体の発症に
関わって発症するかしないかを決めるというわけではない。
これに対し,審査の方針に用いられている原因確率とは,個人に発生し
たがんについて,着目している個々の要因がその個人のがんの発生要因と
してどの程度関係しているかについての寄与率を表すもの,すなわち,あ
る要因が他の要因とは独立して,個々人の疾病(がん)の発症に作用し,
当該疾病を発症させた確率とされている。しかしながら,疾病の多要因性
にかんがみれば,このような原因確率という概念それ自体に疑問を持たざ
-56-

るを得ない。
(エ)
統計学的有意性,信頼区間の扱いに関する疑問
また,審査の方針では「統計上有意と

はいえない」あるいは「信頼区
間が広い」というだけで,疫学研究でその疾病について観察された寄与リ
スクよりも低い値が原因確率として割り当てられている。
しかし,有意性検定における危険率や区間推定する場合の信頼係数の大
きさは,統計学によって論理的に決定されるものではない。要因と影響の
関連性を厳密に追求しようとする疫学的研究では危険率を厳しく設定して
「有意な差が認められなかった」との慎重な結論をしたとしても,それは,
他の目的・分野での判断を拘束するものではなく,それぞれの判断基準は
あっていいはずである。なお「有意差が

認められない」という意味は,
差があることを否定したものではなく,差があることの判断を保留したも
のである。
この意味でも,原因確率を起因性判断の決め手とすることには大きな疑
問がある。
(オ)
疫学調査結果を個人に当てはめることの問題点
被爆者には,放射線感受性の強い者もいれば弱い者もいる。疫学調査と
いう集団のデータを解析した結果を個々の被爆者に当てはめることは,こ
のような個体差を無視することになる。
(カ)
認定審査の運用
ところが,医療分科会における放射線起因性の判断の運用は,ほとんど
を原因確率に依拠している。
この点,1審被告らは,原因確率が50%を超える場合は,放射線起因性
があると推定し,原因確率がおおむね10%未満である場合には,放射線起
因性の可能性が低いものと推定することとした上で,これらを機械的に適
用して判断するのではなく,更に当該申請者に係る既往歴,環境因子,生
-57-

活歴等も総合的に勘案した上で判断を行うものと繰り返し主張している。
しかし,実際の運用は異なり,原因確率が10%未満の場合には原則的に
却下され,10%以上の場合は大体のところはまず認定されている。

まとめ
ある集団の寄与リスクの大小それだけでは,その集団に属する特定個人の
発症原因を特定することができないのであるから,寄与リスク(原因確率)
の大きさを個人の起因性を「否定」するための判断基準に用いることは誤っ
ているというほかない。
そもそも,既述のとおり放影研の疫学調査結果には大きな問題があり,個
人の起因性の判断に当たってこれを参考にすることは許されても,これを唯
一の基準とすべきではない。臨床医学や放射線生物学などを始めとする幅広
い分野の学問研究の成果と視点を取り入れて,被爆者に生じた現実の症状を
検討していくことが必要である。
(10)
審査の方針の不合理性
以上のとおり,原爆症認定には審査の方針という基準が用いられているとこ
ろ,審査の方針は,児玉報告書を基に作成されたものであり,同研究は放影研
の疫学調査を基に作成されている。しかしながら,放影研の疫学調査は,その
調査手法自体に様々な問題点を含んでおり,しかも,根本となる線量評価にお
いてDS86という重大な欠陥を抱えた線量評価基準を用いている。このよう
に多くの問題点がある放影研の調査を基に作成された審査の方針や原因確率
が,原爆症認定行政において用いられる経験則として合理性を有するものでな
いことは明らかである。

あるべき認定基準
(1)
基本となる考え方
これまで論じてきたところからして,原爆症認定制度において,放射線起因
性の判断は,原因確率論やしきい値論に基づくものであってはならないことは
-58-

明らかである。この点,松谷訴訟最高裁判決は,放射線起因性について,被爆
者の被爆状況,被爆後の状況,病歴,病態等を総合的に判断すべきであると結
論付けている。そして,その具体的内容は,東訴訟控訴審判決の判示する以下
のような考え方が基本的考え方として妥当である。

放射線の人体に与える影響については,その詳細が科学的に解明されてい
るとはいい難い段階にあり,また,原子爆弾被爆者の被曝放射線量について
も,その評価は推定により行うほかないのであって,放射線起因性の検討,
判断の基礎となる科学的知見や経験則は,いまだ限られたものにとどまって
いる状況にあるといわざるを得ない。

原爆放射線による後障害の場合には,個々の症例を観察する限り,放射線
に特異な症状を呈しているわけではなく,その症状自体をもって放射線起因
性を見極めることは不可能である。

一定の被爆(被曝)集団について観察した場合に,ある特定の疾病がその
集団において発生する頻度が高いことがあり,そのような疾病については,
放射線に起因している可能性が強いと判断されるところ,放射線後障害につ
いては,このような統計的解析によってその存在が初めて明らかにされると
いう特徴が認められる。

1審原告らの疾病が放射線起因性を有するか否かを判断するに当たって
は,1審原告らが原爆放射線を被曝したことによって上記疾病が発生するに
至った医学的,病理学的機序の証明の有無を直接検討するのではなく,放射
線被曝による人体への影響に関する統計的,疫学的な知見を踏まえつつ,1
審原告らの被爆状況,被爆後の行動やその後の生活状況,1審原告らの具体
的症状や発症に至る経緯,健康診断や検診の結果等を全体的,総合的に考慮
した上で,原爆放射線被曝の事実が上記疾病の発生を招来した関係を是認す
ることができる高度の蓋然性が認められるか否かを検討することが相当であ
る。
-59-


病理学,臨床医学,放射線学等の観点から個別的因果関係の有無を判断す
ることには一定の限界があるというべきであり,その点に関する立証を厳密
に要求することは不可能を強いることにもなりかねない。
また,放射線の人体に与える影響については,その詳細が科学的に解明さ
れているとはいい難い段階にあり,放射線起因性の検討,判断の基礎となる
科学的知見や経験則は,いまだ限られたものにとどまっている状況にあるこ
と,さらに,人間の身体に疾病が生じた場合,その発症に至る過程には多く
の要因が複合的に関連していることが通常であり,特定の要因から当該疾病
の発症に至った機序を立証することにはおのずから困難が伴うものであるこ
となど総合的に考慮しなければならない。

大量の初期放射線の被曝,誘導放射線の被曝,残留放射線により放射化し
た塵や煤等や放射性降下物等が含まれた可能性のある水を摂取したことによ
る内部被曝の影響については,放射線の人体に与える影響の詳細が科学的に
解明されているとはいい難い段階にあり,放射線起因性の検討,判断の基礎
となる科学的知見や経験則はいまだ限られたものにとどまっている状況にあ
ることも十分考慮されなければならない。
(2)
原爆症認定のあり方

治療指針の有効性と被爆者の疾患の特徴
原爆症認定のあり方については,先にも述べたとおり,被爆後13年目の昭
和33年8月13日に出された治療指針が適切な指針を示しており,その観点に
加え,被爆者の疾患の特徴として,①
被爆者には単一がんのみならず多重
がんが発生する可能性が高いこと,②
前立腺がんの発生率が被爆者に高い
可能性があること,③
がん以外の疾患でも死亡と罹患率が最近増加傾向に
あること,④
良性の甲状腺疾患についても放射線起因性が強く示唆されて
いること,⑤
慢性肝炎及び肝硬変についても放射線起因性が強く示唆され
ていること,⑥
白内障についても有意な線量反応関係が認められ,これま
-60-

で確定的影響の下にあると考えられていた放射線白内障が確率的影響の下に
あることが示唆されていること,⑦
熱傷・外傷後障害と原爆放射線の関係,
さらに,⑧
要医療性の判断に当たっては主治医の意見が十分尊重されるべ
きであることはもとより,被爆者に異時多重がんが多く見られることからす
れば,十分な追跡期間が必要であることが考慮されるべきである。

あるべき認定基準
以上を前提に,①
原爆放射線による被曝又はその身体への影響が推定で
きるとの要件が認められ,②
原爆被爆後に生じた白血病などの造血器腫瘍,
多発性骨髄腫,骨髄異形成症候群,固形がんなどの悪性腫瘍,中枢神経腫瘍
のいずれかに罹患している場合,③
原爆放射線の後影響が否定できず,治
療を要する健康障害が認められる場合において,現に医療を要する状態にあ
る場合には,原爆症と認定されるべきである。
(3)
放射線起因性に関する判断に当たっての留意点
さらに,放射線起因性に関しては,以下の点に留意すべきである。

被爆者の発がんについて
(ア)
被爆時年齢
被爆時年齢が低いほど発がんリスクが高くなる傾向が明らかとなってい
る。
(イ)
多臓器における発がん
放射線は細胞分裂が旺盛な組織において最も染色体異常を生じやすい。
放影研の調査によっても,ほぼすべてのがんにおいて時期を経るに従って
(正の)相関関係が確認されてきており,男性では肺がん,胃がん,肝が
ん,大腸がん,女性では大腸がん,胃がん,肺がん,肝がんなど,非被爆
者と比較して有意に高い発生率を持つことが示されている。
(ウ)
被爆と白血病
白血病は被爆後障害の代表となっているが,白血病のうちでも骨髄球性
-61-

白血病が被爆者白血病の特性と見られた。現在では被爆者においてMDS
(骨髄異形成症候群)のリスクが高いことが確認されている。被爆者MD
Sは被爆時年齢が若年であるほど,そして70歳台を発症のピークにしてい
ることが明らかになっている。
(エ)
多重がん
被爆者においては,原爆放射線誘発・発癌が多臓器にわたって高リスク
であることが明確となってきており,また,発がんには一般に加齢(高齢
化)が影響していることから,高齢化する被爆者においても,多重がんの
高リスク発生が予想されてきた。

非がん性疾患について
非がん性疾患についても被爆との関連が指摘されてきている。
(ア)
動脈硬化性心疾患(心筋梗塞)
成人健康調査(第8報)は,被爆時年齢40歳未満の群で,心筋梗塞と被
爆との有意の関係を指摘している。
(イ)
慢性肝疾患
放射線を負荷された被爆者の肝組織は,C型肝炎ウィルスの関与の下で
慢性肝炎の発症と進行を早めていると考えられている。すなわち,被爆と
C型肝炎ウィルスとの共同成因である。しかし,現時点ではこの点につい
て一点の疑義もない自然科学的証明が可能になっているわけでもない。
(ウ)
白内障
被爆者白内障は,被爆後,数か月から数年で発症し,その後の発症は明
確でなかった。しかし,成人健康調査(第8報)では遅発性原爆白内障が
確認されている。従来,老人性白内障は放射線の影響を受けるとの所見は
得られていなかったが,この点についても認識を新たにする必要が出てき
ている。

全体的・総合的考慮の必要性
-62-

がん及び非がん性疾患において,同一病名の疾患については,病理学的に
も臨床経過上も,被爆,非被爆の区別は一般にはできない。疾患の診断は被
爆者も非被爆者ももともと共通の診断基準に基づいて行われるものであり,
放射線起因性は,疫学の助けを借りつつ,1審原告らの疾病発症の経過を踏
まえて判断されるべきものである。ところが,被曝線量と疾患との線量反応
関係を前提とする場合,厳密な定量化が困難な臨床的特性は,被爆との疫学
的関連性が明確となりづらい。そのような事情を踏まえれば,一般的に放射
線起因性の判断は「全体的・総合的」考慮とならざるを得ず,疫学的検討も
また,それらをサポートする手段として援用されるべきものである。
(4)
要医療性
被爆者援護法10条にいう「現に医療を要する状態にある」との点は,医学的
に見て,何らかの治療効果を期待し得る可能性を否定することができない場合
には,これに該当するというべきである。
すなわち,放射線障害を有する被爆者に対しては,症状の推移を見守る意味
においても医師による長期の観察が必要であり,治療方法についても研究の余
地が残されていることのほかに,治療指針が治療上の一般的注意として指摘し
ているように,原爆被爆者の中には,自身の健康に関し絶えず不安を抱き神経
症状を現すものも少なくないので,心理的面を加味して治療を行う必要がある
場合もあることを考慮すると,医学的に見て何らかの医療効果を期待し得る可
能性を否定することができないような医療が存する限り,要医療性を肯定すべ
きである。放射線起因性の認められる被爆者に対しては,効果の期待し得る可
能性を否定することができない治療を施しながら研究を重ねる態度が望まれる
のであって,その態度こそがあらゆる可能性を求めて治療に努めるべき医の倫
理にかなうものというべきである。
(5)
まとめ
以上に述べたところや松谷訴訟最高裁判決等の結論からすれば,申請疾病の
-63-

原爆放射線起因性の判断にあたっては,①
申請に係る症状が,原爆による被
曝との関係が存する可能性があると見ることに相応の根拠があり,疫学的にも
このことを根拠づけることができること,②
認定申請した者の被爆前の生活
状況,健康状態,被爆状況,被爆後の行動経過,活動状況,生活環境,被爆直
後に生じた症状の有無,内容,程度,態様,被爆後の生活状況,健康状態等を
全体的,総合的に考慮した上で,原爆放射線被曝の事実が申請に係る疾病の発
生を招来した関係を是認できること,③
申請疾病が発症又は進行した原因と
して考えられる他の具体的な原因が見あたらないことなどから放射線起因性を
認めるのが相当な場合,また,④
要治療性の判断に当たっては,主治医の判
断を尊重し,抜本的治療方法がなくても当該原爆症の症状を緩和させる医療の
必要性が肯定されるような場合には認めるべきである。
【1審被告らの主張】

原爆症認定と審査の方針
(1)
被爆者援護法に基づく原爆症認定審査
厚生労働大臣が原爆症認定を行うに当たっては認定審査会の意見を聴かなけ
ればならないところ,同審査会には医療分科会が置かれ,厚生労働大臣が指名
する委員及び臨時委員は,放射線科学者や,現に広島・長崎において被爆者医
療に従事する医学関係者,さらに内科や外科等の様々な分野の専門的医師等か
ら指名された者であり,疾病の放射線起因性や要医療性の判断について高い見
識を有する者である。厚生労働大臣は,このような専門家で構成された医療分
科会の意見を慎重に検討した上で,原爆症認定を行っている。
(2)
審査の方針
医療分科会は,放射線起因性及び要医療性の判断の方針として審査の方針を
定めているが,これは,原爆症認定に当たって目安となる方針であって,医療
分科会の委員が審査に当たり,共通の認識として活用する趣旨のものである。
-64-

この審査の方針が定める放射線起因性の判断方法は,以下のとおりである。

審査の方針においては「原爆放射線起因性の判断に当たっては,申請疾

病における原因確率及びしきい値(生体反応を引き起こす限界線量)を目安
として,当該申請疾病の原爆放射線起因性に係る高度の蓋然性の有無を判断
する」こととしている。原因確率とは,原爆放射線によって誘発された疾病
発生の割合のことであり,しきい値とは,確定的影響(ある一定の線量以上
の放射線に被曝すると影響が出現し,線量の増加に伴い症状が重篤になるも
の,白内障や脱毛などが典型例)において被曝による症状の発生するための
最低限の線量をいう。審査の方針においては,95%信頼区間を設定している。

原因確率は,疾患,性別の区分に応じて適用される原因確率表により,推
定被曝線量と被爆時の年齢によって算定する。推定被曝線量は,初期放射線
による被曝線量に,残留放射線による被曝線量及び放射性降下物による被曝
線量を加えて算定する。

求められた原因確率がおおむね50%を超える場合は,当該申請疾患につい
て,一応,原爆放射線による一定の健康影響の可能性があると推定し,原因
確率がおおむね10%未満である場合には,当該可能性が低いものと推定する
こととした上で,これらを機械的に適用して判断するのではなく,更に当該
申請者に係る既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で判断する。

原因確率等が設けられていない疾病等に係る審査に当たっては,当該疾病
等には,原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていないこ
とに留意しつつ,当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等
を総合的に勘案して,個別にその起因性を判断する。
(3)
原爆症認定における審査の方針の意義
放射線起因性の判断は,科学的・医学的知見に基づいて行わなければならず,
審査の方針において,放射線起因性の判断をするために用いられる,原因確率,
被曝線量等は,いずれも,原子物理学,放射線学,疫学,病理学,臨床医学等
-65-

の高度に専門的な科学的・医学的知見に基づくものである。
そして,放射線起因性の判断は,訴訟上の因果関係として「高度の蓋然性」
によって決されるべきであるが,審査の方針は,原因確率がおおむね50%以上
である場合には,放射線起因性を推定することとし,これを緩和して,被爆者
援護法の趣旨から可及的に原爆症認定をしようとする観点も加味している。
個別具体の事案においては,原因確率の算出に当たって考慮されていない要
因による放射線起因性に配慮するため,申請者に係る既往歴,環境因子,生活
歴等も総合考慮している。
したがって,厚生労働大臣のした原爆症認定申請に係る判断は,専門家によ
って構成される被爆者医療分科会において,医学的・科学的合理性に基礎付け
られ,また,可及的に原爆症認定をしようという被爆者援護法の趣旨を加味し
た審査の方針を目安として形成された意見を尊重してされたものということが
できる。
(4)
1審原告らの主張に対する反論
1審原告らは,放射線起因性の判断について,放射線に影響があることを否
定し得ない疾病等に罹り,医療を要する状態となった場合には,放射線起因性
が推定され,放射線の影響を否定し得る特段の事情が認められない限り,その
疾病等は原爆放射線の影響を受けたものとして原爆症認定がされるべきである
旨主張するが,失当である。
放射線の人体に与える影響について未解明の部分があることは否定し得ない
が,経験則に照らした上で高度の蓋然性の立証が必要である以上,現時点にお
いて専門的知見として確立している科学的・医学的な知見を経験則として判断
の基礎とすることは不可欠である。1審原告らの上記主張は,現時点において
確立していない学説等により放射線起因性を判断することを許容するばかり
か,放射線と疾病との関係が不明である場合についてまで放射線起因性を肯定
するに等しく,科学的・医学的にみて正当とはいえない。また,1審原告らの
-66-

主張は,放射線起因性がないことの立証責任を行政庁側に負担させることにな
るが,被爆者援護法にそのようなことを窺わせる規定は存しないし,松谷訴訟
最高裁判決の趣旨にも整合しない。なお,科学的調査や疫学調査のデータは一
般に公開されており,証拠の偏在ということもない。
1審原告らの上記主張は,その根拠を含めおよそ採り得ない失当なものとい
うべきである。

審査の方針における初期放射線の評価の正当性(DS86の正当性)
(1)
初期放射線による被曝線量の算定
審査の方針は,初期放射線による被曝線量について,別表9に定めるとおり
とするものとされているが,認定審査会においては,より厳密な審査会線量推
定表に基づいて被曝線量を算定している。
審査の方針における別表9及び審査会線量推定表は,DS86により求めら
れた数値に基づいており,平成15年3月にDS86を更新する線量推定方式と
してDS02が策定され,その策定に当たってされた研究によってDS86の
評価方法の正当性が検証されている。
(2)
原爆放射線量推定方式の経緯

DS86開発の経緯
T65Dには,測定データに基づく推定・評価システムであることによる
問題点(ネバダ核実験場と広島及び長崎と湿度の違い,原爆の種類の違い,
遮蔽推定精度の不足等)があった。
そこで,日米で線量再評価検討委員会と上級委員会が設置され,共同して
この問題に当たることとなり,昭和61年に日米合同上級委員会において新し
い線量評価システムとしてDS86が策定された。これは,大型コンピュー
タによる数値計算を主体としたシミュレーションを用いて,広島・長崎の初
期放射線量を推定・評価するシステムである。

DS02策定の経緯
-67-

DS86の開発により,被爆者の放射線量がほぼ正確に推定できるように
なったと考えられたが,DS86公開後に行われた放射化分析による熱中性
子の測定結果において,広島における爆心地から1000m以遠の遠距離におけ
る熱中性子の試料の測定値とDS86による計算評価値とが異なるという内
容の報告がされ,その中には,爆心地から1400mの位置において,測定値が
計算値の10倍以上の違いがあるとの報告もあった。そこで,この不一致の解
明をすべく,日米の原爆放射線量評価実務研究班によって,引き続き個別に
研究が進められ,その知見を集積・統合し,平成15年3月,DS86を更新
する線量推定方式としてDS02が策定された。
DS02は,DS86における評価方法を踏襲した上で,更に進歩した最
新の大型コンピューターを駆使し,最新の核断面積データ等を使用し,かつ
DS86よりも緻密な計算を用いることにより,DS86よりも高い精度で
被曝線量の評価を可能としたものであって,DS02策定に当たりされた研
究は,DS86の評価方法の正当性を改めて検証する結果となった。
(3)
DS86の概要とその正当性の根拠

DS86の概要
原子爆弾(原爆)による初期放射線は,物理法則に従って発生し,容器の
外部に射出(漏出)し,空中を伝播(輸送)し,地形,家屋,人体等により
遮蔽されて人体各臓器に到達する。放射性物質が核種によりどの程度の放射
線を出してどの程度の時間で変化するかも,物理法則に従うものである。
原爆の初期放射線の飛散状況は,このような放射線物理学等の近時の科学
的知見によって十分解明されるに至っている。これらの科学的知見を集積し
て完成したのが,DS86による被曝線量推定システムであり,広島・長崎
の被爆者データを放射線防護の基準の考察に用いることを目的として開発さ
れたものである。

原爆出力の推定
-68-

広島・長崎に投下された原爆の出力は,投下時のデータの大部分が失われ
ているため直接の測定値は得られていないが,複数の推定方式を用いた結果,
広島原爆の出力は15kt,誤差は±3kt,長崎原爆の出力は21kt,誤差は±2
ktの範囲にあるとされた。

被爆者の被曝線量の推定
DS86は,原爆の爆弾としての出力,ソースターム(爆弾から放出され
る粒子や量子の個数及びそのエネルギーや方向の分布,最新の計算方法に

よる空気中カーマ(被爆者の周囲の遮蔽を考えない場合の被曝線量,遮蔽

カーマ(被爆者の周囲の構造物による遮蔽を考慮した被曝線量,臓器線量

(人体組織による遮蔽も考慮した被曝線量)の計算モデルを統合し,被爆者
の遮蔽データを入力して臓器の吸収線量(吸収した放射線のエネルギーの総
量で,単位はGy〈グレイ〉で表される)など各種の線量を計算するシステ

ムである。当時としては,最高の大型コンピュータを駆使し,原爆放射線を
構成するガンマ線や中性子線の光子や粒子の1個1個の挙動や相互作用を最
新の放射線物理学の理論によって忠実に再現し,膨大な計算結果に基づいて,
最終的にすべてのガンマ線と中性子線の動きを評価するものであって,その
信頼性には極めて高いものがある。そして,原子力発電所や医用放射線の線
量推定にも応用されてきている。なお,DS86の策定に際しては,3個製
造された広島原爆の外殻のうち,使用されずに保管されていた残りのものを
利用して製作された原子炉を原爆の複製(レプリカ)として使い「爆弾自

体の内部における状況を再現」するなど,日米の合同の研究グループが可能
な限り当時の状況を再現して開発したものである。
(4)
DS86の問題点をめぐる議論

ガンマ線の測定値と計算値のずれ
原爆放射線の中心を占めるガンマ線について,熱ルミネセンス線量測定法
(煉瓦等に含まれる石英等の物質が浴びた放射線量の測定法)を用いて測定
-69-

した結果,広島においては爆心地から1000m以遠でDS86の計算値より大
きく,近い距離においては逆に小さくなっているが,長崎においてはこの関
係は逆になっている。しかしながら,これは細部における傾向であって,全
体としては測定値とDS86はよく一致していると考えられている。

中性子線の測定値と計算値のずれ
中性子線の検証には,線量を直接測定する方法はないため,中性子によっ
て特定の物質中に生成された特定の放射性物質の放射能を測定し,この測定
値とDS86の計算値との比較を行った。その結果,熱中性子線誘導放射能
(ユウロピウム152,塩素36)の測定値とこれに対応するDS86の計算値
との間には系統的なずれが見られ,爆心地からの近距離では計算値の方が測
定値よりも高く,遠距離では逆になっていた。この傾向は明瞭であり,DS
86が策定されて以降,測定値の数が増加するとともに,広島においてこの
ずれが顕著なものとなってきた。長崎においては,系統的なずれを示さない
データと,広島と同様のずれを示すデータとの両者がある。
(5)
DS02の策定によるDS86の正当性の検証
以下のような各種の研究の結果を踏まえたDS02において,各測定値の検
証やバックグラウンドによる測定自体の誤差等が検討され,バックグラウンド
の評価を丹念に行い,バックグラウンドによる影響を極めて低くした精度の高
い測定を行うなどした結果,DS86による計算値と測定値のズレは,測定に
当たって対象外の放射線源から発せられる放射線が計測されるという測定方法
の問題であって,DS86の問題ではなく,正確に測定された測定値とDS8
6による計算値とがよく一致していることが確認された。

放射線量の再計算
(ア)
出力の推定
DS02においては,爆弾の出力を計算するための最新の理論計算によ
り再計算がされ,広島型原爆の出力が15kt~16ktに修正されたほか,放射
-70-

化測定値を最適化するプログラムの開発により,爆発高度が580m~600m
に修正された。なお,これらの修正は,爆心地から近距離の線量評価に影
響を与えるが,爆央から1000m~1500mの距離になると線量評価に大きな
影響を与えない。修正の結果,爆心地近辺での線量の計算値と測定値とが
よく一致するものとなった。
他方,長崎型原爆は,DS02の再検討においてもDS86時とほぼ同
様の結果が示され,出力・爆発高度ともに再考の必要性はなかった。
(イ)
ソースタームの評価
ソースタームは,現代の最新の放射線物理学に基づき,核分裂で放出さ
れた放射線が爆弾の外殻材料を透過した後のエネルギー分布や方向分布を
算定したものであるが,新しい核断面積データ等を用いて,エネルギー分
布をより精緻にし,高い精度の結果を得た。すなわち,DS02において
は,長崎型原爆において43%,広島型原爆において31%,即発ガンマ線の
モル数が増えたが,即発ガンマ線のガンマ線全体に対する割合は約4%に
すぎず,合計ガンマ線の約1%の増加にしかならないということが明らか
となった。
その結果,DS02の中性子,ガンマ線のソースタームは,全体的にD
S86とよく一致しているとの結論に至った。
なお,DS02による出力修正の影響は,もともと,12kt~20ktという
DS86時の広島型原爆の出力の推定誤差の範囲内の変更にすぎないの
で,DS02による出力推定の修正は,ソースタームに影響しない。
(ウ)
空中輸送計算(空中伝播計算)
DS02における即発放射線に関する空中伝播計算は,DS86よりも
エネルギーや距離・角度の分布につき細かく計算され,中性子199群,ガ
ンマ線42群の核断面積データが離散座標法による計算に使用された。また,
離散座標法により求められた放射化量及び線量の分布については,モンテ
-71-

カルロ法の計算結果と比較され,2つの解析法の一致度は1500mまで±10
%の範囲に収まった。また,DS02においては,遅発放射線の計算につ
いても,DS86開発時よりも優れた計算方法により求められた。
DS02により求められた中性子線・ガンマ線の空気中カーマ線量は,
DS86と比較して,2.5kmの範囲において10%未満の違いであり,爆心
地からの距離が1000m~2500mの空気中カーマ線量の合計もDS02によ
る計算値がDS86に比べ広島で平均7%,長崎で平均約9%高いという
結果が得られ,その結果,DS86とDS02により求められる空気中カ
ーマ線量に有意な差がないことが明らかになった。

DS02における測定値の評価
(ア)
ガンマ線測定
DS02においては,広島,長崎両市におけるガンマ線量測定値の再評
価が行われ,各測定値の検証やバックグラウンドや熱ルミネッセンス法に
よる測定自体の不確実性等が検討された。
その結果,現行の熱ルミネッセンス法による測定値のうち,爆心地から
約1.5㎞以遠の測定値については,原爆によるガンマ線量がバックグラウ
ンド線量と同量となることから,バックグラウンド線量の誤差が測定線量
に大きく影響を与えるため,その測定値をもって正確なガンマ線量を評価
することが不可能であることが判明した。
そして,DS02報告書では,DS02,DS86の各計算値と熱ルミ
ネッセンス法によるガンマ線量の測定値との比較がされ,DS02の計算
値の方がDS86の計算値よりも一致度が若干高いものの,測定値と計算
値の全体的な一致度は,上記バックグラウンド線量の問題を考慮すること
により,DS02と同様,DS86も良好であるという結論に至り,ガン
マ線量の推定においてDS86による計算値の正当性が検証された。
(イ)
熱中性子測定
-72-


ユウロピウム152の放射化測定
DS86の公表後,ユウロピウム152の測定がされ,DS86におけ
る熱中性子の計算評価値と放射化測定値について爆心地近くでは計算評
価値が高く,距離が離れるほど放射化測定値が計算評価値よりも高くな
り,地上距離1000m以遠の遠距離においては,不一致が10倍以上異なる
という結果がでて,DS86に系統的な問題があるのではないかという
指摘がされた。
しかし精度の高い測定法によるユウロピウ

ム152の放射化測定値(小
村和久教授〈金沢大学・視線計測応用研究センター低レベル放射能実験
施設,以下「小村教授」という)らに

よる測定)とDS02による計
算評価値とを比較すると,よく一致していることが判明し,地上距離10
00mを超える距離においても,DS02の計算評価値の正当性が検証さ
れ,ほぼ同じ数値を推定しているDS86の計算評価値の正当性が検証
された。
1審原告らは,上記小村教授らによるユウロピウム152の実測値によ
っても1400m以遠の実測値においては系統的に計算値が過小評価となっ
ている可能性は否定できないのであり,遠距離においてその正確性は何
ら検証されていないと主張するが,広島の爆心地から1400m離れた地点
における原爆の中性子線量は,DS02に基づく計算値でわずか0.0171
Gy,2㎞地点では0.000386Gy,2.5㎞地点では0.0000199Gyにすぎず,広
島の爆心地から1424m地点における中性子線量の実測値は,約0.0285Gy
にすぎない(これより以遠では実測することすらできない低線量とな
る。1審原告らがるる主張する遠

距離地点では,実測すらできないほ
ど,中性子線量は低減しているのであり,このような遠距離における計
算値と実測値との乖離を問題にすること自体全く意味がない。

塩素36の放射化測定
-73-

また,アメリカ,ドイツ及び日本において,広島・長崎で採取された
鉱物試料中の熱中性子線を測定するため,加速器質量分析法(AMS=
特定の原子核の個数を直接数えることによって目的の同位体〈放射性核
種〉を測定する方法)によって塩素36の放射化測定実験が行われ,それ
とともに,同測定法のバックグラウンド等による測定限界について検討
がされた。
アメリカにおけるAMSによる塩素36の測定値は,爆心地付近から塩
素36/塩素比がバックグラウンドと鑑別不可能になる距離までDS02
と一致するとの結論に至った。また,同研究により,従前測定された14
00m付近における塩素36の放射化測定値(ストローメら1992年)がDS
86,DS02の計算評価値と一致しなかった原因について,同測定に
高いバックグラウンドを示す表面セメントを試料としていたことに起因
するものであって,高い表面の測定値が原爆の射出した中性子により生
成されたものではないことが明らかになった。
ドイツのミュンヘンのAMS施設における爆央から約1300m地点の試
料に重点を置いた測定においても,DS86の計算評価値と放射化測定
値との間に明確な不一致が認められないことが確認されている。なお,
爆央から1300m以遠の

試料花崗岩及びコンクリートの表面付近の試料)
を用いた塩素36の放射化測定によって,宇宙線並びにウラニウム及びト
リウムの崩壊が放射化測定値に大きな影響を与えることが確認され,そ
れが測定誤差の原因である可能性があることも確認されている。

ユウロピウム152と塩素36の相互比較
DS02報告書の研究では,再測定されたユウロピウム152と塩素36
の各放射化測定値を異なる研究機関で異なる方法を用いて測定し,それ
らを相互比較して検証した結果,爆心からの地上距離135m~1177mま
での試料の放射化測定値とDS02の計算値とが一致していることが確
-74-

認され,DS02の正当性が検証された。

コバルト60の放射化測定
広島におけるコバルト60の放射化測定値とDS86の計算値の一致度
の低さが問題とされてきたが,コバルト60の半減期は短く,空中距離60
0m(ほぼ爆心地付近)以遠の測定値は,不確実性が大きいため,放射
化測定値をもってDS86の計算値を評価すること自体できない。DS
02においては,熱中性子線について,より半減期の長い核種であるユ
ウロピウム152や塩素36につき精度の高い測定方法により再測定を行い,
それらの測定値とDS86の計算値とが一致していることを確認し,D
S02及びDS86の計算値の正当性が検証されている。

まとめ
以上のとおり,DS02において,DS86における広島の熱中性子
線に関する測定値と計算値との不一致について検討した結果,測定値の
方の精度に問題があることが判明し,バックグラウンドや測定限界を考
慮して,改めて検証したところ,計算値と測定値が一致することが判明
した。
(ウ)
速中性子測定

リン32の放射化測定
放射線により硫黄中に発生したリン32を測定することにより速中性子
線を測定する方法は,DS86開発時の研究において実施され,爆心地
から数百メートル以内の距離では,計算と測定との間に大きな隔たりは
みられないが,それ以上の距離では,測定値の誤差が大きすぎて計算値
との一致・不一致が判定できないとされていた。
DS02報告書の研究では,測定されたリン32の放射能測定値の再評
価がされ,広島型原爆については,爆心地近くではDS86とDS02
は両方ともリン32測定値とよく一致しているとの結論に至った。
-75-


ニッケル63の放射化測定
放射線により放射化された銅試料中のニッケル63を測定することによ
り,原爆の放射線の中の速中性子を測定する方法が開発され,速中性子
の再測定が可能となった。
加速器質量分析法(AMS)を用いた測定により,原爆被爆者の位置
に最も関係のある距離(900m~1500m)における速中性子の測定値が
初めて得られ,その結果,広島型原爆について,バックグラウンドを差
し引いた後のデータを昭和20年に対して補正すると,広島の銅試料中の
ニッケル63測定値はDS02に基づく試料別計算値とよく一致し,DS
86に基づく計算値との比較でも,日本銀行の場合を除いてよく一致す
るとされ,DS86及びDS02の計算値の正当性が検証された。
また,DS02報告書の研究では,液体シンチレーション計数法によ
り,AMSから得られたバックグラウンドデータを使用してニッケル63
の測定がされ,その結果,上記の結果とよく一致した。
(エ)
測定値と計算値との比較
DS02報告書の研究で再評価されたガンマ線,熱中性子線,速中性子
線の各測定値とDS02,DS86の計算値とを改めて比較した結果は,
DS02の計算値と各測定値との比較につき,爆心地から地上距離が2500
mに至るまでのDS02自由場フルエンス計算値は,ガンマ線,熱中性子
及び速中性子の放射化によって,測定値と透過係数の不確実性の限度内で
確証されているとして,DS02の自由場放射線フルエンス(出力・ソー
スタームの評価,空中輸送計算を経て得られた数値)の正当性を検証する
ものであった。
DS02における自由場放射線フルエンスが検証されたことは,同様の
計算方法により評価されている遮蔽計算や臓器線量の計算方法の正当性が
検証されたことを意味する。
-76-

(6)
審査の方針における透過係数の正当性
審査の方針においては,被爆時に遮蔽があった場合の初期放射線による被曝
線量につき,別表9に定める値に被爆状況によって0.5~1を乗じて得た値と
するものとされているところ,実際の審査に当たっては,一律0.7を乗じるこ
ととしている。これは,被爆時の周囲の建造物などの放射線遮蔽効果は,その
放射線の透過係数により評価されるところ,被爆状況の大半(近距離で広島69
%,長崎44%)を占める日本家屋内被曝についてみると,DS86においては,
係数は直接計算されず,空気中カーマに対する木造家屋内被爆者の遮蔽カーマ
の比を計算することによって得られており,その数値すなわち平均家屋透過係
数は,広島の場合は,ガンマ線0.46,中性子線0.36,長崎の場合は,ガンマ線
0.48,中性子線0.41であって,被爆者の周囲の遮蔽物がコンクリート造りの建
造物などであれば,遮蔽効果はこれより大きく,透過係数は小さくなるが,審
査の実際においては,個々の申請者の被爆状況を子細に把握することは困難で
あるため,透過係数を一律にして計算することとし,その数値については,日
本家屋の透過係数がせいぜい0.3~0.5程度であり,実際に透過係数が0.7以上
になるような被爆状況は想定し難いことから,これにより求めた被曝線量が推
定し得る最大の推定値となるようにするとの配慮により,これを0.7としたも
のである。したがって,透過係数を一律0.7としたことにより,1審原告らが
認定審査において不利になることはあり得ない。
(7)
DS86に対する1審原告らの主張に対する反論

広島における線量推定の困難について
(ア)
1審原告らは,広島原爆と同型の原爆での実験でなく,かつ,構造等
の詳細な情報が軍事機密とされており,被曝線量の推定が困難であると主
張をする。
しかし,DS86は,広島の爆弾のレプリカ(原子炉)による実験結果
を基礎に,その他の複数の理論的計算の結果や爆弾投下時測定器ゾンデに
-77-

よる測定結果,硫黄中の中性子誘導リン32の放射能の測定線量との比較,
屋根瓦中のガンマ線熱ルミネッセンス測定値等からの推定等も行われ,出
力の理論的計算値を得ているのであって,1審原告らの指摘する事実によ
って,DS86の推定値の科学的合理性が失われるわけではない。
(イ)
1審原告らは,DS02の策定過程において原爆の出力が変更された
ことは,複製に基づく推定の誤り示すものであると主張する。
しかし,その変更は,不確実性の範囲内でなされたにすぎず,このよう
な出力の変更を前提としたDS02とDS86との中性子線量,ガンマ線
量の計算評価値の比較については,中性子線量は0~2500m間で約±10%
異なり,また,DS02の一次ガンマ線量は約1200m以遠の地上距離で20
%ほどDS86データよりも大きいなどと説明されているところ,放射線
線量推定においては,通常,500m~700mを超える遠距離では推定が困難
となるため,推定方式の更新に伴い100~300%程度違いが見られる場合も
多いことからすると,上記DS86とDS02の各計算評価値の違いは,
両計算評価値が極めてよく一致していることを示していると評価できる。
(ウ)
また,広島原爆のレプリカは,砲身を短くしたことと核分裂物質を減
らしたこと以外は実際の広島原爆と同一であり,精度の高い検証実験が可
能な装置であり,爆弾の後部にしか火薬が装填されていないことからして,
火薬部分による中性子の吸収・散乱の影響は極めて弱く,実際に地上に到
達する放射線への影響は無視し得るものであるから,1審原告らの上記主
張は失当である。

DS86が検証不能であることについて
(ア)
1審原告らは,DS86は,実験結果に基づかないコンピュータシミ
ュレーションにすぎない上,軍事的な目的に出た研究であり,放出線量な
どの基本的事項が明らかになっていないなどと主張する。
しかし,DS86は,医療用放射線防護や原子力発電所での放射線防護
-78-

などの領域において広く用いられている様々な線量推定方式を広島・長崎
の原爆線量評価に応用したものであり,単なるコンピュータプログラムに
基づく計算にとどまらず,日米の線量再評価検討委員会及び上級委員会に
よって,原子炉実験や被曝試料の測定等を含めた総合的な検討を基礎に,
その推定がされたものである。
(イ)
また,1審原告らは,DS86が,他の科学者等による追確認の検証
不可能なものであり,そもそも信用性が乏しい旨主張する。
しかし,DS86で用いられた線量推定方式は,日米の複数の研究機関
において追検証された上で策定され,その理論の概要等は,DS86報告
書等に記載されているとおりであり,DS86の内容等を検討するに足り
る内容が開示されている。
(ウ)
さらに,DS02及びDS86において,ソースタームや空中輸送計
算に用いられている評価計算に用いられているコンピュタプログラムや核
断面積データはDS02報告書のとおりであり,これらのプログラムや核
断面積データも計算方法を検証することは可能である。

DS86におけるガンマ線の計算値と測定値との乖離について
(ア)
1審原告らは,広島の爆心地から1000m以遠において,DS86のガ
ンマ線推定線量は,実際の線量よりも過小評価されている旨主張するが,
2.1km地点でも0.05Gy(推定値)と0.06Gy(実測値)の間の値で,0.01Gy
単位の精度で一致している。
(イ)
また,1審原告らは,

長友恒夫教授奈良教育大学,以「
下長友教授」
という)らによる爆心

地から2050m,あるいは1591m~1635mにおける
ガンマ線線量の測定結果を根拠に,DS86によるガンマ線の線量推定に
誤りがあることが明らかとなってきている旨主張する。
しかし,爆心地から約1.5km以遠では原爆によるガンマ線量がバックグ
ラウンド線量と同程度以下で,バックグラウンド線量の誤差が測定線量に
-79-

大きく影響を与えるので,測定値自体の信頼性に問題があり,的確な比較
ができず,DS86の計算値が誤っているとすることはできない。
(ウ)
そもそも,1審原告ら側が提出した長友教授らの報告書によっても,
広島の爆心地から2.05km地点において熱ルミネセンス法により測定され
た,原爆のガンマ線の初期放射線の実測値は,わずか0.129Gy程度にすぎ
ず,DS86による同地点における計算値は,0.0605Gyであり,その差は
絶対値でみれば無視し得る程度のものでしかなく,その乖離は有意なもの
ではない。長崎においてもこれと大差はなく,1審原告らが提出した澤田
意見書も,長崎原爆のガンマ線に関するDS86の線量評価は,比較的実
測値と一致しているとしている。
要するに,1審原告らは,絶対値で見れば無視し得る,原爆の初期放射
線量の実測値とDS86による計算値の乖離を殊更に強調しているにすぎ
ず,いずれにせよ,遠距離地点においては急性症状を生じさせる初期放射
線による被曝はなかったから,1審原告らの主張は失当である。

DS86における中性子線の計算値と測定値との乖離について
(ア)
既述のとおり熱中性子線誘導放射(
線ユウロピウム152,コバルト60,
塩素36)の測定値とこれに対応するDS86計算値との間には系統的なズ
レが見られ,その原因については,DS02の策定過程において検討され
るまで未解明であったが,DS02の策定過程において再測定を行った結
果,計算値と測定値が一致することが判明し,従前の広島の中性子線の不
一致は,測定方法の問題であって,DS86の問題ではなかったことが明
らかになっている。
(イ)
1審原告らは,コバルト60の測定結果は,明らかに遠距離では測定値
が計算値を上回っている旨主張するが,先に述べたとおり,コバルト60の
放射化測定値をもって,DS86の計算値を評価すること自体できない。
コバルト60より半減期の長い核種であるユウロピウム152や塩素36につき
-80-

精度の高い測定方法により再測定を行い,それらの測定値とDS86の計
算値とが一致していることを確認しているのであって,その正当性が検証
されており,1審原告らの主張は,失当である。
(ウ)
1審原告らは,中性子線についても,DS86による計算値と実測値
に差がある旨を主張するが,そもそも,原爆による中性子線量の全線量に
対する割合は,広島の場合は1000mで5.8%,1500mで1.7%,2000mで0.
5%と非常に低く,長崎の場合は更に低いとされており,仮に中性子線量
にDS86の理論計算値と実測値の乖離があったとしても,被爆者の推定
線量にはほとんど変化は発生しないのである
1審原告らは,絶対値で見れば,人の健康影響という視点からは無視し
得る,原爆の初期放射線量の実測値とDS86による計算値の乖離を殊更
に強調しているにすぎず,失当である。要するに,計算値と実測値の乖離
の問題は遠距離被爆者の被曝線量を検討する上で意味のある議論ではない
のである。
(エ)
1審原告らは,爆心地から離れた遠距離地点において,DS86によ
る初期放射線量の計算値が過小評価されていることは,爆心地から2km以
遠の遠距離被爆者にも被曝による急性症状がみられたことからも明らかで
ある旨を主張するが,放射線による急性症状は,最低でも1Gy程度以上,
脱毛は頭部に3Gy程度以上,下痢は腹部に5Gy程度以上,被曝しなければ
発症しないことは,今日における放射線医学の常識である。
1審原告らの証拠による被曝線量では,被曝による急性症状が見られる
ことはあり得ない。
そうであるならば,爆心地から2km以遠の遠距離被爆者にも被曝による
急性症状がみられたことを根拠として,爆心地から離れた遠距離地点にお
いて,DS86による初期放射線量の計算値が過小評価されているとする
1審原告らの主張が失当であることは明らかである。
-81-


各種調査結果の問題点について
1審原告らは,爆心地から2㎞以遠の遠距離被爆者にも被曝による急性症
状が認められたとする根拠として,①
日米合同調査団の調査,②
東京帝
国大学医学部診察班の報告書,③
於保源作医師の調査等の各種調査結果を
挙げるところ,これらの調査は,一定の集団における特定の健康障害の頻度
(急性症状の発症率)とその発症要因となり

得る特定の曝露要因被曝線量)
をそれぞれ観察し,両者の関連性を検討したものであり,一応,疫学調査の
一類型と呼び得るものであるが,これらの調査には,<ア>
爆心地から2㎞
以遠の被爆者にも初期放射線の被曝と急性症状との間に関連性があるか否か
をみるためにデザインされたものではないこと,<イ>
疫学調査上,留意し
なければならない偏り(バイアス)を適正に排除していないため,見かけ上
の発症者が含まれている可能性が極めて高いこと,<ウ>
調査結果からみて
も,爆心地から2㎞以遠の遠距離被爆者には距離に応じて急性症状の発症率
が低下するという傾向が一貫してみられ

るわけではないこと③の調査では,
逆の傾向さえ見られる。,
)<エ>
当時の状況にかんがみると,原爆とは無
関係に10~20%程度の国民が脱毛の症状を訴えていたとしても何ら不自然な
ことではなく,爆心地からの2.1㎞以遠の脱毛については,原爆放射線の被
曝に起因したものと決めつけることなどできないこと,<オ>
①の調査自体,
発熱,下痢,食思不振及び倦怠感等の諸症状は他疾患の混在を思わしめると
指摘していること,<カ>
被曝による脱毛は,毛母細胞が放射線によって破
壊されることによって生ずる症状であり,被曝後,2,

3週間後にバサッ」
と一時期に大量に抜けるという特徴があるが,脱毛状況を把握した調査では
ないこと,<キ>
急性症状のしきい値に関する知見や実験的研究などによる
他の知見との「関連の整合性」を有しないこと,等多くの問題点があり,各
調査報告に基づいて,爆心地から2㎞以遠の被爆者にも被曝による急性症状
が発症したと結論づけることは,こうした客観的な科学的知見と矛盾するこ
-82-

とになり,このような場合に関連性を認めることは疫学的にも許されないも
のである。
これらの調査は,後に放影研が何万人もの被爆者を対象とし,何年にもわ
たって疾病の発生状況を観察した追跡調査(いわゆるコホート研究)とは全
く次元を異にするものであって,一応の傾向を観察し,曝露要因と健康障害
との関連性についての仮説を立てるための手段にすぎないレベルのものであ
る。
(8)
原爆の放射線の被曝線量評価の世界的評価と利用
被爆者が広島・長崎の原爆の放射線にどの程度被曝したのかについては,戦
後半世紀にわたる様々な研究報告の集積によって,現在では合理的に評価する
ことができる。原爆の人体影響を調査した放影研の疫学調査の結果は,この被
曝線量評価を前提としており,これが現在では世界的にも信頼される放射線防
護の基礎データとなり,各国もこれを前提として放射線の有効利用をしている
が,その前提となる原爆の被曝線量評価が誤っているなどと批判されることは
ない。原爆の放射線の被曝線量評価の合理性は世界的に受け入れられ,異論を
唱える者はいないのである。

審査の方針における放射線降下物等による被曝線量算定の正当性
原爆放射線による外部被曝は,初期放射線によるもの以外に,残留放射能を持
つ放射性物質から放出される残留放射線によるものがあるが,審査の方針におい
てはその評価も適正に行われている。なお,残留放射線とは,一つは,原爆の核
分裂によって生成された放射性物質や未分裂の放射性核物質である放射性降下物
によって生じたものであり,もう一つは,地上に到達した初期放射線の中性子が,
建物や地面を構成する物質の原子核と反応(放射化)を起こし,これによって新
たに生じた放射性核物質による誘導放射線である。
(1)
残留放射線の線量評価

広島・長崎の原爆による放射性降下物
-83-

(ア)
広島(ウラン・
)長崎(プルトニウム)の原爆とも,上空で爆発した
ものであり,原爆の核分裂直後に形成された火球の温度は,最高で摂氏数
百万度に達し,原爆の爆発とともに爆発点に数十万気圧という超高圧がつ
くられ,周りの空気が大膨張して爆風となったことから,未分裂の核物質
があったにしても,それらは気化(蒸発)し,放射性降下物として爆心地
の近辺にとどまることなく,原爆の激しい爆風で大気中に拡散し希釈され
て流れ去っており,発生した放射性降下物は比較的少なかったとされてい
る。
そして,昭和20年8月9日から同年11月にかけて,理化学研究所,大阪
帝国大学,京都帝国大学,マンハッタン技術部隊,日米合同調査団等によ
り広島及び長崎において行われた残留放射線の初期調査の結果,爆心地付
近のほか,広島においては己斐・高須地区,長崎においては西山地区で,
放射線の影響が比較的顕著に見られることが分かり,これは原爆直後,両
地区(両地区とも爆心地から約3㎞の風下に当たる)において激しい降

雨があり,これによって放射性降下物が降下したことによるものであるこ
とが確認された。
なお,放射性降下物については昭和50年に,誘導放射線については昭和
51年以降被爆岩石中のユウロピウムの測定が行われているなど,残留放射
線の調査はその後も引き続き行われた。
(イ)
そこで,放射性降下物についても,被爆者に最大でどの程度の被曝線
量を与えるかを把握するため,DS86の策定時に線量評価がされた。
広島の己斐・高須地区,長崎の西山地区において,被爆後数週間から数
か月の期間にわたり,数回の線量率(単位時間当たりの放射線量)の測定
が行われ,それらの測定値から爆発1時間後の線量率を推定し,任意の時
間内における積算線量が求められた。その結果,爆発1時間後から無限時
間,同地区にとどまり続けたという現実にはあり得ない仮定をした場合で
-84-

も,地上1mの位置での放射性降下物によるガンマ線の積算線量は,広島
の己斐・高須地区においては0.006~0.022Gy,長崎の西山地区で0.12~0.
24Gyにすぎないことが明らかになった。1審原告ら側が提出した静間清ら
調査結果でも己斐・高須地区における,現実にはあり得ない無限時間の滞
在を想定した積算線量は,わずか0.03Gy程度,それ以外の地区では0.001G
y程度にすぎない。
1審被告らも,広島の己斐・高須地区及び長崎の西山地区以外には,放
射性降下物が全く降らなかったとまではいうものではないが,これらの地
区の線量を超えることはなく,いずれにしても,無視し得るほどの線量に
しかならないことが実証的に明らかになっている。
したがって,放射性降下物によって「高線量の被曝をした可能性」があ
るとする1審原告らの主張は,およそ失当である。
(ウ)
審査の方針は,これらの結果を踏まえ,放射性降下物による被曝線量
については,地域的には,己斐又は高須(広島,西山3,4丁目又は木

場(長崎)とし,被曝線量は,それぞれ,0.006~0.02Gy,0.12~0.24Gy
としている。
したがって,審査の方針における放射性降下物による被曝線量の算定は,
正当である。

誘導放射線
(ア)
誘導放射線は,被爆生存者や早期入市者に対する被曝線量を推定する
上で重要であり,昭和33年以降,被爆者の誘導放射能による被曝線量の計
算評価が行われるようになり,DS86策定時にも計算評価がされた。
DS86策定時における研究では,誘導放射線によって被爆者が最大で
どの程度の線量を被曝したかを把握するため,被爆者が爆心地において爆
発直後から無限時間まで滞在したと仮定した上で計算評価がされ,その結
果,爆発直後から無限時間までの爆心地における地上1mでの誘導放射能
-85-

による積算線量は,広島で約

0.5Gy長崎で0.18~0.24Gyとなった。また,
爆心地において,線量率が爆発後の経過時間とともに減少していること,
爆発直後からの積算線量(放射線の総量)が爆心から距離が離れるととも
に減少していること,さらに,積算カーマ線量が爆発後の経過時間ととも
に減少することが示され,残留放射線による被曝線量は,爆心地からの距
離と入市時間と滞在時間に依存し,爆心地からの距離が大きくなり,爆発
後の経過時間が長くなれば,被曝線量は急速に小さくなるということが示
された。
(イ)
そして,爆心地から,広島では700m,長崎では600mを超えると,誘
導放射線による被曝を受けることがほとんどなかったことが判明している
から,それ以遠において誘導放射線の影響を考慮する必要はない。他方,
それ以内の地域においては,誘導放射化された地上の物質等の元素もごく
限られており,半減期も短いうえ,原爆投下直後は,市内は大火に包まれ,
爆心地は6時間以上にわたって火災が続いていたから,誘導放射線の影響
が最もあった爆心地付近に立ち入ることは現実には不可能であった。
したがって,実際に誘導放射線による被曝を受けた者はごく限られてい
たことは明らかであり,火災が鎮火してから爆心地付近に立ち入り,誘導
放射化された物質に直接触れたとしても,それによる被曝の影響は無視し
得る程度のものであった。
そこで,これらのデータに基づき,爆心地からの距離を100m間隔とし,
積算線量も8時間ごととして,広島,長崎それぞれに残留放射線量を算定
して作成されたのが,審査の方針における別表10である。したがって,審
査の方針における残留放射線(誘導放射線)による被曝線量の算定は,正
当である。

残留放射線に関する1審原告らの主張に対する反論
(ア)
1審原告らは,放射能を含んだ「黒い雨」や「黒いすす」がかなり広
-86-

い地域に降下したのに,それによる残留放射能の影響が無視されていると
主張する。
しかし,原爆投下直後にいわゆる「黒い雨」が見られたのは,火災によ
るすすが巻き上げられ,雨と一緒に降下したことによるものであり,この
すすと,原爆の核分裂によって生成された放射性物質(放射性降下物)と
は必ずしも同じものではない。広島の己斐・高須地区,長崎の西山地区に
降った黒い雨及び黒いすすに放射性降下物が含まれていたことは調査結果
により推定できるが,それ以外の地区では裏付けがないだけでなく,両地
区以外での放射性降下物による被曝線量は,それがあったとしても原因確
率の判断に影響しないようなごく微量にすぎないという理由からであり,
不当に無視しているわけではない。
(イ)
この点に関し「
,黒い雨に関する専門家会議報告書」は,残留放射線
の再測定,気象シミュレーション法による降下放射線量の推定,黒い雨に
曝された群と曝されていない群の体細胞突然変異及び染色体異常の頻度の
調査を実施したが,黒い雨降雨地域における残留放射線の残存と放射線に
よると思われる人体影響の存在は認められなかったとしている。したがっ
て,1審原告らが黒い雨の降った雨域と主張する増田雨域の範囲について,
それが放射性降下物の分布を示すものとすることはできない。
(ウ)
先のとおり,広島・長崎に投下された原爆から放出され,地上に降り
注いだ放射性降下物の量自体が極めて少ないことからして,その程度の放
射性降下物を含んだ黒い雨を直接浴びたとしても,一時的なものにすぎな
いのであり,無限時間を想定した上記ア,イの積算線量を超えることは考
えられない。
(2)
遠距離及び入市被爆者に関する1審原告らの主張に対する反論等
1審原告らは,DS86は,遠距離及び入市被爆者に見られた急性症状を説
明することができない旨主張する。
-87-

原爆の放射線被曝による症状については,被曝直後から第2週の終わりまで
に現れる症状を急性症状,第3週から第5週の終わりまでを亜急性症状,第6
週から第8週までを合併症状,第3月から第4月の終わりまでに生じたものを
回復症状と呼んでいるところ,全身倦怠感,悪心,下痢,発熱,歯齦出血,脱
毛,嘔吐などは,急性症状ないし亜急性症状とされており,放射線の確定的影
響の一つである。
したがって,一定の被曝線量に曝露されなければ発症することはないし,そ
の症状も,被曝による脱毛は,毛母細胞が放射線によって障害されることによ
って生ずる症状であり,被曝後,2~3週間後に「バサッ」と一時期に大量に
抜けるという特徴があり,被曝による下痢は,腸管の細胞が障害されることに
よって生ずる症状であり,被曝の3~8時間後に起こるとされ,食事とは何ら
関係なく起こり,ひどいときには起床時,就寝時を問わず生じるなどの特徴が
あり,血便に至るとされている。
しかるところ,既に述べたとおり,客観的な実測値等に基づいて明らかにな
っている広島・長崎の原爆による放射線量からして,遠距離・入市被爆者が急
性症状を生じ得る程度の被曝をしたことは考えられず,被曝による急性症状の
しきい値との関係からして,遠距離・入市被爆者が原爆の放射線に起因する急
性症状を生じたということはあり得ないといわなければならない。
一部に遠距離・入市被爆者に急性症状が見られたとする調査結果があるが,
これらの者に見られたとされる急性症状については,調査自体に多くの問題が
あり,その病態や発症状況からして,被曝による急性症状とは相入れないもの
が多く,また,被爆による急性症状であること自体相当疑わしいといわざるを
得ない。かえって,放影研が入市者を対象として行った大規模な疫学調査等に
よって,入市者に放射性降下物や誘導放射線による被曝の影響がなかったこと
が明らかにされている。
当時,我が国の国民は全体として著しい栄養失調状態にあり,その上に原爆
-88-

を投下され,苛酷で劣悪な衛生状態,栄養状態等に置かれたことにかんがみる
と,遠距離・入市被爆者の中に栄養失調や感染症による下痢の症状を訴えた者
や脱毛が見られた者がいたのは当然のことであり,何ら不自然ではない。
以上のように,遠距離・入市被爆者に原爆放射線に起因する急性症状が生じ
たことを前提とする1審原告らの主張は理由がない。

審査の方針における内部被曝による被曝線量評価の正当性
(1)
内部被曝による被曝線量の推定値
内部被曝とは,呼吸,飲食等を通じて体内に取り込まれた放射性物質による
被曝のことを指すが,DS86開発時においては,放射性降下物が最も多く堆
積した地域である長崎の西山地区の住民に対するセシウム137からの内部被曝
線量の推定がされた。同推定は,ホールボディーカウンターによる西山地区住
民の男性20名,女性30名中のセシウム137の測定を基礎とされ,その結果,昭
和20年から昭和60年までのこの地区における内部被曝による積算線量,すなわ
ち40年間分の内部被曝線量の総計は男性で10mrad,女性で8mradと推定された。
審査の方針においては,内部被曝による被曝線量を特に検討対象としていな
いが,これは個々の申請者ごとの内部被曝線量を科学的に推定することが困難
であること,上記のとおり,内部被曝による被曝線量を最大限に見積もったに
しても0.0001Gy以下と極微量であり,自然放射線による内部被曝線量年間2.4m
Svにも満たないため,審査時の線量推定時に考慮を要しないと判断されたこと
によるものである。これを裏付ける研究報告も存在する。
(2)
内部被曝に関する科学の到達点
体内に取り込まれた放射性核種は,その物理的崩壊による減衰だけでなく,
各元素に特有の代謝過程を経て徐々に排せつされる。この代謝により半減する
期間を生物学的半減期といい,物理学的半減期と生物学的半減期との相乗によ
って体内の放射能が半減することが分かっている。
ところで,原爆による内部被曝を評価する上で着目すべき放射性核種は,原
-89-

爆の核分裂生成物(原爆粒)であるセシウム137とストロンチウム90である。
ICRPのモデルによれば,経口摂取されたセシウム137はそのすべてが胃
腸管から血中に吸収され,10%は生物学的半減期2日で,90%は生物学的半減
期110日で体外へ排せつされるとされている。これによると,10年後には7.3×
10-11,すなわち100億分の1以下に減衰することになる。一方,ストロンチウ
ム90は,経口摂取されたうち30%が消化器系を経由して血中に吸収され,残り
は便として排せつされるとされている。ICRPのモデルによれば,血液にス
トロンチウム90を1ベクレル(ベクレルとは,放射能の強さを示す単位)注入
された場合,10年後には軟組織全体に残留しているのは1.2×10ベ
-4
クレルすな
わち約8300分の1以下に減衰することになる。
放射線の人体に與える影響については,このような,今日における放射線医
学の到達点を理解した上で判断すべきである。
(3)
ホット・パーティクル理論
内部被曝の場合,体内に入り込んだ放射性物質が放出する放射線によって局
所的な被曝が継続するという考え方(ホット・パーティクル理論)がある。
しかし,放射線学に関して最も信頼できる知見に基づいて,国際的な放射線
防護と安全利用に関する基準を示す機関であるICRPは,このような理論を
明解に否定しており,一般的な放射線学の常識としても,このような理論によ
る人体影響の可能性は認められていない。医療の現場をみても,核医学の分野
では放射性核種を投与して,診断に役立てているが,それによって一定量の内
部被曝が起きているものの,これも,そのような内部被曝による人体影響はな
いという医療の常識に基づくものである。
したがって,ホット・パーティクル理論で実際の人体影響を説明することは
できないし,そもそもそれを実証する知見は存在しない。
(4)
飲食の影響
被爆地には,水や食物も存在したが,水は,中性子の吸収体であるから,水
-90-

中に入った高速中性子は,エネルギーを失い熱中性子となるため,水の中の原
子核が放射化されることはない。食物は,放射化される原子核をほとんどもっ
ておらず,仮に放射化されていたとしても,その半減期は原子核により異なる
ものの最長でも15時間であり,自然放射線による被曝の影響よりもはるかに低
い。
(5)
低線量による内部被曝の影響
1審原告らは,殊更に低線量被曝の影響を強調するが,総線量が同じであれ
ば,長時間かけての被曝(慢性被曝)の影響は,1回ないし数回の被曝(急性
被曝)の影響よりも少ないことが知られており,このことは,現在における放
射線医学の疑う余地のない常識である。
1審原告らは,細胞レベルにおける低線量被曝による人体影響の可能性につ
いてるる主張するが,そもそも,審査の方針においても,原因確率を適用する
確率的影響の疾患はしきい値がないという前提で考えており,線量0からのリ
スクを否定するものではない。しかし,被曝線量が低ければ,被爆後数十年後
に発生するがんといった健康影響が発症するリスクも極めて低くなることが,
放影研が実施した大規模かつ高度に専門的な疫学調査の結果によって明らかに
されており,それが原因確率という形に表され,これに基づいて放射線起因性
の判断が行われているのであるから,1審原告らの上記主張は,失当である。
低線量による内部被曝の影響を殊更に過大視することは,誤りである。
したがって,審査の方針が内部被曝による被曝線量を放射線起因性の判断の
ための被曝線量として考慮していないことは正当である。
(6)
未分裂核物質による内部被曝の可能性
1審原告らは,原爆の爆発により生じた未分裂核物質も内部被曝を引き起こ
した旨主張する。
しかしながら,ウラン235の物理学的半減期は7.1×108年(約7億年)であ
るところ,広島においてウラン235の残留が有意に検出されたとの報告はなく,
-91-

原爆の激しい爆風で大気中に拡散し希釈されて流れ去ったものと考えられる。
なお,ウラン235は物理的半減期が上記のように非常に長いものの,体内で
の代謝が早いため,その生物学的半減期は15日であり,この点からしても,長
期にわたって体内に残留して内部被曝を継続することはない。
このような科学的知見からすれば,放射性降下物によって継続的な内部被曝
が生じ,人体影響を生じるとは考えられない。
(7)
結論
以上のとおり,広島・長崎の原爆による放射性降下物及び残留放射線による
放射線量は極めて低く,これらに起因する内部被曝の影響の程度も無視し得る
程度の線量であることは,実測値等によって客観的に明らかになっているので
ある。一方,低線量の内部被曝の健康影響をことさらに過大視しようとする考
え方は,今日の放射線学の常識に明らかに反している。そうである以上,内部
被曝による影響を格別考慮しないで放射線起因性の判断をすることにしている
審査の方針には何ら不合理な点はないというべきである。

審査の方針における放射線起因性の判断方法の合理性
(1)
申請疾病等の特徴と審査の方針が採用した起因性判断の在り方
被爆後,約50年も経過して発症したという1審原告らの申請疾病等は,被爆
者であろうとなかろうと加齢等の要因により国民一般に広く見られるものであ
る。1審原告らも,

悪性腫瘍胃がん,有棘細胞がん,喉頭腫瘍,肺がん等),
白内障,甲状腺機能低下症,橋本病,脳梗塞後遺症(高血圧症,貧血等を申

請疾病等としているが,いうまでもなく,国民の多くがこうした疾病を患って
いる。
厚生労働省の人口動態統計報告によれば,平成16年の我が国の国民の死亡数
は,102万8602人であったが,死因の第1位は悪性腫瘍であり(32万0358人,3
1%。60歳代では約5割,70歳代では約4割,およそ3人に1人の国民が悪性

腫瘍を原因として死亡しているのが現実である。これに心疾患(15万9625人,
-92-

15.5%,脳血管疾患(12

万9055人,12.5%)を含めると,60%近くとなり,
これらは,3大生活習慣病といわれている。白内障も,加齢とともに増加し,
60歳代では約70%,70歳代では約90%,80歳代ではほぼ100%の人にみられる。
橋本病は,女性の10~20人に1人の割合で見られるほど頻度の高い疾病である
(成人女性の約8%に甲状腺自己抗体陽性反応が見られる。。高血圧症に至

っては,最も患者数の多い疾患であり,患者数は約781万人で,治療を受けて
いない者まで含めれば,約3000万人の患者がいるといわれている。70歳以上の
男性では,約70%が高血圧症である。
これらの疾病は,もちろん放射線被曝特有の症状が現れるわけではないため
(ただし,放射線白内障には特有の所見が見られる。,当該被爆者個人の健

康状態や被爆状況等のみを分析しても,その疾病が放射線被曝によって生じた
ものか否かを個別的に判別することは極めて困難である(ただし,その疾病の
発症要因が合理的に特定でき,放射線起因性がないと判断できる場合はある。)。
また,1審原告らと全く同じような状況で被爆したにもかかわらず,1審原
告らが訴えるような申請疾病等に罹患しない者も多数存在し,むしろその方が
圧倒的に多いことも明らかである。その意味で,原爆放射線と申請疾病等との
関連性は,もともと極めて希薄というべきものである。
そこで,審査の方針では,以下のとおり,確率的影響に係る疾病,確定的影
響に係る疾病,原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていな
い疾病に分けて,原爆放射線起因性の判断をしており,このような判断手法に
不合理な点はない。
(2)
確率的影響に係る疾病

原因確率論の採用
審査の方針では,確率的影響による疾病については,放影研が広島及び長
崎の被爆者の線量推定値を基礎に疫学的手法を用いて算出したリスク推定値
を基に,原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる原因確率
-93-

を算定し,これを目安として,放射線起因性の判断をすることとしている。
放影研が行った疫学調査は,世界的にみても例がないほどに大規模であり,
疫学的にも極めて精度の高い調査であって,このような調査に基づいて算定
された原因確率による判断方法に不合理な点はなく,これに勝る科学的な知
見は存在しない。原因確率は,申請疾患,申請者の性別の区分に応じて適用
される別表により,申請者の推定被曝線量と被爆時の年齢によって算定され
る。
そして,推定した被曝線量を前提とし,このような原因確率という確率論
を用いて,一定程度以上,当該疾病が放射線に起因した可能性があると認め
られるものについては,できる限り,申請者に有利に放射線起因性を認める
こととしている。原因確率が50%を超えているということは,原爆の放射線
が何らかの寄与をして当該申請疾病が発症した可能性が50%を超えていると
いうことであるため,それだけで放射線起因性を認めることとし,原因確率
が50%を下回った場合でも,すなわち,原爆の放射線が寄与した可能性が50
%を下回る場合でも,当該申請者の既往歴や,環境因子,生活歴等を総合的
に勘案した上で,できる限り,放射線起因性を認めるようにしている。この
ような原因確率の手法は,米国及び英国を代表とする先進諸国においても,
労働者被曝に対する補償制度等の中で採用されているが,原因確率が50%を
下回っても,それ以上の者と同額の給付金の支給をするのは,諸外国の制度
にはない。
しかしながら,そのような我が国においても,原因確率が10%を下回る場
合には,原爆の放射線が何らかの寄与をして当該申請疾病が発症した可能性
が10%にも満たないということであり,逆にいえば,原爆の放射線以外の要
因で発症した疾病である確率が90%を超えているということであって(原因
確率が10%であるということは,すべての者に10%の影響があることを意味
するものではない。,通常は,放射線起因性について高度の蓋然性がある

-94-

とはいえないと判断されてやむを得ないものである。審査の方針では,それ
でも機械的に適用して判断することがないように戒め,更に当該申請者に係
る既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で判断を行うものとし
ているものの,原因確率が10%を下回るという事実自体は,最も重視されな
ければならず,審査の方針が「おおむね1

0%未満である場合には,当該可
能性が低いものと推定する」とい

うのは,このことをいうものである。
このように,審査の方針には,科学的合理性があるし,原因確率が低い場
合にも総合的判定をしていることは,被爆者援護法の趣旨から正当である。

放影研における疫学調査
(ア)
概要
被爆者に対する疫学調査は,ABCCによって始められ,その後放影研
が引き継いでいる。なお,ABCCは,被爆者について長期間追跡調査す
るために米国科学アカデミーの勧告によって設立され,アメリカ政府によ
って運営されていたもので,日本側も国立予防衛生研究所(予研)の支所
を広島・長崎のABCC内に設置していたが,昭和50年に組織が変更され,
ABCCは財団法人放射線影響研究所(放影研)と改められ,日米両国の
共同運営となったものである。
ABCCの被爆者調査は,昭和25年の国勢調査により確認された28万40
00人の日本人被爆者のうち,昭和25年当時に広島,長崎のいずれかに居住
していた約20万人を「基本群」とし,この基本群から選ばれた副次集団に
ついて行われた。死亡率調査においては,厚生省(厚生労働省,法務省

の許可を得て,国内で死亡した場合の死因に関する情報の入手が行われて
おり,がんの罹患率については,地域の腫瘍・組織登録からの情報(ただ
し,広島,長崎に限る)
。によって調査が行われている。
(イ)
寿命調査集団
当初の寿命調査集団は「基本群」に含

まれる被爆者の中で,本籍が広
-95-

島又は長崎にあり,昭和25年に両市のいずれかに在住し,効果的な追跡調
査を可能とするために設けられた基準を満たす被爆者の中から抽出され,
爆心地から2000m以内で被爆した者全員から成る中心グループ(近距離被
爆者,
)爆心地から2000m~2500mの区域で被爆した者全員から成るグル
ープ,近距離被爆者の中心グループと年齢及び性が一致するように選ばれ
た爆心地から2500m~10000mの区域で被爆した者のグループ(遠距離被
爆者,近距離被爆者の中心グループ

と年齢及び性が一致するように選ば
れた,1950年代前半に広島,長崎に在住していたが原爆投下時は市内にい
なかったグループ(原爆投下時市内不在者。原爆投下後30日以内の入市者
とそれ以降の入市者が含まれる)に分けられた。

その後,寿命調査集団は,1960年代後半に拡大され,爆心地から2500m
以内において被爆した基本群全員を対象とし,1980年には更に拡大され,
基本群における長崎の全被爆者を含むものとされ,今日では,爆心地から
10000m以内で被爆した9万3741人と,原爆投下時市内不在者2万6580人の
合計12万0321人となっている(なお,寿命調査においては,人数×年数ご
との死亡率を調査しているため,死亡した対象者も調査対象から除外され
るわけではない。。

爆心地から10000m以内で被爆した9万3741人のうち,8万6632人は,D
S86により被曝線量の推定値が得られているが,7109人については,建
物や地形による遮蔽計算の複雑さや不十分な遮蔽データのため被曝線量の
推定値が得られていない。
なお,寿命調査集団には,1950年代後半までに転出した被爆者(昭和25
年国勢調査の回答者の約30%,
)国勢調査に無回答の被爆者,原爆投下時
に両市に駐屯中の日本軍部隊及び外国人は含まれていない。
以上のことから,爆心地から2500m以内の被爆者の約半数が調査の対象
となっていると推測されている。
-96-

(ウ)
成人健康調査集団
成人健康調査集団は,寿命調査集団の副次集団であり,2年に1度の健
康診断を通じて疾病の発生率とその他の健康情報を収集することを目的と
して設定された。成人健康調査集団は,昭和33年の集団設定当時,寿命調
査集団から抽出された1万9961人から成り,中心グループを爆心地から20
00m以内で被爆し急性症状を示した4993人とし,このほかに,都市・年齢
・性を中心グループと一致させた次の3グループ,すなわち,爆心地から
2000m以内で被曝し,急性症状を示さなかった者によるグループ,広島で
は爆心地から3000~3500m,長崎では3000~4000mの区域において被爆し
た者のグループ,当初の寿命調査集団のうち,本籍が広島又は長崎にあり,
1950年に広島又は長崎に居住していたが,原爆投下時にいずれも都市にも
いなかった者(原爆投下時市内不在者)によるグループから成っていた。
昭和52年には,高線量被爆者の減少を懸念して,新たに次の3つのグルー
プ,すなわち,寿命調査集団のうち,T65Dによる推定被曝線量が1Gy
以上である2436人の被爆者グループ,上記グループと年齢及び性を一致さ
せた同数の遠距離被爆者から成るグループ,胎内被爆者1021人から成るグ
ループを加え,成人健康調査集団を拡大し,合計2万3418人の集団となっ
た。

放射線による発がん影響の評価法
(ア)
概要
昭和21年以降に発生した放射線に起因すると考えられる人体影響を放射
線後障害という。原爆被爆者に発生する人体影響は,個々の症例を観察す
る限り放射線被曝に特異的な症状を示すわけではなく,一般に観察される
疾病の症状・所見と全く同様であり,放射線被曝に起因するか否かの見極
めは不可能である。しかし,被爆者集団として観察すると,集団内に発生
する疾病の頻度が有意に高い場合があり,そのような疾病は放射線被曝に
-97-

起因している可能性があると判断される。このように,放射線後障害は,
疫学研究において統計学的解析などの結果によってその存在が明らかにさ
れるという特徴がある。
原爆放射線後障害の中で最も重要なものの一つに悪性腫瘍の発生があ
る。悪性腫瘍は,放射線による疾病のうち,確率的影響に分類される。被
爆者が発症した悪性腫瘍に対する放射線の影響の評価は,疫学的な研究手
法を用いて被爆者集団を調査し,被曝群における発生頻度と対照群におけ
る発生頻度を比較するという形や,低線量から高線量を被曝した被曝群に
おいて性,年齢等を考慮した回帰分析を用い,単位線量当たりのリスクを
評価する方法等で行われる。
放影研では,リスク評価として絶対リスク,相対リスク及び寄与リスク
という指標を用いている。
(イ)
絶対リスク
絶対リスクとは,観察期間中に,集団中に生じた疾病(死亡)の総例数
又は率である。なお,リスクを示す場合,通常,1万人年(人年は,人数
と観察年数の積を表す単位)当たり,あるいは1万人年Gy当たりで表され
ることが多い。
(ウ)
過剰絶対リスク
過剰絶対リスクとは,被曝群と対照群の絶対リスクの差をいい,放影研
の疫学データでは,放射線被曝集団における絶対リスクから,放射線に被
曝しなかった集団における絶対リスク(自然リスク)を引いたものを意味
する。
(エ)
相対リスク
相対リスクとは,被曝群と対照群の死亡率(あるいは発病率)の比をいう。
(オ)
過剰相対リスク
過剰相対リスクとは,相対リスクから1を引いたもので,調査対象とな
-98-

るリスク因子によって増加した割合を示す部分をいう。
(カ)
寄与リスク
被爆者は,当然放射線以外の発がん要因にも曝露されているので,被爆
者に発症したがんのうち,放射線によって誘発されたがんの割合を推定す
る必要があるが,この割合を寄与リスクと呼んでいる。審査の方針におい
て用いられている原因確率の値はこの寄与リスクの値に由来している。
(キ)
線量当たりのリスクの推定
線量当たりのリスクを推定するためには,疫学調査データから線量反応
関係の形を推定し,それをモデルとして線量当たりのリスクを推定するの
が一般的であり,通常,次の3つのモデル,すなわち,線形にリスクが増
加する直線型,線量の自乗に比例して増加する二次曲線型,その中間とな
る直線-二次曲線型,が使われている。一般的に,線量当たりのリスクの
推定は,白血病では直線-二次曲線型,白血病以外のがんでは直線型に適
合すると考えられている。

寿命調査集団におけるリスクの算出方法
放影研における寿命調査集団を対象とする疫学調査報告では,放射線リス
ク評価は,被曝線量の程度に応じていくつかの群に分けた被曝群と対照群と
を比較するのではなく,ポアソン回帰分析を用いて,対照群をとらない内部
比較法によりリスク推定を行い,単位線量当たりのリスクを推定している。
回帰分析法を用いた内部比較法によると,曝露群と非曝露群の2種類しか
ない集団を比較する外部比較法と異なり,放射線被曝以外の性,年齢等の要
因が同様の曝露群同士を比較することができるほか,観察人数,疾病・死亡
数や罹患数が十分であるため,曝露要因量における累積死亡率(罹患率)を
算出し,直接比較することができる。これにより,ゼロSvの場合と任意のSv
の場合の発症率(死亡率)の推定値が出てくるので,単位線量当たりの過剰
絶対リスク及び過剰相対リスクが求められる。
-99-


原因確率の評価
(ア)
原因確率の意義
原因確率は,個人に発症した疾病とそれをもたらしたかもしれない原因
との関係を定量的に評価するための尺度である。リスクが集団における将
来的な発生確率を予測しているのに対して,原因確率は,個別の案件にお
ける特定の結果があって,遡及的にある要因がその結果を引き起こしたと
考えられる割合を意味する概念である。
特定の被爆者に発症したがんについて考えると,当該被爆者は一般の非
被爆者と同様に放射線以外の発がん要因にも曝露されているので,がんが
発生したとしても一般人のように放射線被曝以外の要因でがんが発生した
可能性も考えられる。その中で当該被爆者に発症したがんのうち,放射線
被曝によって誘発されたがん発生の割合が原因確率ということになる。審
査の方針における原因確率は,前記の寄与リスクに由来している。
(イ)
寄与リスクの基礎となった資料
審査の方針における原因確率の基となったのは,児玉報告書において算
出された寄与リスクの値である。当該論文において算出された寄与リスク
は,白血病及び固形がんについては,放影研のホームページにおいて公開
されている死亡率調査,発生率調査のデータを用いて算定した。なお,放
影研のホームページにおいて公開されている被曝線量に関する情報は,死
亡率調査のデータファイルではカーマ

線量遮蔽カーマ)及び臓器線量が,
発生率調査のデータでは臓器線量が被曝線量値として登録されている。
また,発生率調査は昭和33年から昭和62年までの結果を参照しているが,
死亡率調査はそれより11年間長く実施され,昭和25年から平成2年までの
結果を参照している。そして,公開されているカーマ線量(遮蔽カーマ)
と死亡率調査の結果から白血病,胃がん,大腸がん,肺がんの寄与リスク
を求めた。しかし,甲状腺がんと乳がんは予後の良好ながんで,死亡率調
-100-

査より発生率調査のほうが実態を正確に把握していると考えられるため,
発生率調査の結果を用いた。
がん以外の疾病として,副甲状腺機能亢進症について寄与リスクを求め
た。副甲状腺機能亢進症は,有病率調査のみ発表されているため,有病率
調査結果から寄与リスクを類推した。
(ウ)
原因確率を設定した疾病
「放射線の人体への健康影響評価に関する研究」において寄与リスク算
出の対象となった疾病は,寿命調査及び成人健康調査において,放射線被
曝と疾病の死亡・発生(有病)率に関する論文が既に発表されている疾病
である。
固形がん及び白血病については,寄与リスクを求めるに当たり次の3群
に分けた。

部位別に寄与リスクを求めたがん(寿命調査集団による死亡率・発生
率の報告で放射線との有意な関係が一貫して認められ,かつ,部位別に
寄与リスクを求めても比較的信頼に値すると考えられるがん〈胃がん,
大腸がん,肺がん,女性乳がん,甲状腺がん及び白血病)


原爆放射線に起因性があると思われるが,部位別のがんの症例数が少
ないなどの理由により,個別のがんごとに寄与リスクを求めると信頼性
が足りなくなるため,複数部位のがんをひとくくりにして寄与リスクを
求めたがん(肝がん,皮膚がん〈悪性黒色腫を除く。,卵巣がん,尿

路系〈膀胱を含む〉
。がん,食道がん)

現在までの報告では部位別に過剰相対リスクを求めると統計的には有
意でないが,原爆放射線との関連が否定できないがん(①,②以外のが
んのすべて)
固形がんの上記③のほか,寄与リスクを求めなかった疾病は,骨髄異形
成症候群(最近,放射線との関連が学会で発表されているが,いまだ論文
-101-

が発表されていない。,放射線白

内障(しきい値が求められている。,

甲状腺機能低下症(論文発表されているデータからは寄与リスクを算出す
ることができない。,過去に論文発表がない疾病(造血機能障害など)

である。
(エ)
寄与リスクを求める際の被爆時年齢及び被爆後の経過年数の影響
白血病及び固形がんの放射線による過剰死亡及び過剰発生は,性,被爆
時年齢の影響を受ける。このうち,白血病については,被爆後10年を発生
のピークとして,その後年数の経過とともに過剰相対リスクは急激に低下
しているため,昭和55年から平成2年までの間におけるデータに基づき算
出した。固形がんについては,寄与リスクは観察期間の平均を使用した。
性差,被爆時年齢によって過剰相対リスクに有意差があるがんについては,
性別,被爆時年齢別に寄与リスクを求めた。
(オ)
原因確率を適用することの合理性
以上のような調査,研究を経て算出された寄与リスクに基づき,疾病,
被爆時の年齢,性,及び被爆時の爆心地からの距離や被爆当時の行動等か
ら推定される被曝線量を考慮の上,被爆者に発症した疾病のうち,放射線
被曝によって誘発された疾病発症の割合を算出したのが原因確率である。
これを疾病及び性に応じて被爆時年齢及び被曝線量ごとに表にしたもの
が,審査の方針の別表1~8である。
原因確率は,放影研による疫学情報を基に,最新の科学的知見を踏まえ
て,個人に発症した疾病とそれをもたらし得た原因との関係を定量的に評
価するために作成された尺度であって,その科学的合理性は明白であり,
現在これ以上の科学的方法は存在しないといっても過言ではなく,原爆症
認定以外でも応用される確立した手法である。そして,審査の方針は,こ
の原因確率を基礎として,当該申請被爆者の疾病について放射線起因性を
検討することとしているのであるから,その合理性もまた明白である。
-102-

そして,放射線起因性の判断に当たっては,原因確率において示された
数値を参考に,申請者に係る既往歴,環境因子,生活歴等を総合考慮して
個別的に起因性を判断している。これは,原因確率の算出に当たっては,
申請疾患,性別,被爆時の年齢,及び被曝線量以外の要因を考慮しないた
め,原因確率は,厳密には,当該被爆者の疾病が放射線に起因する可能性
についての割合を直接示すものとはなっていないことから,原因確率から
機械的に放射線起因性を判断することになれば,原因確率の算出において
考慮された上記要因以外の申請疾患に関する他の要因が除外されてしまう
こととなり,個別具体的な事案において,放射線起因性が客観的に存する
場合を取りこぼしてしまうというおそれも否定できないことによるもので
ある。そこで,そのようなおそれを可及的に減らし,個別具体的な申請疾
患についての放射線起因性の判断をより適切に行うため,申請者に係る既
往歴,環境因子,生活歴等も総合考慮しているのである。

1審原告らの主張に対する反論
(ア)
1審原告らは,原因確率10%以下を切り捨てており,誤っている旨主
張する。
しかし,審査の方針は,上記のとおり,原因確率を機械的に適用してい
るわけではなく,原因確率の算定において要因とされていない既往歴,環
境因子,生活歴等も総合的に勘案するとしているから,1審原告らの上記
主張は失当である。なお,原因確率がおおむね10%未満である場合に,放
射線起因性が低いと推定することは,先に述べたような原因確率の趣旨か
らして,何ら不合理ではない。むしろ,放射線起因性が低いと推定する値
をおおむね10%未満としていることは,法律判断としての適否という観点
から求められている訴訟上の因果関係において要求される高度の蓋然性と
いう観点からすれば,申請者を切り捨てるどころか,むしろ,被爆者援護
法の趣旨に照らし,高度の蓋然性を緩和して,可及的に原爆症の認定をし
-103-

ようとするものである。
(イ)
1審原告らは,放影研の疫学調査について,比較対照群として非曝露
群の設定をしていない等,調査集団の設定に誤りがある旨主張するが,外
部比較法によって正確な調査結果を得るためには,曝露群と非曝露群とが
調査対象とする要因以外の要因につきできる限り異ならないことが要求さ
れるところ,放影研においても外部比較法に基づく解析も併せて行われた
ことがあったが,そのような対象群を得ることが困難であり,外部比較法
では重大なバイアスを生じていた可能性があるため,ポアソン回帰分析に
よる方式を採用したものである。そして,放影研のこのような疫学調査は,
ICRPや国際連合原子放射線影響科学委員会等の国際的団体において現
実に活用されており,全世界的にその有用性が認められている。
以上によれば,内部比較法による放影研の調査方法は科学的に妥当なも
のであり,非曝露群を設定して比較する方法がかえってリスク評価を誤る
可能性のある不合理なものであるから,1審原告らの上記主張は失当であ
る。
(ウ)
1審原告らは,放影研の疫学調査において,疫学調査の対象や調査手
法等の問題があると主張するが,この点についての主張も,以下のとおり
失当である。

1審原告らは,被曝が人体に及ぼす影響を調べるなら,疾病の発症率
でみるべきなのに,死亡率の調査がされている旨主張するが,放影研に
おいては「癌発生率・充実性腫瘍

」という調査結果も使用しており,
死亡調査だけを基礎としているのではないし,高い信頼性を持つように
設計されているものであり,死亡率調査の結果に基づいていることを理
由に被爆者のがんのリスクや被曝影響の推定に用いる合理性が否定され
るものではない。

1審原告らは,放影研の疫学調査においては,被曝態様について,放
-104-

射性降下物を浴びたかどうか,原爆投下後にどのような行動を取ったか,
内部被曝をした可能性がどの程度あるかといった点を区別すべきである
との前提に立った上で,低線量被曝のリスク,放射性降下物によるリス
ク,残留放射線によるリスク,内部被曝によるリスクを持った集団同士
の比較をすることになるから,初期放射線以外による被曝のリスクの分
だけ,原爆放射線のリスクが過小評価されてしまう,などと主張する。
しかしながら,前記のとおり,残留放射能及び放射性降下物について
はDS86の策定時に線量推定が行われており,現在の放影研の疫学調
査もこの推定値を基に推定線量を算出して疫学的検討を行っている。ま
た,内部被曝による被曝線量がごく微量であることは上記のとおりであ
る。さらに,個々の被爆者がどのような残留放射線によってどの程度被
曝したかということは,現時点では正確に把握することができず,現在
被爆者に生じている症状からも窺い知ることはできない。したがって,
1審原告らの上記主張は,およそ不可能な調査をすべきであるとの前提
に立って放影研の疫学調査を批判するものであって,失当である。

1審原告らは,調査開始時点で放射線の影響を受けにくい被爆者が選
択された,調査開始時期が原爆投下後5年経過した昭和25年であり,そ
れ以前の死亡は反映されないことからバイアスが排除されない旨主張す
る。
しかしながら,現時点において認定申請する被爆者は,原爆投下後5
年経過時に生存していた以上,当時の生存者を対象とした疫学調査によ
るリスクは,認定申請者にも当然妥当する。ABCC及び放影研が調査
対象とした寿命調査集団は10万人以上にも及び,また,成人健康調査集
団も2万人程度であることからすると,健康な被爆者のみが選択された
おそれは存しない。

1審原告らは,放射線の影響を受けやすい被爆者が発病・死亡によっ
-105-

て調査対象から外れていくことを考慮していないなどと主張する。
しかしながら,そもそも,コホート研究における追跡調査は,発病や
死亡がみられた者も含めて,現在までのコホート集団を文字通り追跡調
査していくものであるから,発病・死亡によって調査対象から外れてい
くということはあり得ないのであって,統計処理の時点より前に死亡し
た者も,観察人年当たりの死亡に計上されているのであるから,1審原
告らの上記主張は,研究方法についての理解を誤ったものである。
(エ)
1審原告らは,放影研の疫学調査では中性子線の生物学的効果比を考
慮した上で臓器ごとの線量当量を用いているのに,審査の方針では放射線
白内障以外について中性子線の生物学的効果比を無視しているなどと主張
する。
しかしながら,推定被曝線量の絶対値が生物学的効果比を用いることに
よって増加したとしても,コホート集団である原爆被爆者において観察さ
れる疾病発生や死亡といった事象には変更が生じないのであるから,調査
対象である個々の被爆者の推定被曝線量が増加するということは,単位線
量当たりの過剰相対リスクが減少するだけであり,個々の被爆者の被曝線
量の絶対値の増加が単位線量当たりのリスクの減少と相殺され,結果とし
て個々の被爆者の被曝線量における過剰相対リスクの値やその線量での寄
与リスクの値はほとんど変化しない。また,生物学的効果比を考慮した場
合,吸収線量における中性子線の割合に応じて等価線量の絶対値は増加す
るので,ガンマ線と中性子線の割合が常に一定でないとすれば,等価線量
の絶対値が変わってくることになり,発症率も変わってくることになるが,
それでも大幅に寄与リスクが変動することはない。

医師団意見書に対する反論
1審原告らは,医師団意見書をもって,1審原告らの放射線起因性を立証
しようとしている。
-106-

(ア)
そして,その医師団意見書は,原爆被爆者には単一がんのみならず多
重がんが発生する可能性も高いとする。
しかし,がん治療の進歩等により罹患の割に死亡する割合が減少し,そ
の分余命も延びることとなって,初発がん罹患後の生存期間が延長し,高
齢になるほど他のがんに罹患するリスクも大きくなるから,多重がんの発
生の頻度も高まることになり,その事情は被爆者についても同様である。
また,若年被爆者は高年齢被爆者よりも余命が長いから,多重がんの頻度
が高いこともまた当然である。現段階において被爆者集団で有意に多重が
ん発生のリスクが増加していることを示す科学的知見はない。
(イ)
また,医師団意見書は,前立腺がんの発生は被爆者に高い可能性があ
るとするが,放影研の寿命調査報告(第13報)においても前立腺がん死亡
率の有意な増加が認められておらず,発生率からみても,原爆放射線被曝
と前立腺がんの発生に有意な関係は認められていない。
また,医師団意見書は,臨床的に発見される進行した前立腺がんはどの
角度からみても遠距離・入市被爆者群に多く発生していると述べるが,前
立腺がんに放射線起因性があるならば線量反応関係があるはずで,近距離
被曝群で最も高頻度になるはずであり,遠距離・入市被爆者に前立腺がん
が多いという報告が確かなものであれば,逆に,放射線起因性は否定的で
あるとみるのが科学的に妥当な解釈である。
(3)
確定的影響に係る疾病
申請疾病の中には,放射線白内障のように,生体反応を引き起こす限界線量
であるしきい値が実証的に明らかにされている確定的影響に係る疾病がある。
審査の方針では,放射線白内障について,しきい値を1.75Svと定めているが,
これもそのような実証的研究に基づくものである。
審査の方針では,このようなしきい値を機械的に適用して判断することがな
いように戒めているものの,しきい値を下回っているという事実自体は,最も
-107-

重視されなければならない。
このように確定的影響に係る疾病について,放射線起因性があるというので
あれば,自らの被曝線量とその程度でも当該確定的影響に係る疾病が発症し得
ることの高度の蓋然性が科学的な根拠をもって立証されなければならない。
(4)
原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が確立されていない疾病

申請疾病には,原爆の放射線との関連性を示唆する科学的知見がないもの
もある。審査の方針では,それでも,それだけで放射線起因性を否定するこ
となく「
,原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていない
ことに留意しつつ,当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴
等を総合的に勘案して,個別にその起因性を判断するもの」と戒めている。
しかし,そうはいっても,原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見がな
い以上,通常は,放射線起因性について高度の蓋然性があるとはいえないと
判断されてやむを得ないというべきである。
申請疾病の中には,老人性白内障,糖尿病性白内障,甲状腺機能低下症,
橋本病,高血圧,脳梗塞後遺症,椎骨脳底動脈循環不全,慢性虚血性心疾患,
鉄欠乏性貧血症のように,放射線以外の要因によって発症したことが明らか
であるものもある。こうした疾病の発症又は増悪に50年も前に被曝したとい
う原爆放射線が寄与したとして,原爆症認定を求め,放射線起因性があると
いうのであれば,まず,それぞれの疾病と原爆放射線との関連性を調査した
疫学的な知見等によって,両者の関連性が一般的に認められることが高度の
蓋然性をもって立証されなければならず,その上で当該申請者の被曝線量を
明らかにし,その程度の被曝線量であれば,その申請疾病の発症又は進行に
寄与したといえること,すなわち,個別的な因果関係が高度の蓋然性をもっ
て立証されなければならない。

1審原告らは,他の要因が関係していることが明らかになったとしても,
それにより放射線起因性が全面的に否定されるものでもなく,放射線がその
-108-

発病を促進し,治癒を困難ならしめた可能性がある以上は放射線起因性を認
めるべきであるなどと主張する。
しかし,原爆放射線が「発病を促進」したなどと主張するのであっても,
そのこと自体の立証責任は1審原告らにある。
1審原告らの上記主張は,原爆放射線に何らかの被曝をした者が,数十年
後に1審原告らの申請疾病等と同様の疾病を発症させれば,その発症には必
ず原爆の放射線が何らかの寄与をしているとの誤解を所与の前提としている
のである。しかし,現実には,1審原告らと全く同じような状況で被爆した
にもかかわらず,1審原告らが訴えるような申請疾病等に罹患しない者も多
数存在し,むしろその方が圧倒的に多い。逆に,1審原告らの申請疾病等は,
被爆者であろうとなかろうと,日本中でごく一般的にみられる疾病である。
このような事実を見据えるならば,1審原告らの申請疾病等の発症等に数十
年前の原爆の放射線が必ず寄与しているなどと決めつけることはできない。
あくまでも,放射線起因性の立証責任は,1審原告らにあるのであって,1
審被告らは「放射線起因性がないこと」の立証責任を負うものではない。

(5)
放射線起因性の判断と治療指針
1審原告らは,治療指針及び実施要領を引用し,その観点から,原爆症の認
定がされるべきである旨主張する。
しかしながら,これらは昭和33年当時の一般の臨床医が被爆者の健康診断及
び治療をするに当たって考慮すべき点について定めたものであり,原爆症の認
定基準を定めたものではない。1審原告らが指摘する被曝線量に関する記述も,
DS86が完成した昭和61年よりも30年近く前の知見に基づき,放射線の影響
を受けた者を見落とすことのないように設けられた大まかな目安にすぎず,お
よそ現在の科学的知見に基づくものではない。これらは,その後の知見の蓄積
により,その意義は完全に形骸化し,現在では廃止されている。

医療分科会の専門的な判断の重要性
-109-

厚生労働大臣は,原爆症認定を行うに当たり,認定審査会の意見を聴かなけれ
ばならない。これは,申請疾病が原爆放射線によるものかどうかの判断は極めて
専門的なものであるため,客観性,公平性を担保するためにも,医学・放射線防
護学等の知見を踏まえた判断をする必要があるとの趣旨によるものである。申請
疾病の放射線起因性について検討する認定審査会の分科会である医療分科会の委
員は,疾病の放射線起因性や要医療性の判断について高い識見と豊かな専門的知
見を備えた専門家である。こうした委員が,被曝線量の評価方法に関する科学的
な知見や,原爆放射線と様々な疾病の発症との関連性について調査した疫学的知
見等に関する最新の動向を常に把握し,新たに発表される個々の様々な知見につ
いての科学性,学術性を高度に専門的な見地から総合的に評価しつつ,常に最新
の科学的知見に基づいて申請疾病の放射線起因性についての判断をしている。
本件においても争点となっている,原爆の初期放射線,放射性降下物及び誘導
放射線による被曝線量評価,内部被曝の影響の評価や,遠距離・入市被爆者にみ
られたという急性症状を被曝によるものであると認めることができず,急性症状
を根拠にして申請疾病に放射線起因性を認めることはできないとの判断も,医療
分科会のこのような専門的判断に基づいているのであるから,その結論は,最大
限尊重されるべきである。
第2
1審原告らの原爆症認定要件該当性(争点②)
【1審原告らの主張】

原爆症認定の対象となる疾患
(1)
原爆症認定の対象疾患
被爆者援護法10条,11条によれば,原爆症認定の要件は,申請者の有する疾
病等に放射線起因性があり,かつ,要医療性があることの2点であり,原爆症
認定の対象となる疾病等につき,何の限定も加えておらず,申請疾病名を明示
-110-

して申請することも要件とされていない。このような規定からすれば,被爆者
が現に有する疾病等の放射線起因性と要医療性を被爆者単位で認定する手続で
あって,個々の疾病の放射線起因性が問題なのではなく,当該被爆者が現に有
する疾病等が対象とされていると解すべきである。
(2)
違法性判断の対象
1審原告らは,本訴訟において,1審被告厚生労働大臣による原爆症不認定
処分が違法であることを理由にその取消しを求めているが,上記のような被爆
者援護法の規定からしても,その訴訟物は,上記2要件を認めなかった行政処
分の違法性自体であって,個々の違法事由ではない。個別の違法事由は,行政
処分の違法性を根拠付ける攻撃防御方法の1つにすぎず,口頭弁論終結時まで
追加・変更が可能である。
したがって,原爆症認定の対象となる疾患は,処分時に1審原告らが有して
いた疾患すべてとされるべきであり,原爆症認定申請の際に1審原告らが提出
した書類に申請疾患と明示していた疾患に限られるものではない。
(3)
審査手続における対象疾患
実際,認定審査会(医療分科会)の手続において,申請疾患のみに限らず,
認定申請書及び添附書類に記載された原爆に起因すると思われる疾病等や自覚
症状のうちから,原爆症認定の可能性が認められるものを抽出し,必要に応じ
て申請者等から関係資料の提出を受けた上で,審査の対象としていることは,
1審被告らも自認するところである。このような点からも,原爆症認定の対象
となる疾患は,申請の際に1審原告らが提出した書類に申請疾患と明示してい
た疾患に限られるべきではない。
なお,1審原告らが有する疾患は,それら一つ一つの放射線起因性,要医療
性を切り離して判断できるものではなく,申請疾患だけに限定して判断するこ
とはできない。1審被告らは,申請疾患の放射線起因性を判断するため申請疾
患以外の疾病の罹患状況などを考慮することが有益になる場合があると主張し
-111-

ているが,このような主張自体,一つ一つの疾病を切り離して判断することは
できないことを自認するものである。複数の疾病が認定されても給付される医
療特別手当の額が変わらないという点にも,一つ一つの疾病を切り離して考え
るのではなく,放射線起因性がある疾病等により治療を必要としている被爆者
を原爆症として認定するという原爆症認定のあり方が示されている。
現に,1審被告らは,X1に係る処分について「当該却下処分は,本来,

X1の4疾病につき原爆放射線による起因性がないとして却下すべきものであ
った」と主張していて,X1に係る処分を下すに当たって,申請書の「負傷又
は疾病名」欄に記載された疾病以外の疾病について,放射線起因性の有無を判
断していたことを,自ら認めている。1審被告らは,後になって,厚生労働大
臣による認定の対象となるのは,あくまで「申請疾患」であり,医師意見書等
に記載されている疾病は「申請疾患」の放射線起因性を判断するという目的

のために検討されたものであると主張を変更したが,このような矛盾する主張
をすること自体,原爆症認定審査の杜撰さとともに,1審被告らの主張の不当
性を明らかにするものといわなければならない。

急性症状としきい値論について
1審被告らは,1審原告らに生じた各急性症状について,①
急性症状にもし
きい値があり,1審原告らに生じた下痢,脱毛,鼻血,倦怠感,疲労感等の「急
性症状」はそれらのしきい値に満たない,②
放射線による急性症状には一定の
所見があるが,1審原告らに生じた上記「急性症状」はその所見に合致しないと
して,1審原告らの主張する急性症状は,被曝による急性症状ではなく,原爆放
射線と無関係な他原因によるものであると主張する。
しかし,その見解は誤っている。その理由は以下のとおりである。
(1)
第1に,そもそも1審被告らの主張する被曝線量の考え方自体,これまで
の同種訴訟判決においても完全に否定されてきたものであり,この考え方が間
違っていることは明らかである。
-112-

(2)
第2に,1審被告らの主張する急性症状しきい値論自体間違っている。1
審被告らの主張する急性症状しきい値線量は,放射線取扱い施設における臨界
事故や原子力発電所事故などの経験から得

られたいわゆる急性放射線症候群」
において理解されているしきい値線量であり,これらの被曝態様は,短時間の
高エネルギー放射線照射によるとみられる。これに対し,原爆被曝は,数キロ
メートルにわたる市域全体が瞬時に一大照射域となり,引き続き放射性物質に
満ちた一大線源域となり,個々の被爆者は照射瞬間から持続的に短・長半減期
の放射性同位元素にとらわれ,しかも,外部のみならず,複雑な内部被曝にさ
らされたものであり,被曝実態が異なるのである。原爆による急性症状に1審
被告らの主張する急性症状のしきい値線量は妥当しないものである。
(3)
第3に,上記①により急性症状の放射線起因性を否定することは,本末転
倒の議論である。すなわち,1審被告らの信ずる被曝線量自体が誤ったもので
あることから,仮に,被曝による急性症状のしきい値論なるものが正しいとす
れば,逆にいえば,急性症状を発症した被爆者はそのしきい値を超える放射線
を被曝したことの裏付けになるだけのことである。
(4)
次に,上記②の立論について反論する。
原爆による被曝においては,被爆者の原爆投下時の場所,遮蔽の有無,被爆
後の場所の移動や各場所の滞在時間やその場所での行動内容,被爆者のいた場
所にある物質の種類・量,被爆者の飲食等生活状況が,被爆者個々人によって
異なり,被爆者個々人により直爆による放射線,誘導放射線,内部被曝による
放射線の被曝態様が異なる。すなわち,被爆者個々人により,被曝した放射線
の種類,放射線の量,被曝した時間,被曝した体の部分もすべて異なる。また,
被爆者個々人の放射線感受性,体質,当時の体調等にも個人差がある。
したがって,

原爆被曝による体調の変化急性症状,その後の原爆症等)は,
被爆者個々人により,十人十色,みんな違うものであるはずであり(そのメカ
ニズムは,未だ解明されないものが多い。,現に,被爆者はみな(1審被告

-113-

らが被爆者として認めているものも含め,急性症状も,その後の原爆症も,

被爆者によりその疾病の種類や数,同種の疾病でもその発症パターン等は,個
々人により全く異なっている。
例えば,脱毛の仕方をとってみても,被爆者の聞き取りや,諸調査報告でも,
必ずしも1審被告らの主張のような形に限定されていない。髪を梳いたときに
抜けた,朝,枕にたくさん毛髪がついていた,周りに指摘されて気づいた等,
多様である。したがって,1審被告らの主張するパターン以外の脱毛は,被曝
によるものではない等とは到底いえないのである。脱毛の多様性は,毛髪の成
長サイクルの中で放射線感受性の高い時期が関係しており,更に被曝の多様性
や生体反応の多様性も影響していると考えられる。
したがって,1審原告らに生じた下痢,脱毛,鼻血,歯茎からの出血,倦怠
感,疲労感等の「急性症状」が多少1審被告らの主張するパターンと合致しな
いからといって,それだけをもって,被曝による急性症状ではないということ
はできず,逆に,1審原告らが相当の線量の放射線を被曝していることは,前
述のとおり明らかであることからして,それらの「急性症状」は被曝による急
性症状というほかない。1審被告らは,数値のみによる机上の空論を展開して
いるにすぎない。

1審原告らの原爆症認定要件該当性
(1)
X1

被爆状況
X1(昭和2年*月*日生,被爆時18歳)は,爆心地から約1.5㎞の地点
にあった廣島赤十字病院寄宿舎(木造2階建)の1階で,ガラス窓のすぐ横
に立って,左斜め上を見ていた状態で被爆し,黄色い閃光を見ており,体に
無数のガラス片が刺さった。
被爆当日の夜,広島県産業奨励館(爆心地)に隣接していた日本赤十字社
廣島支部まで上司を探しに行き,同人の遺体を発見した。また,被爆当日か
-114-

ら廣島赤十字病院で被爆者の看護に当たり,昭和20年8月7日以降同月12日
ないし13日ころまでは,市役所や紙屋町近くの小学校へ出張看護に行ってい
た。その間,水道水を飲んだり,病院の地下で炊かれたご飯を握ったおにぎ
りを食べたりしていた。
X1は,昭和21年3月に看護学校を卒業するまで,廣島赤十字病院で治療
活動を続けた。
上記のような被爆及びその後の行動からして,X1は,多量の初期放射線
に被曝している上,大量の残留放射線にさらされ,相当量の放射性物質を体
内に取り込んで,かなりの内部被曝があったと考えられる。

急性症状等
被爆後,X1は,多くの急性症状を発症することとなった。
被爆後2,3日目から下痢が始まり,昭和20年9月まで続いた。歯茎から
の出血が始まり,怪我をして血が出ると止まりにくいこともあった。同月に
は高熱を発している。口内炎ができたこともあった。同年8月の終わりころ
から脱毛に気付くようになった。脱毛については,櫛を通すとごっそり抜け
る状態であり,このような状態が2か月くらい続いた。同年9月には白血球
が減少しているといわれている。
このように,X1は,原爆放射線特有の急性症状をほとんど発症している。

その後の症状の経過等
(ア)
昭和24年6月,X1は,右眼の中央が見えていないことに気付いた。
D眼科を受診すると,真ん中が焼けていて両端で見えているとの診断であ
ったが,通院しても無駄,仕方ないと思い,また舅・姑と同居していたた
め通院しにくかったことも重なり,通院はせず我慢して過ごすこととなっ
た。しかし,一層右眼が見えにくくなってきたこと,左眼もごろごろして
調子が悪くなってきたことから,昭和52年にE眼科を受診した。E眼科で
は,右眼が失明している,両端でも見えなくなってしまったのは白内障が
-115-

原因といわれ,左眼の調子が悪いのは白内障の前兆のようだともいわれた。
その後,平成6年に左眼が白内障であると診断された。
このような症状のため,X1は,昭和52年以降E眼科に通院し,点眼治
療等を受けることになった。平成7年1月の阪神大震災で交通が寸断され
てしまったことから,通院を断念することになったが,平成11年からF眼
科へ通院するようになった。平成15年12月に骨折したことから一時期通院
を中断した期間もあったが,現在に至るまで通院を続けている。
(イ)
X1は,30(
歳昭和32年)のころから歯が抜け始め,40歳(昭和42年)
で総入れ歯となった。また,そのころまで歯茎からの出血が続いていた。
(ウ)
看護学校を卒業したX1は,fの海軍病院,国立G病院,国立療養所
H園に勤め,f病院とH園では婦長を務めるなど,忙しく勤務することと
なった。また,昭和42年に舅が倒れたのをきっかけに病院勤めは辞めたも
のの,家業(寺,舅・姑の介護・看

護に追われることとなった。そのた
め,X1自身は,夫との夫婦生活についての欲求がないなど,疲れやすさ,
だるさに類似する症状も見られた。

現在の症状
X1は,右眼球癆,左白内障,左糖尿病性網膜症,両涙液分泌減少症を患
っている。右眼は,点眼をしなかったらかゆくなる,乾燥して開きにくくな
る,逆まつげになりやすい,といった症状が続いている。左眼は,白内障の
ため視力が落ち,出血しやすい状態となっている。
このような状況の下,X1は,点眼薬治療,検査や止血のためのレーザー
治療を受けている。

調査嘱託により明らかになった事項
調査嘱託〈F病院〉回答,X1のカルテには,左眼後嚢下混濁のスケッチ
がされている(平成8年9月2日,平成9年2月17日,平成10年4月21日等
多数。

-116-


放射線起因性の要件該当性
(ア)
X1は,①
爆心地から1.5kmという近距離で被爆していること,②
被爆時に無数のガラス片が刺さったほか,被爆当日に爆心地の直ぐ近く
まで歩いて行っており,昭和20年8月7日以降も重篤被爆者の看護に従事
し,爆心地近くを行き来し,食料・飲料水も現地のものを摂取しているこ
とから,放射性生成物や降下物により外部被曝及び内部被曝をしているこ
と,③
被爆後,2か月以内に多くの急性症状を発症していること,④
白血球の減少を指摘されていること,等の事実に照らせば,原爆放射線に
よる被曝がその身体へ影響していることは明らかである。
そして,右眼については,閃光によって網膜が焼け,白内障の進行も影
響し失明するに至っている。左眼についても,白内障及び糖尿病性網膜症
を患っている。加えて,両涙液分泌減少症を患っている。
(イ)
なお,白内障については,原爆被爆者の放射線被曝と水晶体所見の関
係において遅発性の放射線白内障及び早発性の老人性白内障に有意な相関
が認められるなどの知見が得られており,被爆者の遅発性放射線白内障や
早発性の老人性白内障が,事実上しきい値のない確率的影響である可能性
が示唆されている。また,X1は糖尿病を患っているが,左眼についても
糖尿病に罹患する前から白内障との診断を受けており,左眼の白内障が糖
尿病だけによるものとは考えられない。さらに,放射線により網膜の血管
が脆弱になるという影響が生じることから,左眼の糖尿病性網膜症も,放
射線による悪影響により生じていると考えられる。
(ウ)
そして,上記調査嘱託回答によれば,X1の左眼に放射線白内障の特
徴である後嚢下混濁があることが認められている。
もちろん,後嚢下混濁が存在することだけをもって,放射線白内障であ
ると判断できるわけではない。しかし,これまでに主張してきたX1の被
爆状況,被爆後の行動,急性症状が見られることといった事情に照らせば,
-117-

同人が相当量の被曝をしていることは明らかである。また,高線量被曝群,
特に若年被爆者について後嚢下混濁の上昇が成人健康調査の眼科調査で報
告されているところ,X1は被爆当時18歳と若年であった。これらの事情
と後嚢下混濁が認められた事実をあわせ総合的に判断すれば,X1の疾病
が放射線に起因することは明らかである。

要医療性の要件該当性
X1は,左眼について,術後抗生物質の点滴を受けてきたが,現在は,白
内障治療のための抗生物質と消炎剤の点眼治療を受けている。また,右眼に
ついても点眼治療を行っている。さらに,現在は膿瘍が左眼にあることから
白内障手術ができないでいるが,白内障の手術が必要な状況にある。このよ
うな事実に照らせば,X1が受けている治療が,今後効果の期待し得る可能
性を否定できない治療であることは明らかである。

本件X1却下処分の理由に係る1審被告らの主張の変更について
1審被告厚生労働大臣は,X1の申請疾病について放射線起因性を認めた
上で,要医療性を否定して,本件X1却下処分を行い,1審被告らは,本件
訴訟においても当初は,X1に放射線起因性があると認めたことについて明
らかに争っていなかったところ,その後,認定審査会においてX1の4疾病
についてはいずれも起因性がない旨の判断をし,その答申を受け却下処分の
手続を進めていたところ,誤って他の様式(放射線起因性を認めた上で要医
療性がないとして却下するもの)を用いて作成したものであると主張し,放
射線起因性をも否定するに至った。
しかし,自己に不利益な事実をあえて自白した以上その事実は真実に合致
している蓋然性が高いし,厚生労働大臣が行うものとされている原爆症申請
に対する却下処分という手続が,様式を誤るなどの事態が生じるようなもの
とは到底考えられず,その主張の変遷(自白の撤回)の経緯の不自然さに照
らしても,主張の変更こそ事実に反する疑いが極めて高い。
-118-

しかも,自白の撤回は,自白を信頼した者の活動を妨げることから許され
るべきでないし,とりわけ行政機関については,国民の法的安定性・期待可
能性という観点から,通常の当事者間以上に自己拘束力が要求されるという
べきである。
また,1審被告らは,取消訴訟における理由の差し替えが無条件に許され
るかのような主張をするが,行政処分に理由付記が義務付けられている(行
政手続法8条)趣旨にかんがみ,そのような主張が不当であることは明らか
であり,理由の差し替えは認められないとすべきである。

放射線起因性がないとの1審被告ら主張に対する反論
(ア)
X1の被曝線量について
先に述べたX1の被爆状況からして,1審被告らの「ほとんど被曝して
いない」との主張は失当である。
仮にX1の初期放射線量が1審被告らの主張する0.35Gyだったとして
も,審査の方針別表1-1にあてはめてみれば,原因確率が50%を超える
こともありうる。
(イ)
X1の被爆後の行動と放射線降下物及び誘導放射線による被曝につい

初期放射線以外の被爆についても1審被告らは「ほとんど被曝していな
い」と主張するが,被爆後のX1の行動からして失当である。
なお,1審被告らは,X1が原爆投下当日に爆心地近くに立ち入った事
実を否定しているが,その根拠は「
,市は大火に包まれ,爆心地区に立ち
入ることを長時間にわたって困難にした」と極めて抽象的な記述がされ

ている文献のみであり,原爆投下当日に爆心地近くまで立ち入ったとされ
る記録は多数残されており,原爆投下当日に爆心地近くまで立ち入った出
来事を具体的に供述しているX1の説明を覆せるものではない。
(ウ)
左白内障の放射線起因性について
-119-


放射線白内障の特徴について
1審被告らは,未だに人体影響1992から引用された条件を放射線白内
障の基準として主張している。
しかし,放射線被曝と白内障に関する知見は,近時,著しい発展を見
せており,被爆者について早発性の皮質混濁及び遅発性の後嚢下混濁の
増加といった現象が確認されている。このような結果や報告は,原爆放
射線や白内障についての専門家である研究機関によってもたらされたも
ので,十分信用に値するものである。

X1の発症時期について
1審被告らは,X1が平成6年以前に左白内障を発症していた可能性
に関して,調査嘱託〈E眼科〉回答をひいて,上記事実を裏付ける医証
がないと主張するが,同回答は単に診療記録等が残っていないとするも
ので,X1の供述を否定する趣旨のものではない。
また,仮に,調査嘱託〈F病院〉回答に基づき左白内障の発症時期が
平成5年より前と判断されなかったとしても,後述するとおり,かかる
事実をもって左白内障の放射線起因性が否定されることにはならない。

老人性白内障について
1審被告らは,X1が左白内障を発症したのは平成6年であることを
前提に,当時のX1と同年齢であれば被爆の有無を問わず老人性白内障
を発症する可能性が高いことを指摘している。
しかし,疫学的に,早発性の皮質混濁・遅発性の後嚢下混濁について
有意な放射線リスクが認められているのであるから,老人性白内障の可
能性があるとの一事をもって放射線起因性が否定されることにはならな
い。X1の左白内障の放射線起因性についても,左白内障の発症時期だ
けでなく,その他の諸要素を総合考慮しながら判断されなければならな
い。
-120-

1審被告らは,F病院のカルテに記載された初診時の左眼のスケッチ
に後嚢下混濁を示す所見は認められないことを指摘して老人性白内障の
所見であると主張したり,皮質混濁が後嚢下混濁に先行・合併すること
は放射線白内障においてあり得ないと主張したりし,混濁の特徴をもっ
て放射線起因性が否定されると主張している。
しかし,1審被告らの主張は,国際的な研究の流れや実態に照らし採
り得るものではない。疫学的に,後嚢下混濁・皮質混濁を問わず有意な
放射線リスクが認められている。したがって,皮質混濁の存在により放
射線起因性が否定されることにはならない。
また,初診時の左眼のスケッチに関する主張は,初診時のカルテに後
嚢下混濁のスケッチがないというだけであり,初診から1か月も経って
いない平成8年9月2日のカルテのスケッチには後嚢下混濁があると記
録されているのであって,医師によって全てのスケッチを厳密に記載す
るとは限らない。
次に,1審被告らは,X1に処方された点眼薬は初期老人性白内障に
適応がある治療薬であると主張する。しかし,検査等の結果から放射線
性,老人性,糖尿病性を判別する検査結果を得ることはできず,仮にX
1が初診時から老人性白内障に適応する点眼薬の処方を受けていたとし
ても,その処方は「放射線に起因する白内障ではない」との判断により
なされたものとはいえない。

糖尿病性白内障について
1審被告らは,X1が左白内障を発症するより前に糖尿病に罹患して
いた可能性があること,左白内障に係るカルテのスケッチの特徴等から
X1の左白内障が糖尿病性白内障であると考えられることを指摘し,左
白内障の放射線起因性を否定する根拠としている。
しかし,皮質混濁の存在により放射線起因性が否定されることにはな
-121-

らないことは既述のとおりである。
また,糖尿病の有無にかかわらず放射線リスクが認められている文献
もあり,仮に左白内障より先に糖尿病を発症していたとしても,かかる
事実をもって放射線起因性が否定されることにはならない。

X1の急性症状について
1審被告らは,X1の急性症状について,X1は急性症状を発症する
ほどの原爆放射線の被曝をしていないと断定し,また,放射線による急
性症状の現れ方と異なるとして,X1に生じた症状が急性症状ではない
との主張を展開している。
しかし,まずX1の被曝の程度に係る1審被告らの主張が事実に反す
ることはこれまでに主張したとおりであり,かかる主張を前提として展
開される主張は採り得ない。また,急性症状が全ての人に同じ時期・頻
度で生ずるとは考え難く「
,被曝による急性症状」の定義をし,それに
外れる症状は被曝による急性症状ではないなどとする1審被告らの主張
は,被爆の実相を全く理解しない,不当なものである。
さらに,1審被告らは,X1の歯齦出血について,痛みや潰瘍を伴っ
ていないなどと主張しているが,同人の歯齦出血が痛み等を伴うもので
はなかったことを示す証拠はない。
(2)
X2

被爆状況
X2(昭和5年*月*日生,被爆時15歳)は,昭和20年8月9日長崎市に
原爆が投下された当時,長崎県立g高等女学校在学中(4年生)であり,工
場での勤労奉仕作業に従事していたが,暑いさなかの連日にわたる工場作業
の疲れで,さしたる病気でもないのに,工場内の診療医から数日の休養を命
ぜられ,

被爆時はたまたま自宅爆心地から約3.3㎞の長崎市a町**番地)
内にいて,被爆した。
-122-

被爆の瞬間,自宅の障子はすべて開けたままの状態であり,強烈な閃光と
猛烈な爆風が同時に起こり,X2は,直接原爆の閃光を受けた。家の中にい
たX2は,母や姉とともに裏の竹藪にある防空壕に避難した。
X2は,その日,茂里町の工場で被爆しススで体中が真っ黒に汚れた**
(同級生)と会い,被爆状況の話を聞き,翌日には,長崎医大で被爆した隣
人から被爆後の状況などを聞いた。その隣人は,しばらくして唇が腫れてき
て,1週間ほどで亡くなり,隣組の人と協力し,遺体を担架に乗せて伊良林
小学校まで運び,その焼却作業に従事した。その際,同小学校の広いグラン
ドでは,あちこちで遺体が焼かれており,煙が無数に立ち上がっていた。
X2は,被爆以後,買ってきたかぼちゃや芋,鰯の配給以外にも,自宅隣
の**遺跡で育てられた夏野菜や糠で作った団子を食べるなどしていた。

急性症状等
X2は,被爆まで特段の病気をしたこともなく,健康状態も良好で元気で
活発であり,女学校3年生の2学期からは,C兵器製作所で肉体労働中心の
勤労奉仕作業を行うようになった。
X2は,被爆直後は緊急事態で気が張っていたものの,周囲の慌ただしさ
が収まるにつれ,次第に体のだるさを明確に感じるようになった。この体の
だるさは,勤労奉仕による過労とは全く別のものであり,言葉では表現出来
ないようなものであった。X2はその後,疲れやすい体質に変化した。
X2の被爆以前の健康状態と比較して,被爆後生じた倦怠感は,被曝によ
る急性症状であったといえる。
なお,X2は,原爆被爆者調査票には「原爆による急性症状」の欄に「な
し」と記載し,平成14年4月23日付けで提出した原爆症の認定申請書にも,
「被爆直後急性症状なし」と記載しているが,これは,X2が,脱毛や下痢,
嘔吐等外部に現れる他覚的な健康不具合が急性症状であり,倦怠感はその範
疇に含まれないという認識の下に記載しているからにすぎない。
-123-


その後の症状の経過等
(ア)
X2は,昭和20年9月になっても体調が完全に回復することはなかっ
たが,学校に行きたいという気持ちが強かったため,同月から西山地区に
あるg高等女学校に通い始めた。学校のガラスは爆風で全部割れており,
頭髪が抜けている生徒が何人もいたり,X2と同じように体調のすぐれな
い生徒も多くいた。
X2は,学校では西山貯水池を水源とする水道水を飲み,昼食は家から
持参した弁当を食べていた。そして,無理をしてでも学校に出ていたが,
体が疲れやすく,体調がすぐれないときは学校を休まざるを得なかった。
さらに,その後学校を卒業しても,X2の疲れやすい体質が改善される
ことはなかった。X2は,学校を卒業したのち教師となったが,疲れや頭
痛のために学校を休むことがあった。
X2は,29歳(昭和34年)のときに被爆者健康手帳の交付申請を行って
いるが,その際の調査票の「疲れやすい」「視力が衰えた」という欄に

印をしている。
X2は,被爆前は健康状態も良好で,すこぶる元気だったにもかかわら
ず,被爆によって,倦怠感を覚えたり疲れやすくなり,さらには,その後
もそのような体調がすぐれない状態が続くことになった。
(イ)
X2は,平成2年に**診療所に被爆者健康診断に行った際に不整脈
といわれ,そのため循環器の専門医がいるI病院を受診するようになり,
平成4年に同病院で甲状腺機能検査を行い,甲状腺機能低下症と診断され
た。その際行われた甲状腺機能検査の結果,TSH数値が135.1と高値を
示している。また,平成16年12月20日の検査でマイクロゾームテスト,サ
イロイドテストともに100未満と抗体陰性であることが確認され,自己免
疫性甲状腺疾患ではないことが確認されている。
X2は,平成4年以来現在まで,I病院で投薬される薬を服用し続けて
-124-

いる。
(ウ)
また,X2は,平成13年と平成14年には白内障の手術を,平成14年10
月には乳がんの手術を受けていた。
その他,X2は50歳代から歯が徐々に抜け始め,骨折も頻繁に起こして
いた。

調査嘱託により明らかになった事項
調査嘱託〈J眼科院・K病院〉回答によって,X2の申請疾病(甲状腺機
能低下症,乳がん)について放射線起因性及び要医療性があることが,一層
明らかとなった。
(ア)
調査嘱託〈J眼科院〉回答
上記回答によれば,X2の白内障について後嚢下混濁の存在が指摘され
ている。後嚢下混濁の存在は,放射線に起因する白内障に見られる大きな
特徴の一つである。そして,その存在は,X2の被爆状況や被爆後の健康
状態等とあわせ考えれば,X2の白内障の放射線起因性を強く疑わせるも
のである。
(イ)
調査嘱託〈K病院〉回答
上記回答によれば,甲状腺に腫瘍,自己免疫疾患,外傷,炎症等の所見
は認められず,脳下垂体や甲状腺ホルモンの受容体の障害を疑わせるよう
な自覚的・他覚的症状もなかったから,甲状腺機能低下と被曝との因果関
係が示唆されるとされている。また,X2の甲状腺機能低下症の治療につ
き,平成8年より甲状腺ホルモン剤(チレオイド25㎎/日)を継続投与中
であり甲状腺ホルモン値はほぼ正常範囲を保っており,今後も引き続き同
薬剤の投与を行う予定であるとされている。
X2の主治医による多方面からの検討の結果は最大限尊重されなければ
ならず,X2の申請疾病(甲状腺機能低下症,乳がん)の放射線起因性及
び要医療性は明らかである。
-125-


現在の症状
X2は,現在,K病院に1か月に1度,甲状腺機能低下症,高血圧及び
骨粗鬆症の薬を処方してもらうために通院している。
また,X2は,乳がんの手術を受けたL病院で,2か月に1度術後の定
期検査を受け,術後の放射線治療を行ったM大学附属病院にも,3か月に
1度検診のために通院している。
その他,X2は,**病院に1か月に1度通院し,ラクナ梗塞のために
薬の処方を受けている。

放射線起因性の要件該当性
(ア)
本件X2却下処分の対象疾病
原爆症認定の対象となる疾患は,処分時に有していたすべての疾患であ
る。本件X2却下処分は,平成14年9月9日付けでされているところ,X
2は,同年10月17日には乳がんの摘出手術を受けているが,同手術日から
して,本件X2却下処分時に既に乳がんを発症していたことは明らかであ
る。
よって,X2の原爆症申請に係る対象疾病には,認定申請書記載の甲状
腺機能低下症のみならず,乳がんも含まれる。
(イ)
X2の被爆地点からの検討
長崎・西山地区については,爆心地をしのぐ多量の放射性降下物が確認
されており,西山地区の住民検診で有意の健康障害があることが認められ
ているところ,長崎原爆での黒い雨地域は西山貯水池周辺よりかなり広い
地域であったことが分かっている。
そうだとすると,X2は,西山地区から500m強しか離れていない場所
で被爆しており,放射線降下物による内部被曝を受けた可能性が相当高い
といえる。
また,遠距離被爆であっても放射線の影響による健康被害を受ける可能
-126-

性が十分にあるとする調査結果もあり,爆心地から3km以上離れた地点の
被爆であっても,その後の疾病により原爆症として認定されている者が多
数いることが明らかとなっている。また,X2が被爆したB地区での被爆
者に様々な急性症状が現れたことも実体験として報告されている。
この事実からも,爆心から3.3km地点で被爆したX2が原爆放射線によ
る健康被害を発症した可能性を強く推認することができる。
(ウ)
X2のその後の行動からの検討
X2は,被爆後の行動から,放射線に汚染された食べ物や水を摂取し,
被爆者**との接触や,相当高度の残留放射線があることが証明されてい
る遺体処理などをしており,放射性降下物ないし人体放射化された放射性
物質によって,相当程度の内部被曝を受けた可能性が高い。
(エ)
X2の体調の変化からの検討
X2は,原爆被害の典型的な急性症状である倦怠感を被爆直後から発症
し,その後も長年の間,体がだるさや疲れやすいという症状が継続してお
り,X2が被爆による健康被害を受けたことは明白である。
(オ)
甲状腺機能低下症の病態からの検討

甲状腺疾患非中毒性結節性甲状腺腫,び慢性甲状腺腫,甲状腺中毒症,
慢性リンパ球性甲状腺炎及び甲状腺機能低下症の障害が1つ以上存在する
疾患)の発生率と被爆放射線量との間には,有意な正の線量反応関係が見
られ,甲状腺機能低下症については,若年被爆者,女性,比較的低線量被
曝群に有意に多いとする調査結果が存在する。
また,放射性ヨウ素は甲状腺に濃縮されやすく,甲状腺が集中的な体内
被曝を受ける可能性があり,成長ホルモンをより多く必要とする若い個体
ほど,甲状腺にヨウ素を速く集めることから,被曝の身体に与える影響は
大きくなるなど,内部被曝が甲状腺に与える影響も科学的にも明らかとな
っている。
-127-

そして,昭和63年に西山地区の住民検診で甲状腺の調査をしたところ,
対象地域に比べて4倍強の甲状腺疾患を認めたと報告されている。
したがって,被爆時15歳の女性であるX2の放射線被曝と甲状腺機能低
下症との起因性は強く疑われるというべきである。
(カ)
乳がん等を発症していることからの検討
乳がんについても放射線の影響の有意性が認められている。したがって,
X2の乳がんについても,放射線の影響が強く疑われるべきである。
仮に,X2の乳がんが本件X2却下処分の対象疾病でないとしても,X
2の乳がんの罹患,頻繁な骨折,白内障の手術をしている各事実からして,
X2の甲状腺機能低下症の放射線起因性はより明白になったというべきで
ある。
(キ)
結論
以上によれば,X2の疾病が放射線に起因することは明らかである。

要医療性の要件該当性
乳がんについては,現在抗がん剤の治療が必要とされているが,体力がな
く,抗がん剤の治療ができない状況にある。
X2の甲状腺機能低下症に対し,今後の甲状腺ホルモンの補充は不可欠で
あり,また,乳がんについての定期検診も必須である。X2の甲状腺機能低
下症及び乳がんの要医療性は明らかである。

放射線起因性がないとの1審被告ら主張に対する反論
(ア)
初期放射線について
1審被告らは,X2の被曝地点の爆心地からの距離(3.3km)や木造家
屋内で被曝したことを理由に初期放射線に被曝していないといっても過言
ではないなどと主張する。しかしながら,1審被告らが根拠とするDS8
6及びそれに依拠した審査の方針に定める算定基準の機械的適用では,初
期放射線による被曝線量を適正に算定することはできない。
-128-

(イ)
残留放射線について
1審被告らは,放射線降下物や誘導放射線による被曝による影響をほと
んど考慮せず,内部被曝を一切考慮しない審査の方針を前提に,X2につ
いても被爆の影響を否定する。
しかし,残留放射線による外部及び内部被曝の影響が急性症状を発症さ
せるほど多大であったことは顕著な事実というべきである。また,内部被
曝の重要性についても先に指摘したとおりである。
(ウ)
甲状腺機能低下症と放射線起因性等

1審被告らは,自己免疫性ではない甲状腺機能低下症につき,これま
で積み重ねられてきた放射線起因性を肯定する判断と異なるあらたな知
見が存在するような主張をし,佐々木ら意見書等を提出するが,客観性
のある調査結果等でなく,これまでの見解を覆せるものではない。

X2が白内障に罹患していることに関連して,1審被告らは,これま
での間,放射線白内障の特徴のうち重要なものとして,目の水晶体に後
嚢下混濁が認められることを挙げてきたにもかかわらず,調査嘱託〈J
眼科院〉回答において,X2の白内障について後嚢下混濁の存在が指摘
されるや,その発症が被爆後50年以上経過していることを挙げ,老人性
白内障と主張するに至っているが,後嚢下混濁は原爆放射線に起因する
白内障の大きな特徴の一つであり,X2の被爆状況,被爆後の健康状態
等と合わせ考えれば,X2の白内障の放射線起因性を強く疑わせるので
あって,1審被告らの上記主張は失当である。
また,X2の乳がんに関連して,1審被告らは,乳がんは,被爆者で
あろうとなかろうと,生涯を通じて女性30人に1人の割合で発症すると
いう点を強調するが,原爆放射線とがんとが有意な関係にあることは明
らかである。
そして,X2が原爆放射線による被曝との関係が一般的に疑われる疾
-129-

病を複数発症していることと,X2が放射線降下物等による残留放射線
に被曝し又は放射性降下物等を体内に取り込み内部被曝をしていること
からすれば,これらの疾病が原爆放射線被曝に起因したことを強く推測
させるものである。
(3)
X3

被爆状況
(ア)
X3(昭和12年*月*日生,被爆時8歳)は,広島原爆投下当時,大
阪から広島に疎開して,広島の昭和大橋の西側の,広島市b町*丁目**
番地にあるA工務店の社宅で居住していたが,同社宅は,爆心地から約2.
9kmの位置にあった。
X3は,当時,広島市立c小学校3年生で,社宅から北北東の方向にあ
った分校に通学していた。
(イ)
昭和20年8月6日午前8時ころ,X3は社宅を出てc小学校分校へと
向かった。社宅から学校までの通学路は,両側が畑の中の,畑よりも少し
高くなっている畦道で,周囲に遮蔽物はなかった。
X3がその通学路を分校へ向かって15分程度歩いていたとき,原子爆弾
が爆発し,X3は被爆し,爆風で畑の中に吹き飛ばされ,被爆により,背
中から足にかけて火傷を負った。
被爆地点を明確に特定することはできないが,社宅から15分程度歩いた
ところで被爆したこと,小学生の平均歩行速度が分速50m程度であること
からすれば,爆心地から2.0km~2.5km程度の地点で被爆したものと考える
のが合理的である。
(ウ)
X3は,社宅に帰ってから,白っぽい服の背中の部分が焼けて背中か
ら足にかけて火傷していること知った。その治療のために,翌日ころから,
病院代わりとなっていた己斐小学校まで通い油薬を塗ってもらった。己斐
小学校は,黒い雨が多く降り,多量の残留放射線が計測されている地域に
-130-

あったが,建物が倒壊していなかったことから,死亡者や傷病者が重なり
合うように収容されていた。X3は,己斐小学校に治療に通った際に,多
量の残留放射線に被曝している。
また,社宅近くの川には,たくさんの死体が浮いており,引き潮のとき
には海に流されていき,満ち潮のときに川に戻ってくるという状況であっ
た。
(エ)
被爆後は配給が途絶え,食べるものがなくなったことから,X3は,
近所の畑から灰をかぶって真っ黒になった冬瓜や芋のつる,大豆などを取
ったり,社宅の目の前の川でアサリを取ってきて食べたりもしていた。さ
らに,水道水が出なくなったので,近くの農家から井戸水をもらって飲ん
でいた。そして,昭和20年9月には,台風により洪水となり,畑が水につ
かってしまったが,そこにあった野菜も食べていた。
X3は,被爆後2~3年間は上記社宅に住んでいた。

急性症状等
X3は,被爆するまでは非常に健康体であったが,原爆の熱線により背中
から足にかけてひどい火傷を負い,その数日後から,歯茎から出血し,吐き
気やめまい,そして体のだるさに襲われた。そのため家でごろごろして通学
することができず,小学校5年生ころまではほとんど学校には行けなかった。
これらは,典型的な放射線による急性症状であり,X3が相当量の放射線を
浴びたことを裏付けている。

その後の症状の経過等
X3は,中学卒業後,大阪に戻り23歳ころまで工場で働いていたが,この
間も体のだるさが続いており,病院にも行ったが,医師からは原因が分から
ないといわれるだけであった。
また,X3は,虫歯もなく歯が綺麗であることが自慢であったが,20代後
半から歯茎が浮いたり,腫れたりするようになった。痛くて食べ物を噛めな
-131-

いため,おかゆを食べていた時期もあった。そして,45歳で上の歯が総入れ
歯になり,下の歯も徐々に抜けていった。
20代後半ころからは,膀胱炎を患い,下腹部に痛みを感じ,尿に血が混じ
ることもあった。
40代になったころからは,体が冷えやすくなり,特に腰が冷えやすかった
のでカイロをいつも使用していた。
63歳のころには,下腹部が張って痛く正式に検査もしてもらったが,結局
原因不明であった。
そして,平成13年(65歳)胃がんと診断され,平成14年1月4日,リンパ
節郭清を伴う胃切除術を受けた。さらに術後に抗がん剤を投与され,同年3
月14日に退院した。

現在の症状
X3は,退院後も抗がん剤やアガリクスを服用し,3か月に1度定期検査
を受けるため通院している状況である。
また,本件訴訟中の平成15年11月には脳内出血で手術を受けている。

放射線起因性の要件該当性
(ア)
被爆状況からの検討
X3の被爆地点は爆心地から約2.0~2.5kmの地点であり,周囲に遮蔽物
は全くなく,初期放射線により外部被曝したことは明らかである。
そして,X3が火傷の治療のために通った己斐小学校付近は残留放射線
の影響が大きく,X3が居住していたb町においても黒い雨が降ったとさ
れており,やはり残留放射線の影響を否定することができない。さらに,
X3は爆心地から約3.0km圏内において約7年間生活しており,被爆後に
は放射性降下物が付着した野菜などを食料として摂取し,呼吸により放射
性物質を体内に取り込んだと考えられる。したがって,X3は,残留放射
線により慢性的な外部被曝及び内部被曝を受けた。
-132-

(イ)
症状からの裏付け
X3に被爆直後に生じた歯茎からの出血,吐き気,めまい,体のだるさ
は,典型的な放射線の急性症状である。また,その後の全身性疲労,体調
不良,健康障害,易疲労症候群は多くの被爆者にみられる晩発性健康障害
に一致する。
(ウ)
胃がんの放射線起因性
放影研の寿命調査において,がんは「放射線被曝による有意な増加があ
る悪性疾患」として取り上げられており,胃がんに関しては,男性よりも
女性のリスクが高く,被爆時年齢が若いほど発症のリスクが大きくなると
されている。X3は8歳で被爆していることからすれば,放射線の影響は
大きいといえる。
そして,X3は,その被爆状況からして多量の原爆放射線被曝をしてい
ること,放射線に起因するものと思われる疾病や身体症状が多数生じてい
ること,申請疾患が胃がんであること等を総合的に考慮すれば,X3の胃
がんは放射線に起因するものといえる。

要医療性の要件該当性
X3は,胃切除術後,抗がん剤を投与され,退院後も転移・再発のおそれ
があるために現在も3か月に1回程度の割合で定期的に受診を継続してい
る。したがって,X3に要医療性が存在することは明らかである。

放射線起因性がないとの1審被告ら主張に対する反論
(ア)
X3の被曝について
1審被告らは,X3はほとんど被曝していないと主張するが,相当性を
欠くDS86の初期放射線や残留放射線の推定線量をそのまま当てはめた
結果にすぎず妥当でない。
(イ)
急性症状について
1審被告らは,被爆直後に生じたX3の歯茎からの出血,吐き気,めま
-133-

いなどが,放射線の急性症状とは合致しない旨主張するが,1審被告らの
主張する急性症状のしきい値や発症時期の理解は原爆被害の実像とかけ離
れたものであり,それに依拠した1審被告らの主張は相当でない。
また,1審被告らは,X3の被爆前後の体調の変化を原爆放射線と無縁
のものと主張するが,被爆者において被爆後長期間経過してからも原因不
明の体調不良などの不定愁訴を訴える者が少なくないのであって,1審被
告らの主張は失当である。
(ウ)
他原因論について
1審被告らは,X3の胃がんは,喫煙歴,食習慣,ヘリコバクター・ピ
ロリの持続感染等の他の原因に起因して発症したものとみるのが自然であ
ると主張するが,当該他原因の存在については何ら立証されていない。
(4)
X4

被爆状況
(ア)
X4(昭和6年*月*日生,被爆時14歳。旧姓**,昭和30年婚姻に
より改姓)は,被爆当時,広島市h所在(当時)のi中学2年に在学中で
あり,昭和20年8月6日午前,学徒勤労奉仕動員により,家屋撤去作業に
従事するため現
,在の京橋川に架かる比治山橋東詰北約50mの防空壕前(爆
心地から約1.75kmの地点)において,約150名の同級生と整列中に被爆し
た。
X4の右手上方で原爆が爆発し,全く遮蔽物がなかったため,X4は,
オレンジ色がかった閃光・稲光とともにものすごい熱線,ボンという音と
もに爆風をもろに受け,衝撃で飛ばされた。
X4は,この放射線と熱線により,両腕と背中の一部,左肩,左首筋な
どにひどい火傷を負い,両腕からは皮膚が垂れ下がり,両腕を前に突き出
さないと歩くこともできない状況であった。左顔面をひどく火傷し,戦闘
帽よりはみ出した頭髪は,頭の周囲すべてが焼けてなくなってしまった。
-134-

熱線の明かりがなくなると,黒いすすで周りが1m先も見えなくなった。
X4は,被爆後,i中学校に戻ろうとしたり,米軍機の機銃掃射を避け
ようとするなどして,結局,その日は一日中さまよい,比治山(現在の比
治山公園)に登り,多数の被災者とともに神社で一夜を過ごした。
(イ)
翌7日,X4は朝から比治山の神社を出て,いったんhのi中学に行
ってみたが,校舎が折れ曲がっており,とても救助・治療を求められる状
況ではなかったので,b町の**造船社宅の自宅に戻ることにした。
御幸橋を渡り,たまたま爆心地から約1.5kmの廣島赤十字病院の前に出
た。しかし,病院自体が混乱を極めており,中には余りにもひどい状態の
被爆者であふれんばかりだったため,14歳の少年は恐ろしく,また,気が
引けて,病院の中に入って治療を受けることはできなかった。ただ,病院
前に設置された救護所とは名ばかりの仮設の救護所でヨードチンキを腕に
塗るだけの治療を受けただけであった。その際,国防婦人服を着た女性が
握り飯をくれたのが被爆後最初に口に入れた食物であったが,そのにぎり
めしは黒いすすで黒くなっていた。
その後,X4は廣島電鉄の鷹野橋の停留所から誤って北上してしまい,
廣島市役所からさらに爆心地に近い,爆心地から0.5kmほどの地点にまで
入り込んでしまった。そこからもう1度鷹野橋の停留所に戻り,西に向か
って歩き,明治橋,住吉橋,江波,昭和大橋を経て,b町の自宅に一日か
けてやっと戻った。

急性症状等
(ア)
X4は,被爆するまではスポーツもよくする全くの健康体であった。
(イ)
X4が帽子を被っていたため残っていた頭頂部付近の頭髪も,家に着
くとすぐに脱毛が始まった。脱毛が始まったのは,被爆2日目ころからと
いうことになる。
(ウ)
X4は,家に着いてから2日目以後,1週間鼻血が止まらなかった。
-135-

その他,被爆直後から,嘔吐,めまい,全身倦怠感,下痢,鼻腔内粘膜か
らの出血等の急性症状が続き,2か月は寝たり起きたりの生活であった。
(エ)
X4は,特にひどかった両腕の熱傷の化膿に悩み,乳母車に連日乗せ
て貰い,b町の総合グランド内の軍医から治療してもらった。しかし,そ
の治療は,薄皮が張ると中に膿があるということで,薄皮をはがして,手
先のほうに搾り出すという原始的なもので,それに加えて薬剤を塗る程度
であり,完治するまでに半年間を要した。それ以外にも,家では嘔吐が続
いたり,3日間,体の震えが止まらない状態で寝込んだりした。
(オ)
2か月くらいたってから,黒い皮膚がぽろぽろはがれだし,顔は4か
月,首は半年で表面的には元の皮膚が戻った。胸の皮膚の黒みは被爆後50
年以上残り続け,数年前にようやく消えた。しかし,体の何か所かに瘢痕
が残り,特に,両腕のケロイド瘢痕は手の指先まで現在も残っている。

その後の症状の経過等
X4は,i中学に復学するのに被爆後1年かかり,復学後も1か月に10日
ほど休むという健康状態であった。その後,X4は,昭和23年に奈良の**
高校,昭和25年に**大学に進学したが,ずっと重度の倦怠感,疲労感に悩
まされ続け,その間の昭和28年には呼吸困難や鼓動の異常を感じて大学を1
年休学した。
X4は,昭和30年ころ就職しているが,この倦怠感,疲労感は相変わらず
続き,そのため仕事が長く続かず,約35年間に十数回も転職した。
X4のその後の病歴として,昭和40年ころ心臓肥大と無気肺と診断され,
昭和50年ころには糖尿病と,平成4年には十二指腸潰瘍とそれぞれ診断され
ている。その後,X4は,平成9年,12番胸椎圧迫骨折で2か月入院し,平
成10年にはヘルニアで手術を,平成15年には大腸ポリープで手術をそれぞれ
受けている。その他,X4の既往症として,突発性貧血症,心臓神経亢進症
も認められる。
-136-

現時点で,後述する皮膚がんの経過観察,指神経障害の治療以外に,糖尿
病,逆流性食道潰瘍,前立腺肥大,慢性咽頭炎,変形性膝関節症,腰痛など
で通院治療を続けている。

現在の症状
X4の右指爪は,被爆数年後から,他の正常な爪と違って,生えるたびに
変色・変形している状態であった。
平成12年ころより右第2指の指先の疼痛が続き,紫色となり,爪が次第に
浮き上がり,その下から黒い腫瘤が溢れ出し,平成13年,右第2指有棘細胞
がんと診断され,同年6月18日,右第2指末節部の切断術をしたが,その後
の右脇リンパ腺,肺への転移の危険性が高いところから経過観察を続けてい
る。指の神経障害も認められる。
現在,ケロイド瘢痕は両腕一面に残り,半袖の外側は両腕とも今もケロイ
ド瘢痕が残っている。右手は,特に半袖の上,二の腕もケロイド瘢痕が残っ
ている。

放射線起因性の要件該当性
(ア)
熱傷瘢痕,ケロイドの放射線起因性
X4の皮膚がんが発生した右第2指まで色素沈着が被爆後60年経過した
今でも残っており,これが熱傷瘢痕のみならずケロイドもあったことを意
味することは明らかである。
ケロイドは,2.1km以内の屋外では90%内外の非常に高い発生率であり,
放射線被曝という要因が加味された形で形成された瘢痕異常であると考え
るのが一般であり,熱線と放射線との共同の成因で瘢痕異常,ケロイドが
発生したと考えられている。これはX4が大量の放射線を受けた何よりの
証拠である。この放射線熱傷後に生ずるケロイド瘢痕には長期にわたり放
射能が残っていることが明らかにされており,放射能による長期にわたる
ケロイドからの内部被曝もあったことが考えられる。
-137-

(イ)
被爆者における皮膚がんの放射線起因性
原爆被爆者の皮膚がんについて,爆心地から近距離であるほど皮膚がん
の発生が多く,原爆と皮膚がんの関係が明らかにされており,熱傷瘢痕の
病変に皮膚がんの一種である有棘細胞がん(扁平上皮がん)が発生するこ
とは,周知の事実となっている。
さらに,被爆後30年を過ぎてから皮膚がんの発生が著明に増加しており,
潜伏期が非常に長く,今後ますます皮膚がんの発症に注意を要するとされ
ており,ICRPの2005年度版報告によれば,被爆者の皮膚がんの罹患率
は非常に高く,1万人当たり1Svで全体のがんが1800人弱であるところ,
そのうちの1000人を皮膚がんが占めている。このように,皮膚がんが放射
線との有意性が高いことが最新の知見で明らかにされている。
(ウ)
X4のその他の疾患
X4は,被爆時までは健康体であったが,被爆直後から脱毛,鼻血,下
痢,嘔吐等の原爆特有の急性症状が出て,被爆後長期にわたって倦怠感,
疲労感に悩まされ続けたほか,これまで多くの病気にかかり,現在,糖尿
病,十二指腸潰瘍,逆流性食道炎前立腺肥大,慢性咽頭炎で治療を受けて
いる。これら多種多様な病気も原爆放射線の影響を受けていると考えられ
る。
(エ)
結論
以上によれば,X4の皮膚がんは熱傷後のケロイドから発生した有棘細
胞がん(扁平上皮がん)であり,原爆放射線に起因すると考えられる。

要医療性の要件該当性
皮膚がんは脇の下のリンパ腺がん等への転移がないかどうかの検査が3か
月に一度必要である。特にこの皮膚がんは,有棘細胞がんであるから,脇下
リンパ腺から肺への転移などの可能性が大であり,厳格な経過観察が必要で
あり,5年の経過観察では全く足りない。
-138-

また,切断した神経系統の治療も必要で,内服薬を服用するなどしている。
よって,申請疾病につき,要医療性があるのは明らかである。

放射線起因性がないとの1審被告らの主張に対する反論
(ア)
X4の被曝線量について

初期放射線による被曝線量について
1審被告らは,X4はほとんど被曝していないなどと主張しているが,
1審被告らの被曝線量に関する主張は妥当ではない。1審被告らの依拠
するDS86及びDS02の初期放射線の数値は,少なくとも爆心地か
らの距離が1.3~1.5km以遠においては過小評価となっているところ,爆
心地から約1.75kmの距離でX4が被曝した初期放射線は,1審被告らの
主張よりも相当程度多かったというべきである。

残留放射線による外部被曝ないし内部被曝
X4が,1審被告らのいう「無視し得るほどの線量」をはるかに超え
る線量の放射線に被曝した事実は,X4の被曝の状況並びに被爆後の行
動,X4に生じた急性症状,その後の健康状態の悪化等の事実から明ら
かである。
(イ)
放射線起因性について
1審被告らは,審査の方針(原因確率)によってX4の右2指有棘細胞
がんの原因確率が極めて低いということのみを根拠とし,原爆放射線以外
の原因で発症した可能性が高いなどと主張するが,原因確率自体に合理性
がなく,1審被告らの主張は,そもそも失当である。
被爆者に発生した右2指有棘細胞がん(皮膚がん)と放射線被曝線量と
の関係については,有意な線量反応関係が認められ(皮膚がんの過剰相対
リスクは,他のがんと比べても高めである。,被曝時年齢が若いほど発

生のリスクが高いという統計分析が複数存在している。
X4の右2指有棘細胞がんが放射線に起因するか否かの判断にあたって
-139-

は,そのことを前提にしながら,X4の被爆時の状況,被爆後の行動経過,
急性症状,その後の健康状態,申請疾病以外の疾病の内容等を総合的に考
慮して判断すべきものである。
しかるところ,X4が放射線の影響を受けやすい若年で被爆しているこ
と,前述した被爆時の状況,被爆後の行動経過,急性症状等からすればX
4が相当量の放射線に被曝したことは明らかであること,被爆前は至って
健康な子どもだったにもかかわらず,被爆後は全身倦怠感に苦しみ続け,
健康状態に明らかな質的変化がみられることなどからすれば,X4の右2
指有棘細胞がんに放射性起因性があることは明らかである。
(5)
X5

被爆状況
X5(昭和8年*月*日生,被爆時12歳)は,県立j中学校1年に在学中
であったが,学徒勤労奉仕として道路拡張工事を行っていた。
X5は,昭和20年8月6日,勤労奉仕に出かけるべく,約400名の同級生
とともにj中学校の校庭で整列中に被爆した。被爆地点は比治山橋東詰から
南東方向にすぐの場所であり,爆心地から約1.7㎞に当たる。
X5は,被爆の瞬間,マグネシウムを焚いたような赤黄色の強烈な閃光が
眼前を右から左へと突き抜けてゆくのを感じた直後,轟音とともに襲ってき
た熱風に吹き飛ばされ,右半身を中心に全身に大火傷を負った。顔の右半分
から頚部,右肩から右手の先まで,さらには両膝部分の皮膚が焼けただれ,
特に右腕の皮膚はボロ布のように垂れ下がり,腕を下におろすこともできな
い状態であった。
X5はまもなく比治山へと避難し,1時間ほど経ったころ,屋外でランニ
ング姿のまま雨に打たれた。
同日夕方5時ころ,X5は山を下り,k町の自宅(爆心地から約1.2㎞)
を目指して比治山橋から明治橋の方向へと歩き始めた。道中のほとんどの建
-140-

物は破壊し尽くされ,赤い炎が立ち上って歩くのも困難なほどの熱気が立ち
こめる中,X5は,道路の両側に無惨な姿で折り重なっている遺体の列を縫
って歩き続けた(爆心地から約1~1.5㎞の地域。
)しかし,明治橋を渡っ
た辺りで火の手が行く手を遮り,自宅に戻ることができなかったため,廣島
赤十字病院(爆心地から約1.5㎞)で一夜を明かすこととなった。同病院内
で偶然にも同級生の母親と会ったため,同級生を捜しに同病院を出て大手町
の周辺(爆心地から約1.4~1.5㎞)をしばらくさまよったが見付けることは
できず,再び同病院に戻った。同病院内部はひどい怪我や火傷を負った重傷
患者であふれかえっていた。
翌朝,X5は廣島赤十字病院を出て,いったんk町の自宅へ行ったが,焼
け跡になっていたため,やむなく,明治橋から比治山橋を通って中学校の校
庭(爆心地から約1.7km)に戻った。その後,同日のうちに専売公社(救援
センター)まで油を塗ってもらいに行き,さらに雑魚場町(爆心地から約1
km)の焼け野原で同級生を捜し歩くなどした。
この間,X5は,のどの渇きにたえられず,道中の焼け跡の破れた水道管
からしたたる水を何度も飲んだ。その後,X5は重度の倦怠感と火傷の痛み
から起き上がるのも困難な状態となり,学校の校庭で数日間過ごした後,同
月10日ころ,迎えに来た父親に大八車に乗せられ,市役所から中国電力を通
り,産業奨励館(原爆ドーム)で一休みするなど爆心地中心付近を通って横
川駅まで運ばれ,可部の知人宅に担ぎ込まれた。そして,火傷した跡が化膿
してきたことから同月16日から約3か月間可部小学校に設けられた広島陸軍
病院に入院し,同年10月ころには母の実家に戻ったものの,その後も約2年
間通院した。X5は,治療及び療養のため1年間休学している。

急性症状等
X5は,被爆翌日である昭和20年8月7日,方々歩き回った末に学校の校
庭に帰り着いて以降,強烈な全身倦怠感を生じ,容易に起き上がることので
-141-

きないほどの状態となった。当時の強烈な体のだるさからは,発熱があった
可能性も十分に推測される。
また,被爆後1週間ほど水のような下痢に見舞われ,その後,下痢と軟便
が半年ほど続き,さらに歯茎からの出血も昭和20年8月半ばころから1年ほ
ど毎日のように続いた。
さらに,化膿した部分からの膿がなかなか止まらず,完治するまでに非常
に長期間を要した。

その後の症状の経過等
(ア)
ケロイド瘢痕
X5は,火傷が化膿してなかなか治らず,昭和21年9月ころまでは右腕
を動かすことさえも困難な寝たきりの状態が続いた。
被爆から2年が経過した昭和22年9月ころ,ようやく化膿していた部分
に新しい皮膚ができ,痛みも薄らいだが,身体の各部にひどいケロイド瘢
痕が残り,左肩関節,右側頚部,右上肢,両下肢多発性ケロイドと診断さ
れている。右肘ケロイドについては,ケロイド瘢痕拘縮で伸展が中等度障
害されており,手術(Z-形成術)によって大幅な改善が期待できるとさ
れている。
(イ)
様々な疾病への罹患
X5は,被爆後,非常に疲れやすい状況がずっと続いた。40歳ころから
は風邪を引きやすく,全身倦怠感が強いため時々点滴を要する状態となっ
た。そのころから肝炎や糖尿病も患い,医者へ通院するようになった。60
歳ころからは週1回,3年ほど前からは毎日の点滴が必要不可欠な状態に
置かれている。これは,いわゆる原爆ぶらぶら病(慢性原子爆弾症)であ
ると診断される。
X5は,現在も,肝機能障害,胃炎,逆流性食道炎,糖尿病,緑内障な
どの多数の疾病を抱え,複数の病院への通院を継続することを余儀なくさ
-142-

れている。
(ウ)
喉頭腫瘍
平成10年7月,X5は,喉頭腫瘍(扁平上皮がん)と診断され,放射線
治療を受けるも,白血球減少により中止となった。
その後,平成11年4月,喉頭全摘出術及び両頚部郭清術を受けた。
術後は首の筋肉がしばしば痛むようになり,整骨院への通院を余儀なく
されている。
また,現在も3か月に1回の通院を行い,経過観察を行うとともに,頚
部の痛みに対する治療も受けている。
さらに,平成17年8月にはあらたに膀胱がんとの診断を受け,同年11月
に手術を受けた。

放射線起因性の要件該当性
(ア)
X5が放射線により被曝した客観的な状況
X5は,爆心地から約1.7kmの遮蔽物の全くない屋外で被爆し,閃光を
浴び,全身に大火傷を負っており,直接に大量の初期放射線を浴びた。
その上,X5は,上記のように被爆当日以降,爆心地から1~1.7kmの
地域で過ごし,雨に打たれたり,倒壊した建物や多数の死傷者に接し,焼
け跡の水を飲むなどしており,この間に,倒壊した建物や被爆した死傷者
らから発せられる放射線を浴び,又は放射性物質を含むほこりを吸い込ん
だりして大量の残留放射線に被曝している。
X5が,被爆直後から極度の全身倦怠感,下痢,歯茎からの出血などの
典型的な急性症状を呈していることからも,X5が相当量の被曝をしてい
ることは明らかである。
(イ)
ケロイドの放射線起因性
ケロイドが熱線と放射線との共同の成因で生じることは先に述べたとお
りであり,X5のケロイドが瘢痕となり色素沈着して被爆後60年経った今
-143-

も残っているということは,X5が大量の放射線を受けた何よりの証拠で
ある。そして,ケロイド瘢痕には長期にわたり放射能が残っていることが
明らかにされており,長期にわたるケロイドからの内部被曝があったこと
も考えられる。
(ウ)
喉頭がんの放射線起因性
放射線によって喉頭がんが発生することは,頚部の放射線療法で生じた
喉頭がんの報告が多数存在することからも,その起因性は明らかである。
被爆者の喉頭がんについては,その過剰相対リスクは0.41と,すべての
悪性腫瘍を合計した過剰相対リスクよりも高くなっており,放射線起因性
は一般論としても認められるというべきである。
この点,X5は,①
相当量の被曝をしていること,②
X5の喉頭部
の皮膚表面にケロイド瘢痕が存在することが確認されているところ,ケロ
イド内には誘導放射能が存在することが証明されており,この頚部付近の
ケロイド内の誘導放射能による喉頭部分への内部被曝が考えられること,

X5が12歳という若年で被爆していること(被爆年令が低いほど発生
リスクは高い,
)④
X5は被爆後まもなく典型的な急性症状に見舞われ
た上,それまで健康状態であったのが,被爆後は常に全身倦怠感に悩まさ
れ続けてきているほか,肝機能障害,逆流性食道炎,糖尿病,緑内障など
多様な疾病に罹患しており,これらも原爆放射線の影響を受けていると考
えられること,⑤
特に肝機能障害については,脂肪肝,B型肝炎,C型
肝炎,自己免疫疾患といった他原因がいずれも否定され,原爆放射線に起
因すると診断されていること,⑥
さらに,X5は,平成17年に至り膀胱
がんにも罹患して,多重がんの様相を呈していること,なども併せ考えれ
ば,X5の喉頭がんが原爆放射線に起因することは明らかである。

要医療性の要件該当性
(ア)
ケロイドについて
-144-

X5のケロイドは右上半身の広範囲に及び,特に右上肢は全体にケロイ
ド瘢痕が今も強く残っている。右肘関節は完全進展することができず,屈
曲位をとっている。右上肢をまっすぐに延ばすためには手術が必要であり,
X5のケロイドについても要医療性が認められる。
(イ)
喉頭がんについて
X5は,現在も喉頭がんの経過観察及び頚部の痛みに関する治療を続け
ている。被爆者の多重がんの多さ,再発の危険性の高さ等にかんがみれば,
将来,長期間にわたる経過観察が必要不可欠であることから,要医療性は
優に認められる。

放射線起因性がないとする1審被告らの主張に対する反論
(ア)
X5の被爆について
1審被告らは,X5はほとんど被曝していないと主張するが,その論拠
に合理性がないことはこれまで述べてきたとおりである。X5の被爆状況
からして,初期放射線も,誘導放射線や放射性降下物による被曝も1審被
告らの主張よりも相当程度多かったことは明らかである。
(イ)
X5の喉頭腫瘍の放射線起因性について
1審被告らは,審査の方針に依拠して,X5の喉頭腫瘍の原因確率がわ
ずか0.5%にすぎないとし,この程度の放射線被曝では,喉頭腫瘍が発症
するリスクは極めて低く,これを原因として喉頭腫瘍になる人はいないと
いっても過言ではないなどと主張する。
また,X5の喫煙歴をことさらに取り上げ,X5の喉頭腫瘍は喫煙や飲
酒等の生活習慣によって発症したものとみるのが極めて常識的な判断とい
うべきであると主張する。
しかし,原因確率の問題点は先に指摘したとおりであり,これのみを根
拠とする1審被告らの主張はそもそも失当である。
喉頭腫瘍の発症について喫煙が危険因子の一つとされていることは指摘
-145-

のとおりであるが,一つのリスクファクターに過ぎず,喉頭腫瘍の放射線
起因性について有意な関係が認められていること,被爆時年齢が若いほど
その発症リスクが高いこと,X5の被爆状況等からして,放射線が共同成
因として疾病を生ぜしめたことは明らかであって,X5が発症した喉頭腫
瘍の放射線起因性を否定することはできない。
したがって,本件認定申請に係る喉頭腫瘍の放射線起因性は優に認めら
れる。
(ウ)
X5の肝機能障害について
1審被告らは,X5の肝機能障害につき,その原因はアルコール摂取等
の生活習慣によるものと考えるのが自然であるなどとし,これがX5の喉
頭腫瘍の放射線起因性を肯定する根拠にならないとする。
しかし,X5は40歳ころから肝炎の治療を受けており,アルコール摂取
の影響も否定し得ないとしても,肝機能障害と放射線との有意な関係が指
摘されていること,X5の被爆状況等を全体的に鑑みれば,放射線被曝が
肝機能障害の発症に影響していることは否定し得ないというべきであり,
少なくともアルコールと放射線とが共同成因として肝機能障害を発症又は
進行させたといえることは明らかというべきである。
(エ)
結論
以上のとおり,1審被告らの反論は失当であり,X5の申請疾病である
喉頭腫瘍が放射線に起因するものであることは明らかである。
(6)
X6

被爆状況
X6(大正13年*月*日生,被爆時20歳)は,昭和20年8月6日,広島駅
前の猿猴橋商店街にあったB店内で被爆した。当時,X6は妊娠5か月であ
った。
被爆場所について,X6の被爆者健康手帳では,取得当時は爆心地から1.
-146-

8kmとなっていたが,更新している間に1.9kmと変更され,現在に至っている。
X6は,木造2階建のB店の1階土間の炊事場の流しで米をといでいたと
きに,中庭に面していたガラス窓(爆心地の方向)から稲光りの何万倍かと
いう閃光が入ってきて,そのまま気を失った。
X6が気が付いたとき,B金物店は全壊(後に全焼)しており,X6は,
隣家の3階屋上にあった庭が半分壊れて傾いて2階位の高さになっていたと
ころに立っていたが,X6にはこの間の記憶は全くない。
X6は,B金物店にいた家族3人が全壊した建物の下敷きになっていたの
で,素手で必死に土を掘るなどして,その救出活動をした。
X6は,同日午後,徒歩で広島駅の北東にあった東練兵場を通って約4km
離れたl村まで避難した。その途中黒い雨が降ってきて,農道のそばの小屋
へ避難するまでの間,10分位濡れた。また,避難途中の道は死傷者で一杯で
あった。
X6は,同日夕方近くにl村の知り合いの農家に着き,同日夕方から翌7
日夜にかけてl村で死傷者の世話や救護活動をした。
同月8日午前10時ころ,X6は,l村の農家を出て,五日市の知人宅に移
った。l村からは来た道を戻り,東練兵場から広島駅へ,そこから福屋デパ
ートや中国新聞社前の広い電車通りを歩いて己斐駅まで行き,己斐駅から汽
車に乗って五日市へ着いた。福屋デパートや中国新聞社前の広い電車通りは,
爆心地を通っていて,被害の最も大きかったところである。X6が歩いて通
ったときにも,いたるところに死体があり,死体の焼却作業が行われていた。
また,馬や牛も死んでいたし,線路に止まっている焼けた電車からは乗客が
窓から顔を出して死んでいた。
X6は,同日夕方に五日市の知り合いの家に着き,そこに同年10月半ばま
で世話になった。その間,広島市内やその周辺で被曝した死体を焼く煙とに
おい,土ぼこりやススなどが風に乗って五日市まで毎日のように流れてきて
-147-

いた。
X6は,その後母の実家のある**県mへ移り,昭和21年1月8日に長女
を出産した。同年11月に夫が復員してきたので同年12月に**へ移転した。

急性症状等
X6は,被爆時に背中一面に怪我をして血だらけになっていた。多分,窓
ガラスの小さな破片がささったものと思われる。背中の傷はその後5~6年
チクチクと痛んだ。
X6は,昭和20年8月6日夜激しい腹痛に襲われた。
X6は,同月10日ころから,①
血が止まりにくい(指先を包丁でちょっ
と切っただけなのに3時間位止まらない,
)②
頭の毛が3回位異常にたく
さん束になって脱けたということがあり,また,③
下痢や発熱,吐き気も
あったと思うが,気にしている余裕もなかった。
X6は,同年10月半ばころ,mに着いてから,吐き気があり,口がくさい
といわれた。吐き気はその後も長く続いた。

その後の症状の経過等
X6は,昭和25年ころ,10日間位激しい下痢が続いて入院させられた(赤
痢と疑われたがそうではなかった。また,2

5~26歳から,しょっちゅう吐
き気があり,27歳(昭和28年)ころから,特に体がだるく,手が抜けそうに
だるく,吐き気もあって,しんどくてたまらなかった。吐き気はその後も続
いた。頭痛もひどかったが,病院には行っていない。頭痛はその後もひどか
った。
X6は,37(
歳昭和38年)のとき,被爆者健康手帳を取得した。このころ,
背中が凝って石が載っているみたい,手が脱けそうにだるい,しんどくて横
になりたい,という状態であり,とても我慢ができずに横になると,夫から
「怠けている」と叱られた。ただし,病院には行っていない。
X6は,43歳(昭和43年)のときに**へ引っ越した。体のだるさやしん
-148-

どさは続いており,このころから貧血でよく倒れたり吐いたりすることがあ
った。
X6は,46歳(昭和47年)ころ,ひどい貧血で倒れて,初めてn診療所で
診察と検査を受けた。三宅成恒医師から輸血をしなければ危ないといわれた
が,夫に輸血を反対され,通院してマスチゲン(増血剤)の注射を20日間位
毎日打ち続けた。その後も家でよく倒れて寝ていた。貧血の症状は現在もあ
り,今も薬を飲んでいる。
X6は,55歳(昭和56年)のころから,変形性膝関節症,変形性脊椎症に
なり,n診療所で治療を受けている。
X6は,平成8年5月,n診療所で甲状腺機能低下症(橋本病)と診断さ
れ,通院して治療を受けた。数年前から,のどが腫れてきて言葉が言いにく
く,食べ物が飲み込みにくくなっていた。症状としては,首が太くなって腫
れる,のどにつっかかる,飲み込みにくくて苦しくなる,食事が胸につっか
かる,水分をそばに持っていないと声がかすれて話ができなくなる,などが
あった。
他に,腕が抜けるようにだるくなる,切り落としたい位になるという症状
も続いている。
X6は,平成11年3月ころから喘息になり,n診療所に通院して点滴など
の治療をした。現在も人工呼吸器を手放せない。

現在の症状
X6は,現在,貧血,変形性膝関節症,変形性脊椎症,甲状腺機能低下症
(橋本病)及び喘息の治療を受けている。
貧血については,現在も倒れることがあり,服薬している。
変形性膝関節症,変形性脊椎症では歩行困難を生じており,貼り薬やリハ
ビリ治療を受けている。
甲状腺機能低下症(橋本病)に関しては,服薬をやめると症状が悪化する
-149-

ので服薬を続けている。
喘息は,点滴によって軽快したが,現在も服薬と人工呼吸器の使用を続け
ている。

放射線起因性の要件該当性
(ア)
放射線の被曝の程度

直接被曝
上記のようにX6は爆心地から1.8~1.9㎞の建物内でガラス窓越に直
接被爆し,爆風に飛ばされて,割れたガラス片が突き刺さるなどして背
中一面に怪我をしているから,X6は,原爆の強い放射線を身体に直接
浴びているし,背中に傷があったので,より放射線の影響を受けやすか
った。

残留放射線等による被爆
X6は,上記被爆状況のとおり,①
被爆当日,被爆地点において,
全壊した建物の下敷きになった・の救出作業等を行い,②
死傷者と倒
壊建物であふれる道をl村まで歩いて避難し,③
被爆当日夕方から翌
日夜までl村で被爆者の救援活動に従事し,④
被爆2日目には最も放
射線汚染のひどかった爆心地周辺を徒歩で移動して己斐駅まで行き,列
車で五日市へ避難し,⑤
五日市で2か月間避難生活をしていたもので
あり,放射性降下物の残留放射線や,倒壊建物や死傷者等から発せられ
る誘導放射線を浴び,土砂やほこりを吸引したり,放射能汚染された水
を飲むことなどによって内部被曝した。
(イ)
X6の疾病と放射線起因性
X6は,被爆したときに背中に怪我をした外に,昭和20年8月6日夜に
は激しい腹痛に襲われ,同月10日ころから出血傾向や脱毛などの症状があ
ったが,これらが放射線の被曝による急性症状であることは,既に公知の
事実である。なお,X6の記憶は明確でないが,下痢もしていたはずであ
-150-

る。
また,X6は,同年10月ころから,強いだるさ,疲れやすさ,吐き気,
頭痛を感じるようになり,長年続いており,原爆ぶらぶら病(慢性原子爆
弾症)の症状が出ている。
X6は,昭和21年1月に長女を出産しているが,この長女にも胎内被曝
の影響と思われる白血球減少や易疲労性があり,45歳のときに子宮ガンの
全摘出手術をしている。
X6は,昭和43年ころから貧血の症状が起こり,昭和47年ころに増悪し
て初めて治療した。貧血は,放射線の起因性が認められている疾病であり,
多くの被爆者に症状が現れている。X6の貧血も放射線に起因するもので
ある。
X6は,平成8年5月に,本件申請疾病である甲状腺機能低下症(橋本
病)と診断された。甲状腺機能低下症(橋本病)については,放射線被曝
と発症との有意な関連性が証明されている。
X6の場合,既述のとおり,直接被曝のみならず,残留放射線による被
曝,内部被曝,黒い雨による被曝などによって放射線の影響を受け,急性
症状を発症していたこと,その後も被爆者に共通する原爆ぶらぶら病(慢
性原子爆弾症)で苦しんできたことなどからみて,原爆放射線に被曝した
ことが本件申請疾病の発症原因であることは間違いない。
X6は,被爆前には健康そのものであり,家庭が裕福であったから,栄
養状態も良く,女学校時代は卓球の選手でもあった。結婚,妊娠後も,健
康状態には何ら問題がなかった。また,身内に甲状腺に関する罹病者はな
く,放射線被曝以外に発症原因となる要素は全くなく,X6の本件申請疾
病は,原爆放射線の起因性の要件を充たしている。
なお,X6とほぼ同様の被爆状況で同じ甲状腺機能低下症(橋本病)を
発症した****は,問題なく認定されている。
-151-


要医療性の要件該当性
X6は,現在も本件申請疾病について,通院による治療を継続中である。
治療内容は主に服薬であるが,薬を飲まないとのどが腫れて,食物が飲みに
くくなるなど甲状腺機能低下の症状が出るため,服薬をやめることはできな
い。
よって,X6には本件申請疾病について要医療性がある。

放射線起因性がないとする1審被告らの主張に対する反論
(ア)
X6の被爆状況について
1審被告らは,X6はほとんど被曝していないと主張するが,合理性の
ない審査の方針に基づいた見解であり,誘導放射線や放射性降下物による
被曝をほとんど認めないものであって失当である。X6の被爆状況からし
て,初期放射線による被曝のみならず,放射性降下物や誘導放射線による
被曝や内部被曝もしていることは明らかであり,これらを軽視ないし無視
する1審被告らの主張は誤りである。
(イ)
X6の甲状腺機能低下症(橋本病)の放射線起因性について
1審被告らは,自己免疫性甲状腺機能低下症と甲状腺機能低下症に関し
ては,放射線との関係はないとされている知見が得られているとして,橋
本病と放射線との関連については,これを否定するのが今日における常識
であるなどと主張する。
しかし,1審被告らが依拠する論文(調査結果)については,対象の範
囲,診断方法,時間の経過に伴う対象者の線量分布の変化等の問題点や調
査における特定の偏りなどが指摘されており,橋本病の放射線起因性を否
定し得る価値があるとはいい難い。
(ウ)
X6の橋本病について
1審被告らは,X6の橋本病は同年代の者に通常みられるものと何ら変
わりのないものであるから,これについて,約50年も前の原爆放射線が寄
-152-

与しているなどと考えることは常識的にみて困難であると主張する。
しかし,原爆症の多くは,非特異性疾患であり,被爆者であるかないか
によって症状に特段の違いがあるわけではなく,このような主張をして,
原爆放射線の起因性を否定すること自体,原爆症に対する基本的な無理解
を露呈している。また,原爆放射線の人体への影響は,未だにほとんど解
明されていないのであって,このことこそが現在の科学の常識であり,被
爆後現在に至るも,解明に向けてさらなる努力が積み重ねられているとこ
ろである。したがって「50年も前の原爆放射線が寄与しているなどと考え
ることは常識的にみて困難である」と主張することこそ常識に反するし,
科学的ではない。現実には,被爆から50年を経て,ようやく原爆放射線と
の関連が解明されてきた疾病もあるのであって「被曝から5

0年もたてば
疾病は起こるはずがない」などという根拠のない「常識」など,軽くこえ
てしまっているのが原爆放射線の恐ろしさであり,被爆者の苦しみの根源
である。
(7)
X7

被爆状況
X7(大正14年*月*日生,被爆時20歳)は,広島市基町の広島第一陸軍
病院に陸軍衛生二等兵として勤務についており,昭和20年8月6日に広島市
内に原子爆弾が投下されたときは,患者護送のため派兵されていた**県*
*市から広島に帰る途中であり,汽車の中にいた。汽車は広島駅まで進めず,
X7は,数駅手前の海田市駅で降り,夕方ころ,広島駅に到着し,市電沿い
を歩いて第一陸軍病院(爆心地から約500m)に向かい,その日は爆心地に
極めて近い護国神社付近で野営をした。
X7は,翌日から約1週間程度,被爆者の救出,手当に従事したが,日中
は上半身裸で,夜はほとんど眠らないまま,死にものぐるいで働いた。死体
処理作業を行っているときも,手拭いで手を拭くだけでそのまま握り飯を食
-153-

べるような状態であった。
X7は,救助作業中,荷車に追突され背中を負傷し,出血がひどく,**
県内のm陸軍病院に入院して治療を受け,そのまま終戦を迎えた。

急性症状等
X7は,歯茎出血の経験はなかったが,第一陸軍病院での救援作業中,歯
茎からうっすらと血がにじむような出血があった。
X7は,m陸軍病院に入院したころから,継続的に身体のだるさを自覚す
るようになった。だるさは,手を膝の上に置いておくのもしんどくなり,ボ
ロンと垂れ下がってしまうような経験したことのないだるさであった。背中
の傷もなかなか治らなかった。
m陸軍病院から広島に戻ったX7は,その後も身体のだるさに悩まされ,
背中の傷の治りが悪く,痛みも増すようになった。
昭和20年10月ころ復員したX7は,背中の痛みや身体の不調からo町立病
院に入院し,背中の手術を受けた。このとき,白血球が減少していると医師
にいわれ,また,身体中の各部のリンパ腺が大きく腫れる症状も出ていたの
で,入院は長期に及んだ。昭和22年ころには右首筋にゴルフボール大に腫れ
上がったリンパ節の切除のために手術を受けたこともあった。
同病院に入院したころから,X7の頭髪は,徐々に抜け始め,昭和21年春
ころには全部抜けてしまった。脱毛は,一度にばさっと抜けるような感じで
あった。体調がいいときに退院することはあったものの,約2年間にわたり,
X7は,上記のような体調不良から,入退院を繰り返した。
それ以降も,X7は,脱力感,めまい,疲労感,食欲不振が続き,長年に
わたって病院通いを余儀なくされた。具体的な症状としては,肝機能障害,
高血圧,骨粗鬆症があり,また,白血球の減少も慢性化していた。

その後の症状の経過等
X7は,体調がいいときに****で歯科医院を開業している弟の仕事を
-154-

手伝うことはあったが,それ以外はほとんど定職に就くことなく,現在に至
っている。
X7は,平成9年,脳梗塞を発症し,後遺症で左半身に麻痺が残った。ま
た,翌平成10年11月23日から同年12月4日まで,強度のめまい,吐き気のた
め,入院した。そして,椎骨・脳底動脈(後下小脳動脈付近)循環不全,脳
梗塞後遺症,高血圧と診断された。このめまいは,立っていることができず,
吐き気を催すようなひどいものであった。

現在の症状
X7は,本件認定申請後の平成16年6月には膀胱がんと前立腺がんを患い,
2週間ほどN附属病院に入院し,退院後,脳梗塞と脳内出血で再入院し,そ
の後遺症で右半身に麻痺が残り,言語障害も残った。
そして,平成19年7月14日死亡した。

放射線起因性の要件該当性
(ア)
放射線の被曝状況
X7の原爆投下日の爆心地付近への移動,爆心地近くでの野宿,翌日以
降の屍体処理や救護作業により相当量の残留放射線を浴び,作業中の土砂
やほこりの吸飲や食事等のほか,背中の大けがによる傷口からの放射性物
質の体内取込みによる内部被曝をした。
(イ)
X7の疾病と放射線起因性

X7は,それまで経験したことのない歯茎からの出血や,脱毛,全身
倦怠感という症状を認めたが,これらが放射線の被曝による急性症状で
あることは公知の事実である。

X7の申請疾病名である椎骨脳底動脈循環不全という病名は,脳の血
管で脳幹部や平衡神経などに栄養を送っている椎骨動脈や脳底動脈の血
管循環が一時的に悪くなり,そのためにめまいが起こる症状をいうが,
神経学的にはっきり診断基準のない病態を表した病名で,原因不明のめ
-155-

まいが続くときに便宜上付けられることの多い病名である。そして,X
7は,これまで多数の病気にかかっているが,生活での一番の支障を来
した健康障害は例えようのない倦怠感であり,そのために人と同じよう
な定職に就けず苦労してきた。この体力がない,持続力がないという,
言葉では言い表しようがない体全体の倦怠感,脱力感は原爆ぶらぶら病
の症状そのものである。その状態を押し切って頑張った無理,極限の延
長状態に来るのが,X7が訴えているめまいであり,それにより椎骨脳
底動脈循環不全と診断されたものである。このめまいは,通常人が一般
に感じるものとは異なり,定職に就くこともできないほどひどいもので
あり,放射線に起因するとしか考えられない。
したがって,X7の椎骨脳底動脈循環不全が放射線に起因することは
明らかである。

X7が罹患していた脳梗塞後遺症については,被爆者の循環器系疾患
の増加が指摘され,近距離被爆者において有意な死亡が確認されている
ことから,放射線の影響が考えられる。

X7が罹患していた高血圧症については,有意な線量反応関係がある
とされており,放射線起因性が認められる。

X7が罹患していた白内障は,晩発性の白内障の存在が認められてお
り,放射線起因性が認められる。

X7が罹患していた白血球減少症は,急性期には白血球の減少が認め
られているが,10年後の調査では減少がないとされている。しかし,低
線量被爆者に負の線量関係を認めた報告があり,放射線起因性が認めら
れている。したがって,X7の白血球減少症についても,放射線起因性
は認められる。

さらに,X7は,本件認定申請,異議申立ての後,平成16年9月に膀
胱がん,前立腺がんの多重がんに罹患した。これらの疾病は,本件X7
-156-

却下処分後に発症したものであって,審査の対象そのものにはなってい
ないが,被爆者に多重がんが多いことがその特徴とされており,X7が
放射線の影響を受けていること,そして上記疾病も原爆による放射線の
影響であることを強く推認させる。1審被告らは,がんの治療の進歩に
伴って寿命が延長していき,加齢によってがんに罹患するリスクは高ま
っていくから多重がんの発生率が高まるのは当然であると主張するが,
非被爆者のがん死亡数よりも被爆者の方が一定の数で多いことが知られ
ている。
X7が同じ時期に前立腺がん及び膀胱がんという多重がんに罹患して
いることは,X7が放射線によって影響を受けていることを強く窺わせ,
X7の上記疾病も放射線起因性があるというべきである。

要医療性の要件該当性
X7は,死亡するまで,めまい,ふらつきが続き,2か月に1度程度,脳
梗塞の後遺症やめまいなどの治療のためにN附属p病院や近隣のP内科にそ
れぞれ通院し,継続的に治療を受けていた。また,白内障の治療のために,
O病院に通っていた。
よって,X7が死亡するまで要医療性があったことは明らかである。

放射線起因性がないとする1審被告らの主張に対する反論
(ア)
X7の被爆状況について
1審被告らは,調査票の記載を根拠に,X7が原爆投下当日に広島市内
に入市したとは考え難いと主張するが,調査票の妻子の名前が間違ってい
ることなどからして,X7自身が記載したものではなく,後日,被爆体験
がない役所の人間によって書かれたであろうことは容易に想像できるので
あり,X7の供述する被爆体験が事実である。
(イ)
椎骨脳底動脈循環不全について
1審被告らは,調査嘱託〈O病院,P内科,Q病院,N附属p病院〉回
-157-

答を踏まえ,X7が椎骨脳底動脈(後下小脳動脈付近)循環不全に罹患し
ていると認めることができないこと,少なくとも却下処分時には要医療性
がなかったことが明らかになったと主張する。
しかし,上記疾患名は,原因不明のめまいが続くときに便宜上付けられ
ることの多い病名である。そして,X7は慢性原子爆弾症(原爆ぶらぶら
病)の症状を呈しながら無理を重ね,X7が訴えている原因不明のひどい
めまいに襲われたのであり,診断に当たった医師が,このような症状を平
衡神経中枢の循環悪化と考えて便宜上つけた診断名が椎骨脳底動脈環不全
というべきである。つまり,X7の,同病名は,慢性原子爆弾症(原爆ぶ
らぶら病)に相当するものであり,他の医療機関の調査嘱託回答にその旨
の記載がなかったとしても,そのことを以て,同人がかかる症状になかっ
たと決めつけることはできない。また,X7が脳動脈の一部の局地的閉塞
によって生じる脳梗塞を発症して,その後遺症(半身麻痺)が残っている
ことや血管性パーキンソンイズムが疑われていることからしても,X7の
述べる症状が存在したことは明らかである。
なお,本件X7却下処分時点でも,上記の症状を呈していたことは明ら
かであるから,要医療性についても認められる。
(ウ)
循環器疾患(高血圧症,脳梗塞後遺症,虚血性心疾患)
1審被告らは,X7の循環器疾患(高血圧症,脳梗塞後遺症,虚血性心
疾患)は,同年代の者に通常見られる循環器疾患と何ら変わりのないもの
であり,約50年も前の原爆放射線が寄与しているなどと考えることは常識
的にみて困難であると主張する。
しかし,放射線後障害一般として,現に罹患している疾患名で見る限り,
若干の例外を除いて放射線後障害として特有の疾患名はなく,いずれも非
特異性疾患とされるものである。のみならず,放射線後障害と認められる
疾患について,放射線に起因するものであるという特有の症状や所見も現
-158-

在のところ認められていない。そのような原爆症の特徴からして,上記の
ような1審被告らの主張は失当というほかはない。
そして,放影研の最新の疫学調査の結果は,循環器疾患(心疾患,脳卒
中)の死亡率及び高血圧症の発生率と放射線被曝線量との間の線量反応関
係の存在を示しており,被爆年齢が低い群(40歳未満)では循環器疾患全
体の死亡率及び脳卒中(脳出血と脳梗塞を含む)又は心疾患の死亡率は

線量と有意な関係を示し,線量反応曲線は純粋な二次又は線形-しきい値
型を示したという解析結果も報告されている。したがって,これらの最近
の研究結果からすれば,循環器疾患及び高血圧症についての放射線起因性
が明らかになりつつあるというべきである。
(8)
X8

被爆状況
X8(大正15年*月*日生,被爆時19歳)は,陸軍船舶練習部教導連隊四
中隊に属していたが,昭和20年8月6日には分遣隊としてq町国民学校にい
て,原爆の閃光を見た。そして,同日午後8時ころ,q駅に出動して,広島
から送られてきた負傷者を病院に運んだ。
X8は,翌7日の朝,q町から汽車で広島駅に向かい,午前10時ころ,広
島駅東側で列車から降ろされた。そして広島駅前を経由し,路面電車に沿っ
て紙屋町(爆心地より約300m)の交差点を通り,宇品の船舶練習部(爆心
地より約4km)まで約2時間をかけて行進し,宇品で昼食をとった後の午後
3時過ぎに宇品を出発し,朝行進したコースを逆に行進し,紙屋町の交差点
に到着した。その後,八丁(
堀爆心地より約700m)の交差点付近で就寝し,
翌8日から10日まで,八丁堀交差点から紙屋町交差点の間の地域で遺体の焼
却作業を行い,夜も八丁堀交差点付近で泊まった。同月11日には相生橋東詰
南側(ほぼ爆心地)辺りで川に浮かぶ遺体の回収,焼却作業を行い,同日夜
もまた八丁堀交差点付近で宿泊,翌同月12日朝に宇品に戻った。同月13日に
-159-

は宇品の船舶練習部内の遺体の焼却作業をして,同月14日に海路qに戻った。
q町に戻ったころより,X8を含むほとんどの部隊員が激しい下痢を起こ
した。下痢は9月中旬くらいまで続き,部隊員のうち少なくとも1人は脱毛
を起こした末死亡した。また全員が倦怠感を持ち続けた。

急性症状等
X8は被爆するまで全く病気をせず健康であったが,qに戻った直後の昭
和20年8月14日ころから強度の下痢となり,これは10日間から2週間続いた。
また,体がだるく何もできない状態であった。このような状態はX8だけで
なく,q町に戻った他の部隊員も同様の症状を呈した。
激しい下痢は死亡に至るまで断続的に発生し,また疲れやすく体調がすぐ
悪くなる状態も続いていた。

その後の症状の経過等
X8の症状の経過は,イ記載の断続的な下痢,慢性的な疲労感のほか,以
下のとおりである。
(ア)
昭和30年ころ,風邪をこじらせて急性肺炎から肋膜炎となり,1年2
か月入院し,退院後も1年ほど自宅療養をした。また,このころ貧血であ
るとの診断がされ,貧血の薬も以後飲むようになった。
(イ)
昭和32年ころ,健康診断で白血球減少症と診断された。
(ウ)
昭和55年ころ,肝臓が少し悪いと診断された。
(エ)
昭和57年,糖尿病と診断された。
(オ)
昭和59年,右大腿閉塞性動脈硬化症と診断された。
(カ)
平成元年,上記部位バイパス手術
(キ)
平成2年,閉塞性動脈硬化症・狭心症と診断された。
(ク)
平成4年,右大腿動脈血栓除去術
(ケ)
平成6年,腰部脊椎管狭窄と診断された。
(コ)
平成7年,腰部椎弓切除術
-160-

(サ)
平成8年,貧血と診断された。
(シ)
平成9年,大腿動脈狭窄症と診断され,右大腿-膝窩動脈バイパス手

(ス)
平成10年,血管拡大術,血栓除去術。その後たびたび人工血管に閉塞
を起こし入退院を繰り返す。

現在の症状
X8はその後も貧血の投薬治療を続け,また人工血管の閉塞は定期的に
発症していたため,経過観察中であった(近い将来に手術をする可能性も
高かった)ところ,平成19年4月26日死亡した。


放射線起因性の要件該当性
(ア)
放射線の被曝状況
X8は,原爆投下翌日の昭和20年8月7日から同月12日朝まで,爆心地
及びその周辺500m以内のところで遺体の焼却作業をし,爆心地500m付近
で宿泊した。
X8の遺体焼却作業は,素手で瓦礫の中から遺体を取り出し,これを一
か所に運んだ上で,灯油をかけて焼くものであって,遺体に付着したほこ
りがX8の手等に付き,食事のときに素手で手にした握り飯を経由して口
の中に入ったこと,作業中舞い上がるほこりを口及び鼻から吸い込んだこ
とは明らかで,多量の残留放射線,二次放射線及び放射性降下物による内
部被曝を大量に受けたと考えられる。
X8は,同月14日ころから激しい下痢に苦しみ,それが同年9月中旬ま
で続いた。また,倦怠感も長く続いていた。このような症状は,X8と行
動を共にした同じ分遣隊員のほとんどの者が経験しており,放射線被曝の
急性症状であると認められる。1審被告らは集団食中毒の可能性があるか
のように主張するが,X8と同じように原爆投下後入市して,同月12日な
いし同月13日まで救護活動を行った他の部隊でも,同月8日ころから下痢
-161-

患者が多数続出しており,これらは,入市後放射線曝露したことによる急
性症状と考えるより他に合理的説明がつかない。以上の事実からすれば,
X8が内部被曝により下痢,倦怠感等の急性症状を発症したことは明らか
である。
そして,被爆前は健康であったX8が,被爆後極端に体力が落ち,日常
的に体がだるく不定愁訴となり,様々な病気を繰り返してきたのは,原爆
特有の原爆ふらぶら病(慢性原子爆弾症)としかいえないような症状であ
り,原因は,被爆の他に考えられない。X8が罹患した疾病はすべて直接,
間接に放射線の影響を受けている。
(イ)
貧血の放射線起因性
被爆者に生じた貧血症は急性期だけでなく慢性的に認められるものであ
るところ,X8は,被爆後より繰り返す原因不明の貧血に苦しんできた。
放射線によって生じる貧血は,骨髄の障害で発生すると一般的に考えら
れている。骨髄に障害が発生した場合には赤血球のみならず白血球や血小
板,リンパ球などすべての血球成分に異常が生じる。しかし,これらの各
成分の感受性や回復の期間はそれぞれ異なり,赤血球だけが減ったり,白
血球だけが減ったり(あるいは増えたり,それぞれが減って白血球だけ

が回復したりすることもあり得る。
X8には赤血球減少が長期間続いていたが,放射線による骨髄の障害を
原因として,X8の放射線感受性により,このような症状が現れていると
考えられる。他方,放射線被曝以外にX8の長期にわたる貧血の原因は存
在しない。
したがって,X8の貧血は,放射線に起因性するものというべきである。
(ウ)
動脈硬化症疾患の放射線起因性
X8には既往症として動脈硬化性血管閉塞症(認定申請時の医師意見書
に記載)があり,これも本件X8却下処分の取消訴訟の審理対象の疾病に
-162-

当たる。
X8は糖尿病に罹患していたので,動脈硬化性疾患は糖尿病の合併症と
も考えられるが,放射線が血管病変を来すことは認められているところで
あり,放射線被曝が更に動脈硬化性疾患の悪化の要因となったと考えられ,
放射線起因性は認められるべきである。

要医療性の要件該当性
X8は,死亡するまで,貧血,糖尿病の状態は変わらず,投薬治療を続け
ていた。また,大腿動脈閉塞により人工血管を装着していたところ,この人
工血管は度々閉塞を起こしたので,その都度入退院を繰り返しており,死亡
するまで経過観察が必要であった。
よって,X8が死亡するまで貧血,動脈硬化性疾患双方ともに要医療性が
あったことは明らかである。

放射線起因性がないとする1審被告らの主張に対する反論
(ア)
X8の被爆状況について
1審被告らは,放射線治療の線量を論拠にして血管病変が認められる放
射線量は50Gy程度であって,X8がそのような多量の被曝線量を浴びるは
ずがないと主張する。
放射線治療等により血管病変が生じるという結果は,放射線被曝により
血管病変が生じることを表すものであるが,放射線治療による放射線被曝
は外部被曝であるのに対し,X8の被曝は内部被曝であり,内部被曝は放
射性物質が特定の部位に組織沈着し,その局所に集中的に被曝を生じさせ
るものであって,外部被曝と同列に被曝線量を論じることはできない。し
かも放射線治療は,がん組織にのみ放射線を集中的に当てるものであって,
がん組織周辺の健康な組織にはできるだけ当たらないように配慮して行う
ものであるところ,放射線治療における放射線量は,がん組織に当てられ
る放射線量である。したがって,がん組織でない血管が影響を受ける線量
-163-

はこれより格段に弱いものである。それでもがん組織周辺の血管に病変が
生ずるということは,わずかな放射線により血管病変が生ずることを示す
ものといえる。さらに,放射線治療による血管病変は,がん治療後のごく
短期間について調査したものであって,20年,30年という期間を調べたも
のなど存在せず,原爆による放射線被害にそのまま当てはめることはでき
ない。
X8の原爆投下後の行動からして,少なくともX8が血管病変を来す程
度の重大な内部被曝を受けていることは容易に推測できるところである。
(イ)
X8の貧血の原因について
1審被告らはX8の貧血を鉄欠乏性貧血と断じるが,鉄欠乏性貧血は赤
血球の主原料である鉄分が不足することによって起こる貧血である。そし
て,鉄分の欠乏は一般的には食生活での鉄不足,消化器官による鉄吸収率
が悪いこと,慢性的な出血が原因とされる。しかし,X8には食生活で偏
食が見られず,消化器官の吸収が悪いということも医師から指摘されたこ
ともないし,慢性的出血も認められない。なにより,直接X8を診断した
医師は,誰も鉄欠乏性貧血とは診断していない。
1審被告らはX8が骨髄穿刺を受けていないことをもって担当医師が骨
髄障害の疑いを持っていなかったと推測する。しかし,骨髄穿刺は被治者
の身体に多大な負担のかかる検査であって,X8が高齢であることや治療
上のメリットがないこと等を考慮して避けた可能性もある。
また,骨髄の造血能の低下は1血球系のみに限って起こる場合もあり,
赤血球系のみの減少症状であるから骨髄障害ではないと断ずることはでき
ない。
なお,原爆被爆者については,その原因,機序については不明であるが,
貧血有病率が他集団に比べて多く,しかも被爆距離の遠近や入市被曝であ
ることによって貧血発症に差がないことが指摘されている。
-164-

(9)
X9

被爆状況
X9(昭和2年*月*日生,被爆時17歳)は,**から挺身隊として長崎
に出て,C兵器**工場に配属されており,夜勤明けで長崎市d郷(現在の
e町)にあるC兵器e女子寮(爆心地から約2km強)の2階の1室で熟睡し
ていた昭和20年8月9日午前11時2分に被爆した。
被爆の瞬間,木造の同女子寮は一瞬にして倒壊し,X9は建物の下敷きと
なった。奇跡的に外へ這いだしたが,右手の甲には2cm以上もの大きなガラ
ス片が突き刺さり,顎,左膝内側,右手首など全身に無数のガラス片が突き
刺さり,切り傷だらけで血まみれの状態であった。
X9は,C兵器トンネル工場まで歩いて避難したところ,同工場はひどい
火傷や怪我を負った重傷者であふれかえっていた。夕方になって寮まで歩い
て戻ったが,寮は完全に焼け跡となっており,体中焼けただれた寮生たちが
周りに大勢横たわっていた。X9は,焼け出された大勢の被爆者とともに寮
から西方向へと歩き,そこから汽車に乗って諫早方面に向かった。汽車の内
部もすし詰めであり,ひどい怪我や火傷を負った被爆者であふれかえってい
た。相当時間汽車に揺られた後,指示された駅で下車し,そこからトラック
の荷台にすし詰めに状態で乗せられて,山の上にある寺へと運ばれた。寺の
内部も,重症の被爆者であふれかえっていた。
数日後,ようやく軍医がX9の体に刺さったガラス片を取り出し,手当を
受けたが,ガラス片が突き刺さった傷口や傷跡からは多量の膿が出て容易に
止まらず,傷口もなかなかふさがらなかった。
X9は,その寺で終戦まで過ごした。終戦後の同月18日ころ,いったん長
崎市内へと戻り,道ノ尾駅でようやく友人に会い,血まみれの服を着替える
ことができた。
その後,X9は,長崎を出て,徒歩又は汽車で***まで行き,船に乗っ
-165-

て故郷の**へ帰った。

急性症状等
X9は,被爆の数日後に体に突き刺さったガラス片を取り出すなどの手当
を受けたが,その後も傷口は容易にふさがらず,多量の膿が出て止まらない
状態が続いた。また,寺に避難している間,下痢症状が約10日間ほど続いた。
歯茎からの出血も何か月か続いた。そして,被爆前には全く感じたことのな
かった倦怠感を覚えるようになった。

その後の症状の経過等
(ア)
X9は,被爆前は風邪ひとつ引いたことのない健康体であったが,被
爆後は強い倦怠感や疲労感を覚えるようになり,胃の調子も悪くなり,胃
もたれや胃炎を繰り返し,貧血気味の症状もみられるようになった。また,
原因不明の体調不良に苦しめられ続け,病院にかかることが頻繁になった。
X9のこのような症状は,いわゆる原爆ぶらぶら病(慢性原子爆弾症)で
あると診断される。また,X9は,被爆後,体をどこかにぶつけるとすぐ
皮下出血して紫斑が出るようになった。
(イ)
X9は,昭和35~36年ころに両眼の翼状片を患い,手術を受けた。そ
の後,白内障も患い,右眼は手術を受け,左眼も手術の必要があると言わ
れている状況にある。
(ウ)
X9は,骨も弱く,昭和30年代から歯がどんどんすり減り,40歳代前
半で入れ歯となった。
(エ)
X9は,昭和43年ころ以降は,風邪をこじらせては肺炎を起こし,喘
息の発作も起こすようになり,10年ほど前からは,毎年少なくとも1回は
喘息の発作のために入院を余儀なくされている。これらも放射線の影響に
よる免疫機能の低下によるものと判断される。
(オ)
X9は,平成10年秋,

肺がん腺がん)の診断を受け,平成11年2月,
摘出手術を受けた。さらに,平成14年5月ころ,脳に転移している(転移
-166-

性脳腫瘍)との診断を受け,ガンマナイフ放射線治療を受けた。現在も定
期的に検査を受け,厳重な経過観察を行っている。
(カ)
X9は,平成17年2月上旬ころには,背中のひどい痛みに苦しめられ,
ひどい骨粗鬆症であるとの診断を受けた。

現在の症状
X9は,肺がんの手術後,従前にもまして体力が低下し,家の中で少し歩
いただけでも息切れするような状況にある。
また,しばしば重篤な喘息の発作を起こしては,入院を余儀なくされてい
る。平成17年5月にも重篤な発作を起こし,不整脈も出て,1か月近く入院
した。平成19年には,病院の検査で新たに脳梗塞の初期放射線がんが複数見
つかっている。
X9は,現在も全身がだるく,少し体を動かすのも大変な状況にあり,自
らの体調の悪化を感じ,がんの再発に脅えながら日々を過ごしている。

放射線起因性の要件該当性
(ア)
放射線の被曝状況
X9は,爆心地から約2kmの木造家屋内で被爆し,閃光を浴び,直接に
大量の初期放射線を浴びている。
また,X9のその後の行動から,残留放射線に被曝し,又はホコリを吸
い込むなどして内部被曝した。
X9は,被爆直後から下痢,歯茎からの出血,膿が止まらない,全身倦
怠感などの症状を呈しているところ,出血傾向,化膿傾向はかなり白血球
が減少していることを示し,これらはすべて典型的な急性の放射線障害と
判断され,これらのことからX9が相当量の放射線に被曝していることは
明らかである。
(イ)
X9の申請疾病(肺がんと転移性脳腫瘍)の放射線起因性
放射線被曝によって肺がんの発症率が有意に多くなることは,明白にさ
-167-

れており,特に女性の発症の危険性が高い(肺がんの過剰相対リスク男性
0.48,女性1.1。
)女性で,2km以内の近距離被爆群が1.8倍非被爆群より
高率であったとする報告もある。さらに被爆年齢が若いほど放射線の感受
性が高く発病しやすいとされている(X9は17歳で被爆している。。X

9は,喫煙歴も一切なく,また親族の中にもがん罹患者は1人もいない。
なお,X9は,放射線との有意な相関が指摘されている白内障にも罹患
しているうえ,平成19年に入って脳梗塞にも罹患しているところ,脳卒中
についても,被爆者に統計的に有意な増加が指摘されている。
X9が相当量の放射線被曝をしていることは明白であるところ,他原因
は全く存在しないことからも,X9の肺がん及び肺から転移した転移性脳
腫瘍が原爆放射線に起因することは明らかである。

要医療性の要件該当性
X9は,現在もがんの転移の有無についての経過観察中である。
既に肺がんが脳にも転移し,非常に全身も弱っており頻回の通院を余儀な
くされている現状においては,医学的管理が必要不可欠であること,さらに
は被爆者に多重がんが多く,再発の危険性も高いという現状にかんがみて,
将来にわたって長期間の厳重な経過観察を行う必要性が認められる。
よって,要医療性は明らかに認められる。

放射線起因性がないとの1審被告らの主張に対する反論
(ア)
1審被告らは,X9はほとんど被曝していないと主張するが,不合理
なDS86及びDS02に依拠するものにすぎず,X9が被曝した初期放
射線は,1審被告らの主張よりも相当程度多かったというべきである。
また,1審被告らは,爆心地付近に立ち入っていないから誘導放射線に
よる被曝を考慮する必要はないとか西山地区に滞在・居住した事実が認め
られないから放射性降下物による被曝を考慮する必要もないなどと述べ,
誘導放射線や放射性降下物による被曝をほとんど認めようとしないが,こ
-168-

の点の誤りも既に指摘したとおりである。前述した被爆後の行動からも明
らかなとおり,倒壊した建物や重傷の火傷・怪我を負った被爆者等と接触
し,塵埃を吸い込み,あるいは全身に存在していた傷口から体内に取り込
むなどして,残留放射線に被曝し,または誘導放射化した物質を体内に取
り込んで内部被曝したことは,X9に生じた急性症状,その後の健康状態
の悪化,すなわち被爆前と被爆後でその健康状態に質的変化が生じている
事実からしても明らかに認められる。
(イ)
1審被告らは,審査の方針によればX9の肺がんの原因確率が極めて
低いということのみを根拠とし,放射線以外の一般的な肺がんのリスク要
因,加齢の影響,一般的な患者数の増加などを並べて,X9の肺がんは原
爆放射線以外の原因で発症した可能性が高いなどと主張するが,その準拠
する原因確率が不適切であり,それのみを根拠とすること自体が失当であ
る。
(ウ)
1審被告らは,X9の白内障は老人性白内障であり,X9の肺がんに
放射線起因性を認める根拠にはならないとする。
しかし,X9の主治医は,放射線性又は老人性,あるいはその両方が原
因と思われると判断しており,かつ右眼には後嚢下混濁が認められている
のであるから,X9の白内障が放射線に起因するといえることは明らかで
ある。近年の知見に照らしてみれば,X9が白内障に罹患していることは,
X9の肺がんに放射線起因性を認める一つの根拠となることが明らかであ
る。
【1審被告らの主張】

原爆症認定の対象となる疾患
(1)
原爆症認定申請に係る処分の対象
-169-

被爆者援護法に基づいて原爆症認定を受けようとする者は,氏名等の身分事
項のほか,疾病等の名称,被爆時以降における健康状態の概要及び原爆に起因
すると思われる自覚症状があったときは,その医療又は自覚症状の概要等を記
載した認定申請書に,医師の意見書及び当該疾病等に係る検査成績を記載した
書類を添付して申請するものとされており,厚生労働大臣は,その疾病等(申
請疾患)を対象とし,放射線起因性及び要医療性を判断しているのであって,
原爆症認定申請に係る処分の対象となる疾患等は,申請者の申請疾患に限定さ
れる。
(2)
審査会における申請疾患以外の疾病の考慮
厚生労働大臣は,原爆症認定に当たり,医療分科会の意見を求めるものとな
っているところ,その諮問を受けた医療分科会は,申請疾患の放射線起因性及
び要医療性を判断する上で必要な場合は,申請書等に記載された申請疾患以外
の疾病の罹患状況や放射線起因性等を考慮することはあるが,当該申請疾患の
放射線起因性等を判断するのに必要な限りにおいて行われるものであって,申
請疾患以外の疾患を認定対象としているわけではない。
(3)
異議の対象
申請者は,不認定処分等に対して異議を申し立てることができるが,その審
査は,厚生労働大臣の原爆症認定に係る処分を対象にその当否が判断されるた
め,当該異議申立時に判断の対象となる疾病は,原爆症認定時と同様,申請者
の申請疾患に限定される。なお,厚生労働大臣は,異議申立てがされた場合,
実務上,医療分科会に対して再度答申を求めており,医療分科会は,この場合
も申請疾患の放射線起因性等の判断に必要な範囲で,既往症等の申請疾患以外
の疾病について考慮することがあるが,それはあくまで当該申請疾患の放射線
起因性等を判断する限りにおいて行われているものにすぎない。
(4)
原爆症認定疾病に係る医療費の給付
厚生労働大臣の原爆症認定が,申請者の疾病を対象に行うものであることは,
-170-

原爆症認定により与えられる給付の内容からも基礎付けられる。
すなわち,原爆症認定においては,申請者が複数の疾病を申請疾患として申
請した場合,各疾病ごとに原爆症認定がされる必要がある。確かに,医療特別
手当の給付は,複数の疾病が原爆症と認定されても,1つの疾病分の手当しか
支払われないため,疾病ごとに原爆症の認定をする実益がないようにも見える
が,複数の疾病について原爆症と認定された場合,一部について要医療性が消
失したとしても,他の疾病の要医療性がなお残存している場合,医療特別手当
が支給されることとなるのであって,各疾病ごとに原爆症の認定をする実益が
ある。
他方,原爆症と認定された疾病については,医療の給付を受けられるところ,
当該医療給付は,複数の疾病が原爆症と認定された場合であっても,各疾病ご
とに必要な医療が給付されなければならないのであるから,各疾病ごとに原爆
症認定がされる必要がある。

1審原告らの主張する「急性症状」と放射線起因性
1審原告らの各申請疾患の放射線起因性について検討するに当たり,1審原告
らの主張に係る急性症状と放射線起因性について,共通する問題点を指摘する。
(1)
1審原告らが主張する下痢,脱毛,歯齦出血(歯茎からの出血)といった
症状は,様々な原因があり得る非特異的な症状であるから,そのような症状が
発生したからといって,そのことから当然に当該1審原告らが健康被害を起こ
すほどの放射線被曝を受けたことにはならないことはいうまでもない。
(2)
被曝による急性症状としての下痢や脱毛等には,その発症の仕方や経過に
特徴がある。すなわち,被曝による下痢は,腸管の細胞が障害されることによ
って生じる症状であり,5Gy程度以上の被曝をした場合に,まずは前駆症状と
しての下痢が被曝の3~8時間後に起こるとされている。食事とは何ら関係な
く起こり,その後,一定期間の潜伏期を経て,被曝の主症状(消化管障害)と
しての下痢(血便)に至るという特徴がある。また,被曝による脱毛は,毛母
-171-

細胞が放射線によって障害されることによって生じる症状であり,被曝後,少
なくとも1週間過ぎ(8~10日後)から2,3週間続き,見た目にはほぼすべ
ての毛髪が「バサーッ」と脱落したように見え,その後毛母細胞が修復される
ため,8~12週間後には発毛が見られるという特徴がある。
そして,急性症状が生じる被曝線量は最低でも1Gy程度以上とされている。
これらの事実は,国際原子力機関(IAEA)も,チェルノブイリ原発事故
等での被曝事例に基づいて明らかにしているところであり,今日における放射
線医学の常識として広く承認されている。
(3)
1審原告らは,原爆放射線の被曝による急性症状について「しきい値」

があるとしても,その値をどう考えるかについては,さまざまな説があるし,
未だ研究途上の理論なのであるなどと主張するが,科学的医学的根拠を欠く独
自の見解というほかない。

1審原告らの原爆症認定要件該当性
(1)
X1

被爆状況及び推定被曝線量について
(ア)
被爆後の行動
X1は,原爆投下当日の夕刻ころ,爆心地付近の日赤広島支部付近に行
ったと主張するが,原爆投下当日は爆心地付近では火災が生じており立ち
入りは不可能であった。仮に立ち入ったとしてもごく短時間の滞在であっ
たと考えられる。
(イ)
推定被曝線量について

初期放射線による被曝線量の推定
広島の爆心地から1.5㎞地点における原爆の初期放射線による被曝線
量は,0.5Gyにすぎず,X1は,建物(木造2階建)内で被爆したから,
同人の初期放射線による被曝線量は,最大限見ても遮蔽係数0.7を乗じ
た0.35Gyを超えることはない。
-172-

なお,ガラス越しに眼に初期放射線の直撃を受けたことを重視し,屋
外被曝と同程度の被曝線量の被曝をしたと仮定しても,0.4964Gy程度に
しかならない。

残留降下物,誘導放射線等による被曝線量
X1は,広島の己斐・高須地区に滞在・居住した事実はないから放射
性降下物による被曝を考慮する必要はない。仮にX1が原爆投下当日に
爆心地付近に行ったとしても,当時の上記状況からしてごく短時間の滞
在であったと考えられるから,有意な放射線の被曝があったとは考え難
い。また,被爆翌日の7日から12日ころまでの救護活動について,その
場所が爆心地から700m以内か否か,その区域に入ったのが原爆爆発か
ら72時間以内かどうかが明らかではないから,誘導放射線による有意な
被曝をしたとは認められない(仮に,X1が主張するうちで最も爆心地
に近い紙屋町付近〈爆心地から300m〉において救護活動を継続したと
しても,最大限0.04Gyにすぎない。

したがって,誘導放射線及び放射性降下物による被曝を認めることは
できず,仮に最大限考慮したとしても0.04Gyを超えることはない。
なお,X1が放射性物質を体内に取り込んだ可能性が全くないわけで
はないが,その被曝線量は外部被曝線量を超えるものではないし,それ
によって白内障が発症するなどというものではない。
以上よれば,X1の推定被曝線量は,0.35Gyとなり,誘導放射能によ
る被曝を考慮してもその線量は0.04Gy未満であることから,これを合計
しても0.39Gy未満にすぎない。

急性症状について
(ア)
X1は,急性症状を発症するほどの原爆放射線の被曝をしていないか
ら,X1に被曝による急性症状が発症するはずがない。
そして,

X1が生じたと主張する急性症状下痢,脱毛,歯齦出血)は,
-173-

放射線被曝による急性症状と態様が異なり,この面からしても,被曝によ
る急性症状とはいえない。

下痢について
被曝による急性症状としての下痢は,5Gy程度以上の被曝をしている
必要があり,その場合の下痢の発症経緯は前記のとおりであり,X1の
説明とは符合しない。しかも,5Gy程度の被曝をした場合であれば,被
曝後1時間以内に発熱や嘔吐が生じ,白血球や血小板の最低値を示すほ
どの減少を必ず併発していたはずであるが,被爆直後から後のX1の行
動状況からして,そのような放射線被曝をしたと見ることは困難である。

脱毛について
X1は,昭和20年8月終わりころから脱毛が生じ,同年9月に実家に
帰って寝込んでいたところ,櫛で髪をといてもらうと髪が大量に抜ける
ようになり,脱毛は同月一杯ころまで続いた旨供述しているが,被曝に
よる脱毛が生じるしきい値である3Gy程度の被曝をしていれば,被曝後,
少なくとも1週間過ぎから2,3週間続き「バサーッ」と脱落したよう
に見える脱毛が生じるはずであり,X1の供述する脱毛の発症時期及び
症状と整合しない。
X1の脱毛は,自然脱毛や栄養障害や代謝障害による脱毛や精神的ス
トレスによる脱毛であると考えるのが自然である。

歯齦出血について
X1に生じたという歯茎からの出血(歯齦出血)は,被曝による骨髄
障害(血小板減少)による出血傾向の症状を指すのか,口腔粘膜の障害
を指すのか,明らかではないが,出血が歯茎に限定されており,痛みや
潰瘍を伴っていないため,口腔粘膜の障害とは考え難い。仮に骨髄障害
によるものとすれば,被曝から3週間程度経過した後に発症するとされ
ており,昭和20年8月15日から出血傾向が見られたというのは不自然で
-174-

ある。
X1は,固いものを食べたり歯を食いしばったりしたときや風邪を引
いたときにも出血し,総入れ歯になる昭和40年ころまでずっと続いたと
いうのであり,歯周疾患が原因と見るのが医学的な常識にかなった判断
である。

申請疾患(右眼球癆)について
眼球癆は,毛様体炎が強いと毛様体の房水産生が低下して低眼圧になり,
それが高度となって眼球が縮小して生じるものであって,主たる成因は炎症
であるとされ,放射線起因性を認めるに足る知見はない。
なお,X1の場合,左眼に糖尿病性網膜症も指摘されているところ,糖尿
病のような全身疾患の合併症が片側だけに起こるとは考え難いことから,右
眼にも糖尿病性網膜症があり,同疾病による組織障害が眼球癆を惹起した可
能性も考えられる。

左白内障について
認定申請書添付の意見書には,左白内障,左糖尿病性網膜症,両涙液分泌
減少症も挙げられている。両涙液分泌減少症については,放射線によって引
き起こされる障害であることを示唆する科学的知見はない。以下,左白内障
の放射線起因性について検討する。
(ア)
白内障の有力原因である加齢
白内障とは,眼の水晶体が混濁した状態をいう。その混濁は,蛋白の編
成,線維の膨張や破壊によるもので,先天性と後天性のものがある。後天
性の白内障は,原因別に老人性,外傷性,併発性,糖尿病性,放射線性,
内分泌異常性,薬物・毒物性などが知られているが,そのうち,最も多い
のは,加齢による老人性白内障である。老人性白内障の初発年齢は,早い
人で40歳代からみられ,60歳代では約70%,70歳代では約90%,80歳代で
はほぼ100%の人にみられる。
-175-

したがって,戦後60年が経過した今日における白内障の原爆症認定の判
断に当たっては,申請者と同年代のほとんどの者が程度の差こそあれ,白
内障に罹患していることを前提とし,検討されなければならない。
(イ)
放射線白内障の特徴
水晶体全体を包んでいる袋(嚢)の内側には前側に透明な細胞の層があ
る(上皮細胞。この層は,水晶体の

縁(赤道部)で細胞が分裂し,中央
部に向かってゆっくりと動くことにより,水晶体の機能を保っているが,
放射線は,分裂している細胞に特に傷を与えやすいため,赤道部で細胞に
異常が生じ,そのような細胞が水晶体の後方にまわって,中央部に集まる。
それらの変性した細胞は,光の直進を妨げるためにごりとなる。これが,
放射線白内障の特徴であり,老人性白内障とは異なり,多くは進展せず,
視力障害を生じることは少ない。
原爆による放射線白内障は,確定的影響の疾病であって,原爆被爆者の
疫学調査の結果に基づき,しきい値は1.75Sv(ガンマ線で換算すると,1.
75Gy。95%信頼区間は1.31~2.21Sv)とされており,放射線被曝をしてか
ら,数か月から数年後までに発症するというのが,今日における放射線医
学の常識とされている。
そして,放射線白内障と診断するためには,①
後極部後嚢下にあって
色閃光を呈する限局性の混濁,もしくは後極部後嚢下よりも前方にある点
状ないし塊状混濁のいずれかの水晶体混濁が認められること,②
近距離
直接被曝歴があること,③
併発白内障を起こす可能性のある眼疾患がな
いこと,④
原爆以外の電離放射線の相当量を受けていないこと,の4条
件が揃うことが必要とされており,特に①の水晶体混濁が認められること
が肝要である(人体影響1992。

(ウ)
X1の左白内障の原因について
X1の左白内障は,同年代の者に通常見られる老人性白内障あるいは糖
-176-

尿病性白内障と何ら変わりがない。

調査嘱託〈F病院〉回答によれば,X1は,初診時(平成8年6月10
日)に「左初期白内障」と診断されており,水晶体所見は,混濁が周辺
部(水晶体皮質)に認められているが,中心部(後嚢下)に混濁を示す
所見は認められておらず,皮質混濁とともに後嚢下混濁の所見が記載さ
れている。その後,X1にはカリーユニ点眼薬による治療が平成15年9
月10日まで行われている。
後嚢下混濁に皮質混濁が先行あるいは合併することは,老人性白内障
が進行した所見若しくは糖尿病性白内障の典型的な所見であり,上記点
眼薬は,初期老人性白内障に適応がある治療薬であって,放射線白内障
には用いられない。
これによれば,X1の左白内障は平成6年ころ,すなわち,被爆後約
50年も経過した後,67歳前後で発症したものと見るべきであるところ,
その年代の者であれば,白内障に罹患していない者の方が少ないのであ
って,加齢により発症したものと見るのが自然である。そして,水晶体
所見及び治療薬からして,老人性白内障であることは明らかである。

一方,X1の糖尿病は,昭和40年ころに医師から可能性を指摘されて
いたもので,F病院の初診時の平成8年6月10日には,既に眼底出血を
来たし,単純型糖尿病性網膜症と診断されている上,平成10年3月には
前増殖期糖尿病性網膜症と診断され,既に入院による血糖コントロール
が必要なほどに進行しており,そのころ,糖尿病性網膜症に対するレー
ザー治療も受けていた(調査嘱託〈F病院〉回答。このような臨床経

過からして,X1が糖尿病を発症していたのは,遅くとも昭和60年ころ
と見るのが自然である。
X1は,それから9年以上が経過した平成6年ころ,左白内障を発症
したものであるところ,糖尿病者は,非糖尿病者より有意に白内障を発
-177-

症しやすいとされている。そして,糖尿病性白内障の典型的病型は,皮
質白内障と後嚢下白内障若しくはそれらに核白内障を含む混合型である
ところ,X1には皮質混濁とともに後嚢下混濁の所見が記載されている
から,これは糖尿病性白内障の典型的な所見ともみることができる。
また,白内障は,血糖レベル及び糖化ヘモグロビン量(HbA1c)が高
いほど発症しやすく,60歳以下の場合,糖尿病による皮質白内障がより
顕著に出現するとされているところ,X1については,内服薬でコント
ロール不良(HbA1c9.3)とされており,X1は,糖尿病による皮質白内
障を顕著に発症しやすい状態にあった。
これらに照らし,X1の左白内障は,糖尿病性白内障と考えることも
できる。
(エ)
放射線白内障の否定
放射線白内障と診断されるためには,上記(イ)の4条件が揃うことが必
要であるところ,X1の場合,④については不明であるが,①ないし③は
すべて否定できる。また,視力障害を来すほどの放射線白内障は,通常,
放射線被曝をしてから数か月から数年後までの短期間に発症するとされて
いるところ,X1が左白内障を発症したのは,被爆後約50年も経過した時
期である。しかも,X1の被曝線量は,原爆放射線白内障のしきい値を大
きく下回っている。
したがって,X1の左白内障は,放射線白内障ではない。
(オ)
X1の主張に対する反論

X1は,白内障であることが立証されれば,いずれの所見かを鑑別す
るまでもなく,放射線起因性が認められるかのような主張をするが,放
射線が糖尿病性白内障の発症率を高めるなどとする科学的知見は全くな
いし,老人性白内障の発症に放射線被曝が寄与し得るとの知見なども存
在しない。
-178-


また,X1は,老人性白内障に放射線との有意なリスクがあるとか,
放射線被曝と白内障発症との間にはしきい値が存在しないなどと主張す
るようであるが,原爆の放射線に被曝したことが,その後数十年を経過
し,既にごく一般的に白内障が認められる年代となった被爆者にみられ
る老人性白内障の発症を早める要因となるとは考え難い。
さらに,白内障のしきい値についてのX1の主張が放射線学の常識に
反することは既に述べたとおりである。

結論
以上のように,X1の申請疾患である右眼球癆には,放射線起因性を見い
だすことはできず,それに伴う要医療性も認められない。
仮に左白内障等が申請疾患に含まれていたとしても,X1の左白内障は,
同年代の者に通常見られる老人性白内障あるいは糖尿病性白内障と何ら変わ
りのないものであり,それらの発症に放射線被曝が寄与し得るとの確立した
科学的知見は存しない上,X1は多量の原爆放射線による被曝もしておらず,
X1が発症したという被曝による急性症状と称する諸症状が被曝による急性
症状であると見るべき医学的根拠もないことにも照らせば,X1の左白内障
に,放射線起因性は認められないというべきである。
したがって,X1の原爆症認定申請を却下した処分に誤りはない。
(2)
X2

推定被曝線量について
(ア)
初期放射線による被曝線量
長崎の爆心地から3.3km地点における原爆の初期放射線による被曝線量
は,最大限見ても0.003Gyを超えることはなく,これは,通常のCTX線
検査1回分の被曝線量にも満たないものであって,ほとんど0Gyに等しい。
まして,X2は,木造家屋内で被爆したのであるから,同人は,原爆の初
期放射線に被曝していないといっても過言ではない。
-179-

(イ)
放射性降下物等による被曝線量
X2の主張によっても,X2は,原爆投下直後に爆心地付近に立ち入っ
ていないのであるから,誘導放射線による被曝を考慮する必要はない。
X2が原爆投下の翌月から西山地区内に存した女学校に通ったことをと
らえ,西山地区に爆発1時間後から無限時間とどまり続けるといった現実
にはあり得ない想定をした場合でも,原爆投下の翌月から西山地区内に就
学時に滞在したにすぎないX2の被曝線量は,これより相当程度少ないも
のであることは明らかである。
X2は,爆心地から近距離で被曝した者と接したと主張するところ,人
体を構成する物質には放射化される元素は元々極めて微量(体重1kg当た
りの含有量はアルミ

ニウムが0.857mgナ
,トリウムが1.5gマンガ

ンが1.
43mg,鉄が86mg)しか存在しないし,放射化を起こす中性子は体重の60%
以上を占める水分が吸収するため,体表面に近い部位に存在するこれらの
元素のごく一部が放射化されるにすぎない。さらに放射化された元素の半
減期は短いので,被救護者の人体が有意な放射線源となることはない。
また,X2が接した被爆者が西山地区において放射性降下物を浴びたこ
とがあったとしても,西山地区において,降り注いだ放射性物質を含んだ
地面から受ける被曝線量(積算線量)は最大限見積もったとしても0.18~
0.24Gyにすぎず,降り注いだ放射性物質の量自体ごくわずかなものであり,
その一部が被爆者の衣服や身体に付着した可能性は否定できないとして
も,その量自体は更に限られたものであって,当然,上記積算線量を超え
ることなどあり得ない。しかも,付着した放射性物質はしばらくすれば,
被爆者の身体からは脱落することも明らかであり,X2の身体に放射性物
質が付着したとしても,所詮一時的なものにすぎないから,その被曝線量
は,無視し得る程度のものであった。したがって,ごく微量の放射性降下
物であるにもかかわらず,これが体内に取り込まれたことによる内部被曝
-180-

の影響を殊更に過大視するのは問題であって,外部被曝であろうと内部被
曝であろうと,全身や組織,臓器が受ける放射線の量が同じであれば,人
体影響に差異はない。問題は,要するに被曝線量の多寡であり,内部被曝
であることのみから危険性が高まるというものではない。放射性核種を投
与して,これを診断に役立てている現代の核医学も,このような常識に基
づくものである。
そもそも,内部被曝で甲状腺に何らかの異常が起こったのだとすれば,
それは,取り込んだ放射性物質の中に,甲状腺に特異的に集積するような
核種(放射性ヨウ素)が相当量含まれていたということになるが,原爆被
爆者においてそのような事実はない。
なお,長崎の浦上川には放射性降下物が混入したと考えられるが,その
水を大量に飲んだとしても,その影響は,自然放射線による被曝の影響よ
りもはるかに低いことも明らかになっている。
以上,要するに,内部被曝によってあらゆる健康障害が起こると考える
のは,被曝による健康影響についての理解を根本的に誤ったものであって
失当である。

申請疾患について
X2の申請疾患は甲状腺機能低下症のみであり,認定申請時に提出された
いかなる書面においても乳がんの既往に関する記載が一切ない以上,認定申
請時に乳がんを考慮する余地はなく,本件取消訴訟は本件X2却下処分に対
するものであるから,本件訴訟において乳がんの放射線起因性を検討する必
要はない。

X2の甲状腺機能低下症の放射線起因性について
(ア)
甲状腺機能低下症と被曝線量
甲状腺機能低下症と放射線との関連性については,もともと,甲状腺上
皮の放射線感受性は他の組織や臓器に比べてかなり低く,甲状腺自体が低
-181-

線量の放射線被曝で機能低下や機能障害を来さない器官であることを留意
すべきである。すなわち,医療被曝では,一般に30Gy程度以上の甲状腺被
曝で甲状腺機能低下症のリスクが明らかに高く,3~13Gy程度で3.8~35
%の甲状腺機能低下症の発症が報告されているが,3Gy程度以下の被曝線
量で甲状腺機能低下症が起こったという報告はなく,甲状腺機能低下症と
低線量の原爆放射線被曝との関連性は,これを否定するのが今日における
放射線学の常識である。
ちなみに,被曝による甲状腺機能低下症は確定的影響であり,医療用放
射線による高線量の頭頚部被曝は甲状腺機能低下症の原因となることが明
らかとなっているが,これはあくまでも頭頚部の局所被曝の場合をいうも
のにすぎない。仮にこのような高線量の放射線を全身に被曝した場合,生
存は困難である。
(イ)
調査嘱託〈K病院〉回答について
上記回答には「甲状腺機能低下と被曝との因果関係が示唆される



との結論的意見が記載されているが,根拠は示されておらず,不明である。
ほかに,同回答添付の検査結果等を見ても,X2の甲状腺機能低下症が原
爆放射線に起因して発症したことを裏付けるものは何ら見当たらない。
(ウ)
X2の既往症(白内障,乳ガン)と甲状腺機能低下症との関係

白内障について
高齢(被爆後55年後,71歳)で発症したX2の白内障は,発症時期,
しきい値を超えない低線量被曝しかあり得ないこと,高齢者の白内障発
症率等からして,老人性白内障であることは明らかである。老人性白内
障に放射線被曝が寄与し得るとの知見など存在しないし,内部被曝によ
って水晶体が被曝することもあり得ない。
調査嘱託〈K病院〉回答によれば,初診時(平成13年6月1日)に後嚢
下混濁が認められているが,軽度であり,視力障害を訴えた時期や水晶
-182-

体混濁の程度等からみて,老人性白内障が進行し後嚢下に混濁を生じ始
めたことによって視力障害が出現したものというべきである。なお,後
嚢下混濁自体は,進行した老人性白内障の所見としても見られる典型的
な症状である。
したがって,X2の白内障をもって,原爆放射線による被曝との関係
が一般的に疑われる疾病を発症しているとし,X2の申請疾病の放射線
起因性を認定する根拠とすることはできない。

乳がんについて
そもそも,乳がんは,被爆者であろうとなかろうと,生涯を通じて女
性30人に1人の割合で発症する疾病であるから,被曝線量の多寡がその
放射線起因性を判断するメルクマールになるのであって,単に乳がんを
発症したというだけでは,その者の乳がんが原爆放射線による被曝に起
因するものと判断することなどできない。また,甲状腺に蓄積して甲状
腺障害の原因となるのはヨード131であるところ,このヨード131の体内
への取り込みにより乳がんが増加するということもない。

小括
以上の次第であるから,X2の既往症(白内障,乳がん)の存在は,
X2の甲状腺機能低下症の放射線起因性を認める根拠とはなり得ない。

健康状態の質的変化と甲状腺機能低下症の放射線起因性について
X2は,被爆者健康手帳交付申請時にも原爆症認定申請時にも急性症状は
訴えておらず,異議申立書で初めて「疲労

」「発熱

」「
,頭痛」等を急性症
状として記載し,その後「体の何ともいえないだるさ」を加えている。しか
し,これらの具体的症状は不明確である上,X2は,被爆前から勤務工場の
診療医から静養を指示され,被爆時も床に伏していたというのであって,原
爆投下後に倦怠感があったとしても,それを原爆の放射線によるものである
と認める根拠はなく,X2が被爆前後でその健康状態に質的な変化があった
-183-

とはいえない。
なお「体のだるさ」といった倦怠感については,主観的であり,疲労,

精神的ストレス等,放射線以外の要因によっても起こり得るものである。被
曝による急性症状として見られる発熱に起因して「倦怠感」が生じることが
あるとしても,それにはしきい値があるところ,X2は急性症状を発症する
ほどの原爆放射線の被曝をしていないから,X2が被曝による急性症状を発
症するはずもない。また,放射線被曝が原因で生じる倦怠感が長期間持続す
ることはないから,現在まで継続しているという症状とは相容れない。
原爆被爆者の間に,被爆後長年にわたって「倦怠感」等の様々な症状が見
られることもあるが,これは,PTSDなどの心因的な症状とみるべきであ
る。
したがって,被曝の影響によってX2の健康状態に質的な変化が見られた
ということはできないから,このような症状が見られたことを理由としてX
2の申請疾病である甲状腺機能低下症に放射線起因性を認めることはできな
い。

結論
以上のとおり,X2は,原爆の放射線にほとんど被曝していないのであり,
また,そもそも,X2の申請疾患である甲状腺機能低下症の発症に原爆の放
射線による被曝が寄与するとの知見はないし,原爆の放射線により惹起した
ことを認めるに足りる証拠はない。
したがって,X2の甲状腺機能低下症に,放射線起因性は認められず,申
請疾患に関する原爆症認定申請を却下した処分に誤りはない。
(3)
X3

被爆状況と被曝線量の推定について
(ア)
被爆地点について
X3の被爆地点は明確でないところ,X3自身,被爆者健康手帳交付申
-184-

請においては,爆心地よりの距離を3.0kmと申告しており,X3は,爆心
地から約3kmの自宅近辺で被爆したと推定される。
(イ)
被爆後の行動について
X3は,被爆後に自宅に戻っており,その後爆心地付近に進入した事実
はない。なお,X3は,火傷の治療のため,病院代わりとなっていた己斐
小学校に油薬をもらいに行っていたと主張するところ,薬をもらうだけで
自宅に戻っていた上,通院の頻度や回数については明らかではなく,己斐
地区での滞在時間は短時間であったと推定される。
(ウ)
推定被曝線量について
広島に投下された原爆の初期放射線による被曝線量は,爆心地から2.5k
m以遠ではほとんどないものとされており,また,X3は爆心地付近には
立ち入っていないから誘導放射線による被曝の影響を考慮する必要はな
い。なお,X3は,一応放射性降下物による被曝の影響が問題となり得る
己斐地区に立ち入っているが,爆発1時間後から己斐・高須地区に無限時
間とどまり続けるといった現実にはあり得ない想定をした場合でも,その
積算線量は0.006~0.02Gyにすぎないうえ,原爆投下の翌日,治療のため
に短時間己斐地区に滞在しただけのX3の放射線降下物による被曝線量は
極めて僅かなことは明らかであって,有意な被曝線量はほとんどないと推
定することができる。

急性症状について
(ア)
X3が主張する被爆後の急性症状(歯茎からの出血,吐き気,めまい
感,全身倦怠感)については,X3の供述のみであって,医証が存在せず,
客観性に欠けるばかりか,X3の供述によっても各症状の発現時期があい
まいである。被曝による急性症状には,しきい値があるところ,X3は,
急性症状を発症するほどの原爆放射線の被曝をしていないから,被曝によ
る急性症状を発症するはずがない。
-185-

(イ)
「歯茎からの出血」が被曝による骨髄障害(血小板減少)による出血
傾向の症状を指しているとすると,被曝直後ではあり得ないから,X3の
主張する状況と合致しないし,被曝の急性障害としての骨髄障害は一時的
なものであって,数か月後には回復するか,被曝線量が高い場合には回復
せずに死に至るから,小学校,中学校時代までときどき繰り返したという
のであれば,被曝による急性症状とはいい難い。それに引き続き歯が抜け
ていることからすれば,単なる歯周炎,歯槽膿漏の症状とみるべきである。
(ウ)
「吐き気,めまい」については,これが被曝による急性症状の前駆期
としての症状であれば,被曝後数時間以内に現れるはずであるから「被

曝して数日後から」発症したというX3の供述とは合致しない。
(エ)
「体のだるさ」などは,原爆以外の大規模災害の被災者などにおいて
も被災後に起こり得る心因的な症状として合理的に理解できるし,そのよ
うな症状があったからといって,放射線被曝に起因するものであると推認
することはできないし,まして高い線量の被曝をしたなどと推認できるも
のでもない。むしろ,放射線被曝が原因で生じる倦怠感は長期間持続する
ことはないから,倦怠感が長期間継続したのであれば,その原因から放射
線被曝は積極的に除外すべきものである。
(オ)
このように,X3が発症したという被曝による急性症状と称する諸症
状は,被曝による急性症状としての所見に合致せず,被曝による急性症状
であると見るべき根拠はない。また,X3に健康状態の質的な変化がみら
れたことを,被曝の影響によるものとする根拠もない。そうである以上,
X3に生じたとされるこれらの症状を根拠として,X3の申請疾病(胃が
ん)に放射線起因性を認めることはできない。

申請疾患について
(ア)
申請疾患の発生機序と病態について
X3の申請疾患である胃がんは,放射線に被曝していない場合でも生じ
-186-

ることがよく知られた悪性腫瘍であり,原爆放射線との関連性はもともと
希薄である。胃がんの発生原因は,様々な要因が考えられるが,現時点の
医学的知見では確実に特定できてはいない。
(イ)
X3の申請疾患の診断と治療について
胃がんが放射線によって引き起こされる可能性は否定できず,確率的影
響があるとされている。そのため,審査の方針では,がんについて,放影
研が広島及び長崎の被爆者の線量推定値を基礎に疫学的手法を用いて算出
したリスク推定値を基に,原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると
考えられる原因確率を算定し,これを目安として,放射線起因性の判断を
することとした。
しかるところ,放影研が実施した上記疫学調査の結果によって,線量が
少なければそれだけリスクも低減することが明らかにされており,原因確
率が低くなれば,当該がんが他原因で発症した可能性が高まるところ,が
んの原因は,放射線に限らず,加齢や飲食・喫煙等様々な要因があり,そ
の影響の方が放射線よりもはるかに大きいから,がんに放射線起因性があ
るとして,原爆症認定を受けようとする者は,がんがそれによって発症し
たと認められるほどの放射線被曝をしたことを主張立証しなければならな
い。
そして,X3の胃がんの原因確率を求めると,X3の被曝線量は,0.00
2Gyにすぎないから,原因確率は0.3%にすぎず,ほとんど0%に等しい。
これは,原爆放射線以外の原因により発症した可能性が99.7%もあるとい
うことである。要するに,この程度の放射線被曝では,胃がんが発症する
リスクは極めて低く,これを原因として胃がんになる人はいないといって
も過言ではない。
ところで,X3は,65歳ころに胃がんに罹患したものであるが,喫煙
が胃がんのリスクを高めることは,多くのコホート研究でも一致して示さ
-187-

れ,確立したリスク要因とされているほか,食塩及び高塩分食品が胃がん
のリスクを高めることもおそらく確実とされており,さらに,胃粘膜に住
み着く細菌として知られるヘリコバクター・ピロリの持続感染も,確立し
た胃がんのリスク要因とされている。上記事実やX3の胃がんの原因確率
に照らしたとき,X3の胃がんがこうした原爆放射線以外の原因で発症し
た可能性が高いといわざるを得ない。
以上を総合すれば,X3の胃がんは,他原因に起因して発症したものと
みるのが自然であり,このような胃がんの発症に,50年以上も前のごくわ
ずかな原爆放射線が寄与していると認めることはできない。

X3の胃がんの放射線起因性と既往症(脳内出血)の関係
X3は脳内出血を発症させている(平成15年11月手術)が,脳内出血を含
む脳卒中による死亡率については,その調査の全期間において,原爆放射線
による被曝との有意な関係を示した資料はないから,X3が上記疾病に罹患
したことをもって,X3の胃がんに放射線が寄与したと見ることはできない。

結論
以上のように,X3の申請疾患である胃がんに原爆の放射線による起因性
は見い出せず,X3の胃がんが原爆の放射線により惹起したことを認めるに
足りる証拠もない。したがって,X3の申請疾患に関する原爆症認定申請を
却下した処分に誤りはない。
(4)
X4

被爆状況と被曝線量の推定
(ア)
被爆地点について
X4は,爆心地から1.75km地点で被爆したと主張するが,客観的な根拠
に乏しいし,原爆症認定申請時には1.9kmとして申請している。
X4の主張を最大限考慮しても,地図から見て,約1.8kmと評価し得る
にとどまるから,被爆地点は,1.8~1.9kmとするのが相当である。
-188-

(イ)
被爆後の行動について
X4の被爆後の行動については,判然としない点があるが,X4が主張
のとおり行動していたとしても,最も爆心地に近い地点でも爆心地から10
00m以上離れている。
(ウ)
推定被曝線量について
審査の方針別表9によれば,X4が被爆した地点が爆心地から1900mで
あれば0.1Gy,1800mであれば0.15Gyと推定できる。なお,誘導放射線に
よる被曝については,X4の主張によっても爆心地から700m以内の地域
に立ち入っていないのであるから,これを考慮する必要はないし,広島の
己斐・高須地区に滞在・居住した事実も認められないから,放射性降下物
による被曝を考慮する必要はない。したがって,X4の原爆放射線による
被曝線量は,最大限見積もっても0.1~0.15Gyにすぎない。

急性症状について
X4は,急性症状として,下痢,嘔吐,鼻出血,脱毛等があり,また,体
調不良が長期間継続し,そのため大学で1年留年したり,就職後も何度も転
職したと主張する。
しかし,これまでに述べたのと同様に,被曝による急性症状には,しきい
値があり,X4は急性症状を発症するほどの原爆放射線の被曝をしていない
から,X4が被曝による急性症状を発症するはずがない。また,X4が発症
したという脱毛,鼻血,下痢等の症状は,被曝による急性症状としての所見
に合致せず,被曝による急性症状であると見るべき根拠はない。また,X4
の健康状態に質的な変化がみられたことを,被曝の影響によるものとする根
拠もない。
そうである以上,X4に生じたとされるこれらの症状を根拠として,X4
の申請疾病に放射線起因性を認めることはできない。

申請疾患について
-189-

(ア)
申請疾患
X4の申請疾患は,右2指有棘細胞がんと右2指の末節部の切断術とさ
れているが,右2指の末節部の切断術は,手術方法の名称であり,疾病名
でも診断名でもない。
(イ)
X4の申請疾患の原因確率
皮膚がんの発生要因については,いまだ科学的に解明されていない。も
っとも,皮膚がんは,がんの一種である以上,現在の科学的知見を前提と
すると,放射線被曝後の確率的影響による疾病に当たるため,放射線被曝
によって発生する可能性を排除することはできないが,放射線で発症する
確率が被曝線量の高低によって増減する関係にあると考えられている。認
定審査会においては,皮膚がんの放射線起因性を判断する要素として,審
査の方針別表7-1又は7-2を適用して,原因確率を算定し,当該疾病の
放射線起因性の判断の参考にしている。
これによると,X4の被曝線量は,0.1~0.15Gyであるから,がんの原
因確率は5.4~7.9%にすぎない。これは,原爆放射線以外の原因により発
症した可能性が94.6~92.1%あるということである。そうすると,この程
度の放射線被曝では,右2指有棘細胞がんが発症するリスクは極めて低い
というべきである。
なお,X4は,熱傷後のケロイドから発生した有棘細胞がん(扁平上皮
がん)であることを理由に原爆放射線に起因すると考えられる旨主張する
が,臨床的にケロイドと鑑別できるような腫瘤の形成を示す所見は見当た
らず,X4自身,指についてケロイドが残らなかったことを自認している。
したがって,X4の皮膚がんの発生部位にケロイドが存在していたとはい
えないのであって,上記主張は根拠がない。
(ウ)
X4の右2指有棘細胞がんの発症原因
X4は,70歳で右2指有棘細胞がんに罹患したものであるが,有棘細胞
-190-

がんの罹患率は,1.7対1で男性に多く,加齢とともに増加し,70歳以上
がおよそ60%を占めている。したがって,X4の上記がんに加齢が寄与し
ていることは明らかである。
また,X4の上記がんは,日光の当たりやすい右手の指に生じたがんで
あるところ,有棘細胞がんの誘因として一番に考えられるのは紫外線の関
与である。有棘細胞がんは,短期間に大量の紫外線を浴びるのはもちろん,
子供のころからの蓄積の影響でも発生するため,人口の高齢化に伴って,
顔や首,手の甲など日光の当たる部分の有棘細胞がんが増えている。した
がって,X4の上記がんに紫外線が寄与している可能性も高い。
さらに,火傷や外傷の瘢痕は,有棘細胞がんの発生母地の一つであると
ころ,X4は,原爆の熱線により右手の指にひどい火傷を負い,その瘢痕
部分に上記がんを発症したというのであるから,原爆の熱線による火傷や
外傷の瘢痕が原因で発生した可能性も高い。
(エ)
小括
以上のとおり,X4の右2指有棘細胞がんは,加齢,紫外線,火傷,外
傷といった原爆の放射線以外の原因で発症したものと考えるのが自然であ
る。

結論
以上のとおり,X4は原爆放射線による被曝をほとんどしていないのであ
るから,被爆後約50年後も経過した後の70歳になって発症したというX4の
右2指有棘細胞がんに原爆の放射線による起因性を見い出せず,X4の申請
疾患が原爆の放射線により惹起したことを認めるに足りる証拠もない。
したがって,X4の申請疾患に関する原爆症認定申請を却下した処分に誤
りはない。
(5)
X5

被爆状況と被曝線量の推定
-191-

(ア)
被爆時点及び被爆後の行動について
X5が被爆した県立j中学校の校庭から爆心地までの距離は約2㎞であ
る。また,X5の主張によっても,X5は,被爆後,己斐・高須地区に滞
在・居住した事実はない。
(イ)
放射性降下物等による被爆の有無
X5は,己斐・高須地区に滞在・居住した事実はないから,放射性降下
物による被曝を考慮する必要はない。また,X5が爆心地付近に立ち入っ
たのは原爆投下4日後に爆心地付近で一休みしたのみであり,原爆爆発か
ら72時間以内に爆心地から700m以内の区域に立ち入った事実はないから,
誘導放射線による有意な被曝をしたとは認められない。
(ウ)
X5の被爆後の行動からX5が放射性物質を体内に取り込んだ可能性
は全くないわけではないが,その被曝線量は,己斐・高須地区に無限時間
とどまり続けたことを想定した外部被曝線量(0.006~0.02Gy)を超える
ものではなく,無視し得るものであることは明らかであり,それによって
喉頭腫瘍が発症する可能性が高まるなどというものではない。そうとすれ
ば,X5の推定被曝線量は,爆心地から2㎞地点における初期放射線量に
よる被曝線量である0.07Gyにすぎない。

急性症状について
被曝による急性症状には,しきい値があり,X5は急性症状を発症するほ
どの原爆放射線の被曝をしていないから,X5が被曝による急性症状を発症
するはずがない。また,X5の主張する急性症状(下痢,歯茎からの出血,
倦怠感等)は,先に述べたとおり,発現時期や態様等が被曝による急性症状
としての所見に合致せず,被曝による急性症状であると見るべき根拠はない。
そうである以上,X5に生じたとされるこれらの症状を根拠として,X5
の申請疾病に放射線起因性を認めることはできない。

申請疾患について
-192-

(ア)
申請疾患の原因確率
X5の申請疾患である喉頭腫瘍の発生要因については,いまだ科学的に
解明されていないが,放射線被曝後の確率的影響による疾病であると考え
られるから,推定被曝線量を0.07Gyとして,審査の方針別表2-1を用い
て原因確率を算出すると0.5%となる。この程度の放射線被曝では,喉頭
腫瘍が発症するリスクは極めて低く,これを原因として喉頭腫瘍になる人
はいないといっても過言ではない。
(イ)
喉頭腫瘍と喫煙との関係
X5は,喉頭腫瘍と診断された平成10年時点で40年間にわたり1日30本
もの喫煙歴を有し,10年間にわたり1日2合(ビールで大ビン2本)のア
ルコールを飲み続けた飲酒歴も有しているところ,一般に,男性の喉頭腫
瘍については,その原因のほとんどは喫煙であるといっても過言ではなく,
原因確率に相当する寄与リスクは96%にもなる。また,喉頭腫瘍の罹患率
は,男性では50歳代から80歳代まで急激に増加し,罹患率,死亡率は,と
もに男性が女性の10倍以上高いとされている。
これらの事実からすれば,65歳になって発症したX5の喉頭腫瘍は,喫
煙や飲酒等の生活習慣によって発症したものとみるのが極めて常識的な判
断というべきである。
(ウ)
小括
以上のとおり,X5の喉頭腫瘍は,喫煙等に起因して発症したものと考
えるのが自然であり,これを50年以上も前のごくわずかな原爆放射線に起
因するものであると認めることはできない。

既往症(肝機能障害)と喉頭腫瘍の放射線起因性
X5は,平成10年6月から平成16年10月までの間,複数回にわたり,肝機
能検査を受けているが,最後の検査を除き,いずれも基準値内で全く異常が
ないか,γ-GTPがわずかに高値となっているものにすぎない(γ-GT
-193-

Pが微増微減はアルコールの摂取量の増減に呼応しているものと見るのが自
然である。。少なくともX5は,上記期間

中,肝機能障害について継続的
に治療を受けていた事実は窺われない。仮に脂肪肝による軽度の肝機能障害
が以前からあったとしても,飲酒の影響によるものであり,それが,X5の
喉頭腫瘍に放射線起因性を認める根拠とはなり得ない。

申請疾患以外の疾病や所見について
X5は,認定申請時は喉頭腫瘍だけを申請疾患としていたが,異議申立時
にケロイドも追加している。しかしながら,原爆症認定申請時に申請疾患と
された疾病以外の疾病については,認定の判断の対象となり得ない。
また,X5のケロイドに対する外科的処置の必要性については,医師によ
ってその判断が分かれており,要医療性が強く示唆されているわけではない。
さらに,X5は,被爆後に白血球減少症があった旨述べるが,医証等の客
観的な証拠はなく,白血球数が記された健康診断個人票における白血球の数
値は正常域にある。
なお,X5は,出血傾向も訴えているが,健康診断個人票における血小板
数も正常域にある。

結論
以上のように,X5の申請疾患である喉頭腫瘍に放射線起因性は見い出せ
ず,その他の疾病や病歴等においても放射線後障害を考慮すべきものはない。
したがって,X5の申請疾患に関する原爆症認定申請を却下した処分に誤り
はない。
(6)
X6

被曝線量の推定
X6の被爆地点は,広島市原爆被災地図によれば爆心地から1.9kmである
から,X6の被曝線量は,審査の方針別表9により推定して得られた0.1Gy
に,B店内被爆による透過係数0.7を乗じた0.07Gyと推定できる。
-194-

X6は放射性降下物による被曝の影響が問題となりうる己斐地区に立ち入
っているが,滞在・居住したわけではないし,爆心地付近を通過したという
が原爆投下の2日後に通過しただけであることからすれば,誘導放射線及び
放射性降下物による有意な線量の被曝があったとは認められない。
なお,X6は,黒い雨に当たった旨主張するが,黒い雨に放射性降下物が
含まれていたとしても,無限時間を想定した積算線量(広島の己斐・高須地
区で0.006~0.02Gy)に比べれば一時的なものにすぎず,同積算線量を超え
ることは考えられない。

急性症状について
被曝による急性症状には,しきい値があり,X6は急性症状を発症するほ
どの原爆放射線の被曝をしていないから,X6が被曝による急性症状を発症
するはずがない。また,X6の主張する急性症状(出血が止まりにくい,脱
毛,嘔吐,口臭,体のだるさ,疲れやすいこと,下痢,発熱等)は,先に述
べたとおり,発現時期や態様等が被曝による急性症状としての所見に合致せ
ず,被曝による急性症状であると見るべき医学的根拠はない。
最近でも,ウラン加工工場の臨界事故や原発事故などで,放射線被曝によ
る健康不安等から心身症やPTSD(外傷後ストレス障害)などになり体調
を崩すことがあることが報告されている。
そうである以上,X6に生じたとされるこれらの症状を根拠として,X6
の申請疾病に放射線起因性を認めることはできない。

申請疾病の放射線起因性について
(ア)
自己免疫性甲状腺機能低下症(橋本病)の病因
X6の申請疾患は,甲状腺機能低下症(橋本病)である。
自己免疫性甲状腺機能低下症(橋本病)とは,甲状腺に対する自己免疫
機序によって生じる慢性炎症性甲状腺疾患であり,甲状腺組織破壊が進行
すると,甲状腺機能が低下するとされている。橋本病は,発症のメカニズ
-195-

ムこそ不明であるが,同一家系で多発する傾向があり,遺伝的背景がある
ことが明らかになっている。また,橋本病は,女性の10~20人に1人の割
合で見られるほど頻度の高い疾病であり,加齢とともに進行する傾向があ
る。
ところで,橋本病と放射線との関連性について,最近に至り自己免疫性
甲状腺疾患は放射線被曝には有意に関連しなかったことが明らかにされ,
橋本病と原爆放射線との関連性が明確に否定されるに至っており,これを
否定するのが今日における放射線学の常識である。
(イ)
X6は,平成8年5月31日に甲状腺機能低下症と診断され,同年10月
28日に橋本病であるとの確定診断がなされており,被爆後約50年も経過し
た後,72歳ころになって発症したものと見られる。その発症経過,時期,
その後の検査結果及び治療経過からして,同年代の者に通常見られる甲状
腺機能低下症(橋本病)の場合と比べて特段異常な点は見当たらない。

結論
以上のとおり,X6の甲状腺機能低下症(橋本病)は,同年代の者に通常
見られる橋本病と何ら変わりのないものであり,その発症に放射線被曝が寄
与し得るとの知見は存しない上,X6は原爆放射線による被曝をほとんどし
ておらず,X6が発症したという被曝による急性症状と称する諸症状(出血
傾向,脱毛)が被曝による急性症状であると見るべき医学的根拠もないこと
にも照らせば,X6が被爆後約50年も経過した後の72歳ころに発症したとい
う甲状腺機能低下症(橋本病)に,放射線起因性は認められないというべき
である。
したがって,X6の申請疾患に関する原爆症認定申請を却下した処分に誤
りはない。
(7)
X7

被爆状況及び推定被曝線量について
-196-

(ア)
被爆地点と入市状況について
X7の主張する被爆地点,被爆後の行動は,認定申請時や異議申立時に
提出された種々の書面に記載された内容とは齟齬が多く,信用性に欠ける。
特に,調査票の各記載からして,X7が原爆投下当日に広島市内に入市
したとは考え難い。
(イ)
推定被曝線量について
X7の主張によっても,入市は昭和20年8月6日の夕方であるから直曝
による放射線量についてはその検討を要しない。
そして,X7の主張するとおりに入市し,爆心地から500m付近の広島
第一陸軍病院へ赴き,同月14日まで同所において救護活動に従事したもの
と仮定しても,X7の誘導放射能による被曝線量を推定すると,累積被曝
線量は0.08Gyを超えることはない。
また,X7の供述によっても,X7は,広島市己斐・高須地区に滞在又
は居住した事実は認められないから,放射性降下物による被曝の影響は考
慮する必要がない。

急性症状について
上記のとおり,X7は急性症状を発するほどの被曝をしていない。
その上,急性症状と称する諸症状(脱毛,歯茎の出血,白血球減少,リン
パ節の腫れ,体調の変化)の発症に関するX7の供述は,認定申請時や異議
申立時に提出された種々の書面に記載された内容とは齟齬が多く,その供述
が著しく信用性を欠いており,このような信用性の低い供述に安易に依拠し
て科学的知見に則った医学的経験則に反する事実認定をすることは許されな
い。
しかも,X

7の供述するそれらの発症状況発症時期,発現態様,経過等)
は,放射線被曝以外の要因でも発症しうるものであり,しかも,被爆者以外
の者にもよく見られる症状である上,被曝による急性症状としてこれまで述
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べてきた所見と合致しておらず,被曝による急性症状と見るべき医学的根拠
もない。そうである以上,X7に生

じたとされる急性症状」を根拠として,
X7の申請疾病に放射性起因性を認めることはできない。

申請疾患について
(ア)
X7の申請疾患は,椎骨脳底動脈(後下小脳動脈付近)循環不全,脳
梗塞後遺症,高血圧症であり,認定申請時の医師の意見書には,慢性虚血
性心疾患,高血圧,脳梗塞,骨粗鬆症が「負傷又は疾病の名称」欄に挙げ
られ,その他既往症として,脳梗塞,椎骨脳底動脈循環不全が記載されて
いる。
(イ)
椎骨脳底動脈(後下小脳動脈付近)循環不全の罹患について
X7が被爆後53年が経過して73歳になって診断されたという椎骨脳底動
脈(後下小脳動脈付近)循環不全については,O病院及びP内科の医師作
成に係る意見書に,現症状又は既往症として記載されているのみであると
ころ,P内科は調査嘱託に対し「
,当院では強く椎骨脳底動脈循環不全を
疑っていたわけではありません」との回答しており,他の病院等の回答に
は,上記病名の記載は全くないことに照らせば,O病院の当初の診断には
疑問があり,X7は,そのような疾病に罹患していなかったというべきで
ある。この点をおくとしても,少なくともX7に対する却下処分時(平成
11年6月23日)に要医療性がなかったことは明らかというべきである。
(ウ)
循環器疾患について

高血圧症について
高血圧症は,最も患者数の多い疾患であり,生活習慣病の代表である。
その中でも90%以上とされる本態性高血圧症は,遺伝的な因子や生活習
慣(過剰な塩分摂取,肥満,飲酒,精神的ストレス,喫煙等)などの環
境因子が関与しているといわれている。
しかるところ,X7は,高血圧症と診断されるまで26年間にわたり1
-198-

日20本もの煙草を吸い続けた喫煙歴及びある程度の飲酒歴を有している
上,両親とも高血圧症である。そうすると,55歳になって高血圧症と診
断されるのもごく自然であって,同年代の者に通常見られる生活習慣病
としての高血圧症と何ら変わりがない。なお,X7は,平成18年に体重
減少に伴い高血圧状態も落ち着いてきているとみられており,肥満が高
血圧の原因であったというべきであるし,同居の妻も高血圧症になって
いることからすれば,食生活に由来する可能性も指摘できる。
そして,高血圧は,脳梗塞及び虚血性心疾患の重大なリスク因子であ
る。

脳梗塞後遺症について
X7が72歳になって発症したという脳梗塞は「多発性ラクナ梗塞」と
されているところ,ラクナ梗塞とは,高齢,高血圧患者の脳深部,脳幹
に見出される小さな空洞よりなる小梗塞をいい,多発性が多く,全脳梗
塞例の約40~60%を占めている。
そうであれば,55歳から現在に至るまで高血圧症を発症し,脳梗塞を
発症するまで43年もの喫煙歴があり,飲酒の習慣もあるX7が72歳にな
って脳梗塞を発症したとしても特異なことではなく,同年代の高血圧症
患者に通常見られる生活習慣病としての脳梗塞と何ら変わりがないので
あって,これに基づく脳梗塞後遺症も同様である。

慢性虚血性心疾患について
慢性虚血性心疾患は,認定申請書に申請病名として記載されておらず,
医療分科会においても検討されていないのであって,認定の対象とはな
っていない。
この点をおくとしても,平成11年5月20日に診断されている狭心症は,
罹患の事実自体も明確でないし,通常見られる慢性虚血性心疾患と異な
る経過,症状を示すものと見るべき事情は見当たらない。そして,その
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病因のほとんど(95%以上)が冠動脈硬化を基礎としており,動脈硬化
を促進する因子は,年齢,喫煙,カロリー過多と脂質の過剰摂取の食習
慣,肥満等であり,X7の生活状況等からすれば,73歳になって慢性虚
血性心疾患と診断されるのもごく自然であって,同年代の高血圧症患者
に通常見られる生活習慣病としての慢性虚血性心疾患と何ら変わりがな
い。

小括
このように,X7の循環器疾患は,同年代の者に通常見られる循環器
疾患と何ら変わりのないものであるから,これについて,約50年も前の
原爆放射線が寄与しているなどと考えることは常識的にみて困難であ
る。

申請疾病等の放射線起因性について
(ア)
1審原告らは,循環器疾患(心疾患,脳卒中)の死亡率及び高血圧の
発生率と放射線量との間に線量反応関係が存在していると主張するが,そ
れは高線量域での被曝の場合であるし,線量反応関係に一貫した傾向はみ
られず,未だ仮説の域を出るものはなく,低線量被曝で被爆後数十年が経
過してから発症した循環器障害の発症原因となり得るなどということは,
生物学的メカニズムの見地からして考え難いところである。X7の被曝線
量は最大限見積もっても0.08Gyにすぎないのであるから,放射線起因性が
あるとする根拠とはなり得ない。
(イ)
動脈硬化は,虚血性心疾患の有力な原因となり得る症状であるが,原
爆の放射線と被爆者の動脈硬化との間には関連性はみられておらず,原爆
被爆者らの動脈硬化の危険因子としては加齢が重要であって,原爆放射線
の影響については否定的との結果が示されている。
(ウ)
X7は,各種の既往症(肝機能障害,白内障,白血球減少症,膀胱が
ん,前立腺がん)があり,これらの疾病が原爆放射線による被曝との関係
-200-

が合理的に疑われる疾病であることから,これら既往症の存在が,X7の
循環器疾患放射線起因性を肯定すべき事情に当たると主張する。
しかし,肝機能障害については,血液検査結果を見ても格別異常はなく,
罹患の事実自体が認められない。白内障については,被爆後50年以上経過
した後,74歳ころに発症した老人性白内障であって,同年代の者に通常見
られる白内障と何ら変わりはなく,放射線の寄与を示すものとはいえない。
白血球減少症は,既往症として取り上げる必要もない程度の一時的かつ軽
微な症状であったと見るのが相当であり,放射線被曝が,被爆後50年以上
も経過した後,このように一時的に白血球減少を来すことはあり得ない。
膀胱がんについては,喫煙が確立されたリスク要因(寄与リスク31%)で
あることからして,50年間にわたり1日20本もの煙草を吸い続けた喫煙歴
を有しているX7が79歳になって膀胱がんを発症したとしても何ら不自然
ではなく,これが60年近く前のごくわずかな放射線被曝に起因するものと
見るのは,医学的知見に基づく経験則に照らして,非常識な判断というほ
かない。前立腺がんについては,発症の事実自体,客観的根拠がない。

結論
以上のとおり,そもそもX7が椎骨脳底動脈(後下小脳動脈付近)循環不
全に罹患していると認めるに足りる証拠はない上,X7の循環器疾患は,同
年代の者に通常見られる循環器疾患と何ら変わりのないものであるところ,
循環器疾患の発症に低線量の放射線被曝が寄与し得るとの確立した科学的知
見は存しないし,X7は原爆放射線による被曝をほとんどしておらず,X7
が発症したという被曝による急性症状と称する諸症状が被曝による急性症状
であると見るべき医学的根拠もなく,X7の既往症(肝機能障害,白内障,
白血球減少症,膀胱がん,前立腺がん)もその存在自体疑わしいものや,そ
れぞれ同じような生活習慣の下にある同年代の者に通常見られる疾病にすぎ
ないことにも照らせば,被爆後35年が経過し55歳になって診断されたという
-201-

高血圧症,被爆後52年が経過して72歳になって発症したという脳梗塞に基づ
く脳梗塞後遺症,被爆後53年が経過して73歳になって診断されたという椎骨
脳底動脈(後下小脳動脈付近)循環不全及び慢性虚血性心疾患に,放射線起
因性は認められないとい